▲ [column] カリスマ後藤真希の今後 / 2002.9.24
2002年9月23日。ついに後藤真希が娘。を卒業した。

「卒業生放送スペシャル」といった番組まで企画され、以前同じ様に卒業していったメンバーとは明らかにその扱いは一線を画す結果となったわけだが、その番組内容は、改めて「娘。のカリスマ」として後藤をピックアップするといったものであった。

1157日間という長きに渡って作り上げられてきた、「カリスマ後藤」というシナリオは、最後の最後まで見事に徹底されていた。
今思えばオーディション時から、約束されていたソロデビューの日が来るまでに、ある程度のシナリオがすでに用意されていたのだ。そしてそれは言うまでもなく、ソロとして後藤が活動するようになるまでに、我々に「後藤=カリスマ」といったイメージを植え付けるということであった。

後藤加入オーディション当時のASAYAN。後藤だけが必要以上に怒られる場面をわざと演出し、否応無しに視聴者に「後藤真希」という存在を知らしめた。常にカメラの前を陣取り、誰もが目に付く金髪スタイル。後藤に対するこの突出した演出は、一緒に受けていた他のオーディションメンバーに比べ、後藤が一番目立ち、優れているといったイメージを我々に植え付ける。
そして、2人増員と言っておきながらの土壇場逆転1人選出。あたかも特別に選ばれた1人といった演出効果を付け加え、一つ目のシナリオは終了。

さらに加入間もない後藤を「LOVEマシーン」のセンターに選出。この13歳、中学二年生の少女に対し、他のメンバーはもちろん安倍をも追いやるほどの扱いを行うことにより、世間に対し「後藤=すごいやつ」といったイメージを植えつけることに成功。そして、この後藤に対する過剰演出はラブマのPVにも露骨に表れており、後藤だけは、TV番組で最も多く使われるであろうサビの部分の全てのフレーズに登場する。
ラブマの160万枚以上のミリオンセールスといった結果も相まって、娘。復活の立役者は後藤であるといったイメージをも植え付けることに成功し、二つ目のシナリオは終了となる。

その後は当然のことのように娘。を支える中心メンバーとして位置づけられ、我々もそれが至極当然なポジションであると思うようになる。
その後、娘。のメンバーとしては初のソロデビュー。娘。を卒業する前に、すでに卒業後のことを考えたソロデビューという場所まで用意され、至れり尽くせりのおもてなしである。

そして今回の、この生放送番組でもやはり今までと同様、白々しいほどの演出とナレーションで埋め尽くされていた。「圧倒的」「魅了」。次から次へと過剰に後藤を賞賛する言葉が飛び出す。そして、「娘。卒業」というよりも、むしろこれからが「ソロスタート」といったイメージを植え付け、最終シナリオも無事終了した。

どうしても我々に、「後藤はすごい」というイメージを植え付けたいようだが、何故ここまで後藤を推すのか。私には知る由もなく、もはや世界の七不思議ほどの不可解さだ。

しかし、当然のことながら、あくまでもこの「カリスマ」は娘。内でのみ当てはめて言えることであり、一アーティストとしての「カリスマ」ではない。娘。という限定された枠内であったからこそ、比較対照があったからこそ言えたことであり、そしてこれは言うまでもなく、様々な演出効果によって作為的に作り上げられたカリスマ性である。

娘。内における演出は容易であった。周囲の力でどうする事だって出来た。
しかし、そのUFAが用意してくれた後藤過剰演出のシナリオもここまでである。他のアーティストとの比較であれば、こんな安っぽい演出など出来るはずもないからだ。

後藤は、これからは自分自身の力で一アーティストとしてのカリスマ性を演出していかなければならないわけだが、ソロアーティストとして後藤を見た時に、果たして誰が彼女にカリスマ性などを感じるのだろうか。そして本当に後藤は、元モーニング娘。といった肩書きを払拭できるほどにまで成長を遂げられるのだろうか。これらに対し、大きな疑問を抱かざるを得ないと思うのは私だけだろうか。

しかしこうは言っても、改めて考えると、デビュー当時が13歳。現在13歳の新垣と比較してみれば、娘。のカリスマとして演出するだけの価値は十分にあったことは確かだ。ここまで肝が据わった17歳も珍しいし、紛れもなく才能溢れる人間のうちの一人なのだろう。

娘。を引っ張ってきたというのも事実だし、良くも悪くも娘。の顔の一人であったことも事実だ。考え方によっては、後藤なら何とか頑張れるんじゃないかとも思えるし、少なくともSPEEDの4人よりは活躍出来ることを心から祈っている。

最後にお礼の言葉を言わせていただきたい。「後藤よ、今までありがとう。」

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