▲ [column] 真のアイドルとは? / 2002.5.27
アイドルという存在は、「自分が作りだした完璧なる偶像としての存在」であるということをよく耳にする。
つまり、アイドルとは不完全な存在であって然るべきで、その不完全である部分をファン側が自分の好きなように埋めることで、理想的なアイドル像、はたまた女性像が出来上がるのだと。だから、アイドルはウンコはしないなどと言う、頭の悪いほどファン側にとって都合のいい発想が生まれてくるわけだ。

最初は私もなるほどと思った。不完全さがあるからこそアイドルとして成り立つとはなかなか言い得て妙である。しかし、この考え方は間違いであるということがすぐにわかった。
それはあゃゃという完全アイドルが存在していることにある。

あゃゃはあまりにも完全すぎるゆえ、ファン側の妄想が入り込む余地などない。ファン側のかってな妄想など必要ないのだ。それぐらいにまであゃゃは完璧な完全体アイドルである。だがしかし、もちろんあゃゃはウンコはしない。しかしこれはファン側の都合のいい妄想ではないのだ。あゃゃという完全アイドルゆえの言い逃れようのない事実なのである。現実にあゃゃはウンコはしないのである。そこが違う。そこが先ほどの考え方が間違っている証拠である。

つまり、本当のアイドルという存在は、ファン側のかってな想像などなくとも、そういった妄想で理想的な像を自分自身の中にあえて作り出すことをしなくとも、自然と理想的なアイドル像を提供してくれる存在のことを言うのだ。
これからの時代は、アイドルは何事においても完全でなければならないのだ。これぞ新世代のアイドルなのではないか?不完全さを売りにした80年代のアイドル像などもう古い。確かに松田聖子とかは、あの当時のアイドルとしては今で言うところの完全アイドルに近いものがあったのかもしれない。ただルックスがあゃゃとは比べ物にならない。そういった意味で思いっきり不完全だ。

と、ここまで読むと、私があゃゃは本当にウンコはしないと思っているイタイ奴だと思うかもしれないが、そこは弁解しておかなければ。
私は至る所で何度も言っているが、常に心の中に非ハロプロ信者としての気持ちを持ち合わせている、正気を保った人間である。だからヲタではないのだ。

もちろんあゃゃ、ウンコすると思ってるよ。屁だってこくんじゃない?きっと。だがそれはアイドルとして、タレントとして問題ではないのだ。画面で見ているあゃゃは「タレント松浦亜弥」であって、私生活での松浦亜弥とは違う。タレントなんざ、視聴者・ファン側に知られなければ、私生活で何をやっていたっていい。それがファン側に知れ渡ってしまうことが問題なのである。

だから、こんなことは絶対にありえないが、例としてあげるのもアホらしいことだが、あゃゃがウンコしているところとか、あゃゃのウンコそのものとかが公開されてしまってはいけないのだ。ほんとアホみたいな例だけど。知れ渡らない限りは何をやってたっていい。こんなにも完璧なあゃゃにだって、他人には知られたくない恥ずかしい秘密の一つや二つはあるのが自然だし。

だから私は、断っておきますが、アイドルはウンコをしないだとかそういったアホな発想は持っていません。そんなことでへこんだりはしません。悪しからず。

とは言ったものの、あゃゃがものすごくでっかいウンコとかしてたらな〜、絶対へこむよな〜・・・・。

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