▲ [column] 娘。が「笑顔」を失うとき / 2004.1.24
思い起こせば、モーニング娘。のイメージが、笑いと笑顔からくる「多幸感」というものに満ち溢れるようになったのは、一体いつのことなのだろうか。笑顔とは無縁であった初期モーニング娘。にはなかったそのイメージは、今現在のモーニング娘。らしさとして世間的にも当然の認識であり、いつしか形作られたアイデンティティである。そしてこのイメージこそが、間違いなくモーニング娘。がモーニング娘。たらしめる所以でもあり、むろんその形成は、彼女達がこれまで笑顔で歌い続けた、人生の賛美歌ともいえるこれら楽曲群によるものに他ならない。

娘。がかつてからのパラダイムを変え、漠然とした愛と夢とそして人生の素晴らしさを語るその姿は、娘。が調和的で愛らしく汚れのない存在として多幸なイメージを手に入れたことの主たる理由であると同時に、その証でもあった。しかしこういった、世に必ず存在する闇の部分に対して決別し、夢は信じていればいつか必ず叶うのだと言い放ち、ただひたすらに理想のみを、偽りの桃源のみをどこまでも追い求めるといったその姿勢は、ただただ空虚な言葉の羅列からくる全く重みのないものでもあり、その重みのないメッセージに付きまとうイメージとは、およそ肯定できるようなものではない。

しかしながら、とかくそうなりがちなその否定的なイメージとは裏腹に、これが肯定的な娘。らしさとして成立しえたのは、内面から醸し出す多幸的なイメージが間違いなく娘。に内在していたからであり、これらが中身の伴わない単なる空疎な言葉の羅列ではなかったからだ。そしてそのイメージの象徴こそが、安倍なつみの存在であり、その「笑顔」であった。言うなれば、娘。自体が安倍なつみを拡大し具現化した存在であり、これが安倍なつみが娘。の中心として、娘。の象徴として認知されているその最大の理由でもあった。

「愛あらば IT'S ALLRIGHT」という歌から、ここで言う「娘。らしさ」を強く感じるのは、娘。達が笑顔で歌うことでこの歌から発せられるその圧倒的な多幸感によるものに違いない。しかし、娘。がこの様に理想的な世界のみを表現し続けることに意味をなし、そしてそれが決して表層的にはならなかったのは、安倍なつみという存在があったからこそであり、その存在を失った娘。が今後同様に行えば、それがどの様な結果を導くのかは想像に難しくない。この絶対的存在をいくら模倣したところでそれはただ単になぞらえた存在であり、その様な娘。達が発する多幸感などは、ここで危惧するところの実に表面的なものに過ぎないのではないだろうか。

2004年1月25日の安倍なつみモーニング娘。卒業をもって、従来のモーニング娘。が持っていた本質的な「笑顔」が失われることになる。そしてその帰結が、決して娘。の単なる空虚化であってはならないはずだ。私は強くそう思う。

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