▲ [column] 柴田よ、奇跡を起こせ! / 2002.10.6
UFAがメロン記念日を売り出すことに本格的に乗り出したようだ。

その実態は、後藤の新曲のバックにメロンを配するといったことから始まり、新生タンポポに柴田あゆみを加入させ、それらの相乗効果からメロンに対する反響を期待するという、なんともお粗末な戦略である。

確かに現段階で、メロンが新曲を出しても雑誌等のメディア関係がそのことを特に取り上げることはないだろう。しかし、それがタンポポであるならば、ある程度は取り上げるメディアも存在するのは事実だ。
それを利用して「メロンから加入した柴田」ということをアピールするため、とりあえず柴田のメディアに対する露出を多くし、柴田の知名度を上げることから始めているのだろう。そして、その結果自ずとメロンの知名度もアップすると考えているようだが、こんなお寒い戦略が果たして功を奏するのか。

金に汚く、プロデュースにお金をかけたがらないというところが、いかにもUFAらしく、すこぶる納得できる戦略であることは確かだが、どうも彼らは根本的にタレントの売り出し方を間違えているように思えてならない。
本気で売り出しにかかるなら、売れる楽曲を精力的に与え続ければ済むだけのこと。何故こういった正当な売り方をしようとしないのか。

もちろんこの柴田戦略は、当のメロンの方にも明確に影響を及ぼしている。
次回の新曲のジャケ写は、柴田を前面に押し出し、残りのメンバー3人は後ろの方にこじんまりと写っているだけだ。以前から柴田はメロンの核として考えられていたのは確かだが、そういった今までのメロンのあり方と比べても、今回は余りにも露骨な柴田推しなわけだ。

しかし、この戦略を以前どこかで見たことはないだろうか。そう、娘。達にも以前はこうした時期があったのだ。

福田が卒業し、中核として扱える存在が安倍だけになったとき、安倍を前面に押し出した「ふるさと」をリリースした。
この当時ASAYANでの同期対決として、鈴木あみとの新曲同時リリースたるものが企画され同番組で扱っていたが、言うまでもなく結果は娘。の惨敗。売り上げの方も過去最低の結果となってしまったのがこの「ふるさと」だった。

では、何故ふるさとは売れなかったのか。それはふるさとという楽曲の出来が悪かったからなのか。いや、そうではない。原因は、このふるさとにおける安倍を全面に押し出すといった戦略に問題があったからだ。

グループ内に特別な存在を作ることがいい結果を生むわけがない。例えその対象が、グループ内で一番人気がある人物だとしても。誰かが中心となりそのグループを引っ張っていくというのは確かに理想ではあるが、余りにも露骨な一メンバーへの特別待遇はマイナス効果しか生まない。

最初からそういった戦略で売り出すならまだしも、突然一人だけを推すようなことをすれば、他のメンバーのファンは面白いはずはない。一体何のためのグループなのか。グループとしての存在意義を完全に失う結果となる。

こういったことは過去の経験から分かっているはずなのに、何故今回も同じようなことを行い再び同じ過ちを繰り返そうとするのか。心底あきれ果てる。

当時の安倍は、現在の柴田よりも人気度という面でも知名度という面でも上であっただろう。そんな安倍ですら娘。の救世主になることは出来なかった。果たして柴田がメロンを救う救世主になり得るのだろうか。

もしこれで売れなければ、一番被害を被るのは紛れもなくメロン達本人である。今回の戦略が大した反響も生まず、メロンの著しい知名度アップに繋がらなければ、確実にUFAはメロンを見限って、その後はゴミのように捨てるだけだ。

自分達が望んでもいなく、戦略的に明らかに失敗ともいえる柴田一人演出の結果、見限られた挙句に売り出し終了となっては、残りの3人のやるせない思いは一体どこにぶつければいいというのか。最悪の場合その矛先は何の罪もない柴田に向かうだろう。

私はメロンにはがんばってもらいたいと思っている。だからこそ尚更、このような浅はかな戦略が許せないのだ。しかし、私はこの成功するはずもない戦略が、何かの間違いで成功することを切実に願う。柴田が私の想像を遥かに超える奇跡を起こすことを願って止まない。

柴田よ、奇跡を起こせ!

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