▲ [column] 後藤救済措置の果てにあるもの / 2002.10.14
「ごまっとう」。

UFAが、またまたお寒い戦略をしでかし世間を震撼させた。
後藤真希、松浦亜弥、藤本美貴の3人でユニットを組むという、笑い話にもならないような戦略に打って出たのだ。

言うまでもなく、このユニットは後藤真希に対する救済措置である。
後藤がソロとして活動するに当たり、最も脅威となるであろう松浦・藤本とユニットを組むことによって、この二人を逆に後藤にとっては心強い味方にするなどという余りにも単純発想な戦略に、誰もが眉をひそめるのも当然だ。
娘。を卒業する前では容易に行うことの出来た後藤に対する演出を、こういった形で娘。卒業後も無理矢理実現させるとは、どうやら後藤は相当重要な人材として考えられているようだ。

後藤をこのユニットの中核としてセンターに配して売り出し、結果として狙っている効果を期待するには、松浦・藤本を後藤の引き立て役として徹底させなければならない。だが、強烈なキャラクターとアイドル性を併せ持つ松浦が、果たして後藤の脇役に徹することは出来るのだろうか。タレントのオーラとは自然と出てくるものである。どんな演出を試みようとも、松浦のオーラが後藤のオーラをかき消してしまう気がしてならない。
後藤を演出するために松浦を利用したはずが、結果的に松浦演出のために後藤が利用される気がしてならない。

しかし、実際にUFAは松浦・藤本をダシに使ってまで、歌手としての後藤真希を延命させようと目論んでいるのである。後藤に対するこの余りにも丁重なUFAのおもてなしは、私としては不可解極まりない。

さて、今回のこの結果を後藤自身はどう思っているのだろうか。

正直、心中穏やかではないだろう。
ソロでやることを切望していた人間が、新たにユニットを組むこととなって嬉しいわけがない。例えこのユニットが結果的に成功することになったとしても。

当然だろう。これで売れたとしても、松浦・藤本がいたからこそであり、それは娘。を卒業して、一ソロアーティストとして自分自身の力で売れたという確固たる自信にはなりえない。そもそも、その自信を作るための完全ソロという場所すら提供してもらえない。今回の戦略は、UFAが端から後藤真希のソロに対して、全く以って信頼などしていなく、大いなる不安を抱いていたということを露呈する結果となっただけだ。

後藤のプライドはもはやズタズタだ。
娘。を救ったカリスマとして徹底した過剰演出を受けてきた存在が、ソロデビューを約束されていながら、いつまで経っても自分にはソロの場を与えてもらえないことはおろか、自分の後輩であり、且つ自分よりキャリアもないデビューして1年足らずの人間に手を貸してもらうという屈辱。そして、この二人は自分自身が切望しているソロアーティストとして順風満帆に活動しているという悔しさ。さらには、事務所やプロデューサーのつんく♂から自分自身は全く信頼されていなかったのだといった事実。
後藤のソロに一抹の懸念を抱き、後藤のためにと思い行ったUFAの親心とも言える救済措置は、逆に後藤のプライドを傷つける結果となってしまった。

正直、私は後藤のソロなど成功するはずはないと思っていた人間の一人であるから、今回の救済措置は後藤にとっては喜ぶべきことであると思う。プライドなどかなぐり捨てて、このユニットに全てを捧げるべきだと思う。
しかし、どうやら今回のこのユニット結成に腹を立てている後藤ヲタがいるようなのだが、それは私から言わせてみれば、はっきり言って御門違いもいいところだ。

腹を立てるべくは、後藤のためにダシに使われている松浦・藤本の方である。
何故後藤のために自分達がダシに使われなければならないのか。脇役を演じなければならないのか。そのように思っているのが当然だろう。

それにしても、過去何度も言っているが、つんく♂並びにUFAは、何故こうまでして後藤真希を重宝するのだろうか。ここまでやるだけの価値が後藤という存在にはあるのだろうか。今回のこの戦略において唯一の救いは、このユニット結成がソロ活動を行う上で支障とならない限りは、松浦・藤本の二人にとってはマイナス要素になることが少ないというところだろう。

ただ、ここまで言ってなんなのだが、実を言うと私としては、このユニット結成に対して反対はない。本音を言うと個人的にはこのユニットは楽しみなのだ。

というのも、松浦亜弥が脇役などに徹することが出来るはずもなく、私としてはこのユニットは松浦亜弥のためのユニットのように思えてしまうからだ。例え形の上では後藤をセンターに配していようが、本質的には松浦のためのユニットになってしまう気がするし、少なくとも私の中ではそうなることは間違いない。

そう考えるとやはり今回の戦略は後藤にとっては酷である。自分自身が全く望んでいなかったユニット結成の果てに、自分以上に松浦の方にばかり注目がいってしまっては、後藤は面目丸つぶれだ。しかも、そういったことが大いにあり得るからこそ恐ろしい。

自分をより一層際立たせようと身に付けた宝石が、逆に自分自身をみすぼらしく見せてしまうほどの大きな輝きを見せるとは、今現在後藤自身は全く想像していないのであろう。
松浦亜弥という宝石を身に付けるには、相当な勇気と覚悟が必要であり、それ以上に身に付ける人間のさらなる実力が必要不可欠なのだ。
身に付ける人間がそれ以上の輝きを持っていなければならないのだ。

果たして、後藤に松浦という宝石を使いこなすことは出来るのか。
その松浦亜弥という大いなる輝きに、後藤真希が飲み込まれてしまわないことを願うばかりである。

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