▲ [column] コンサートワッチ / 2002.2.4
以前、某サイトで「コンサートワッチ」たる言葉を見つけたことがあった。その時は何のことやらさっぱりだったが、どうやらコンサートで歌っているアーティストの生の歌声を、専用の機材を使って盗聴することをこう呼ぶらしい。

もちろん禁止されている行為であるから警備の人間に見つかればただ事では済まないだろう。
しかし、ワッチャーはこのようなリスクを犯してまで盗聴に命を懸け、この命懸けで盗聴された生の歌声は当然のことながら?ネット上でいろいろなサイトで配布されている。

私もこれを聴いたことがある。娘。関係のものをいくつか。
そのサイトの管理人の方も言っていたが、「石川梨華」の生歌には衝撃を受けた。
「これはいけない!これは聴いてはいけない!俺はなんてものを聴いてしまったんだ!」と自己嫌悪に陥ってしまうほどだった。歌が下手なのは知っていたが、まさかあそこまでとは・・・。

よくもまあ、こんな歌唱力しかない人間が歌手になろうと思ったものだ。親が止めるべきだ!それは親の最低限の義務だと思う!周りが見えてないというのは恐ろしいことである。

ところが!ところが!なんと自分でも信じられないことなのだが、この生歌を何度か聴いているうちに耳が慣れてしまったのだ。そう、「あれ?思ったよりひどくないんじゃない?」というような感想を持ってしまったのだ。それどころか気がつけば、「石川がんばってるよ。なんか、正しい音程の近傍で歌ってるから大丈夫だよ。」と、音痴石川を擁護してしまうような感想まで持ってしまっていた。洗脳されてた。完全に。

これは偏に命の危機にさらされた人間が、生き延びようとするための苦汁の適応とでも言うのだろう。
人間の「慣れ」「適応能力」とはものすごいものである。生きていくために、不快なもの・受け入れがたいものも、どうにかして体に適応させようという本能が働くのだ。

私はコンサートワッチ、いや石川梨華の生歌で人間の「生命力」のすごさがわかり、またひとつ賢くなれた気分になった。石川梨華の生命を脅かすような歌唱力に感謝する。

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