▲ [column] アーティストとは? / 2002.6.17
「自分自身で音楽を作っていないやつをアーティストと呼ぶな。アイドルなんて言語道断だ。」

なんともえらそうなことを言う輩が世の中には多い。自分自身で曲を作ることはおろか、CDとして曲をリリースすることすらできない一般人が何を言っているのか。

こういった人間は、「アイドルなんて下等なものは俺は認めない。だから俺のほうが、少なくともアイドル好きなやつよりは音楽を知っている。」といった戯けた発想を持っている。本当にどうしようもないほどのお馬鹿さん達だ。そしてこういった輩のたいていが、自分で曲を作っていないやつはアーティストとしては認めないなどと言うのだ。別に貴様らなんぞには認められなくてもいいと思うのだが。

しかし、こいつらの言い分からすると、同じバンドで活動しているなかで、そのうちの一人しか曲作りをしていないとしたら、残りのメンバーはアーティストではないと言うことになる。同じバンドとして活動しているにもかかわらずである。このことからも、この考えが論議の仕様もないほどの、なんとも貧相な発想であることがわかっていただけたと思う。

ただ、私はミュージシャンのことをアーティストと呼ぶこと自体がおかしいと思っている人間だ。というのも、そもそもアーティストとは芸術家という意味である。すなわち画家や彫刻家を指して使う言葉なのだ。芸術の域にまで達した音楽なぞこの世にあるのだろうか?少なくとも、私はいまだにお目にかかれていない。ていうか「芸術」自体、私は理解することができないし。しかし、ただ作詞作曲をしているのか、していないのかの区別をするために使用できるような言葉ではないことは確かだ。

最近使われるようになった「アーティスト」という言葉は、TV番組の影響であることは明白である。そのため、音楽や絵などの媒体を通して、表現するもののことを総称して「アーティスト」と呼ぶというように、言葉の意味自体が変化してしまった。そういったことから、先ほどのような連中は、自分自身で曲制作していなければ表現者ではなく、すなわち「アーティスト」ではないというのだろう。しかし、表現することがここでいう「アーティスト」ならば、歌を唄って表現する人間だって立派な「アーティスト」だろう。例えそれが他人から与えられた楽曲であっても、歌を唄うという行為で表現することだって当然出来るわけなのだから。

つまりここで言う「アーティスト」という言葉の意味に則れば、娘。も立派なアーティストであると言うことが出来る。何を表現しているのかなんてことは問題ではない。それは聞く側が感じ取ればいいこと。『社会批判じみたくさい詞とメロディーの歌を歌うことが表現である』だなんて、先ほどのお馬鹿さん達もまさか思っていないだろう。だから娘。だってアーティスト。浜崎あゆみをアーティストと呼んでしまうぐらいなら、むしろ娘。のほうがアーティスト性は高いだろう。

まじめな話、あの大人数で、あれだけの複雑なフォーメーションの踊りを歌いながら行うっていうのはそうそう簡単にはできまい。あの複雑な踊りと、リズミカルな歌と、そしてあの華やかさを併せ持つ娘。たちはやっぱり表現しているといえる。だから立派な「アーティスト」。所詮ここで言う「アーティスト」なんてその程度のことしか含意していないのだし。

曲を作る人間だけが「アーティスト」ではない。むしろ他人から与えられた曲であっても、それをいかに自分達なりに表現するのかのほうが重要だ。それこそ真の「アーティスト」ではないのか?

・・・と、正直かなり厳しい言い分になってしまったと思う。それは認める。十分承知である。

ただ、結局私が何を言いたいのかというと、自分自身全く何もできない一リスナーがとやかく言うなという事。はっきり言って誰がアーティストで、誰がアーティストではないのかなんて、私にとってはどうでもいい事なのだ。そもそもミュージシャンにアーティストという言葉を使うこと自体おかしいと思っている人間なのだから。

だから私は、「お前らただのリスナーがえらそうなこと言ってんじゃね――――!!」と声を大にして言いたい。ただそれだけなのだ。

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