▲ [column] おニャン子クラブとモーニング娘。 / 2004.11.03
モーニング娘。の24枚目のシングル「涙が止まらない放課後」がついに発売され、とうとう世間さまの耳にもこの曲が届くという状況になってしまった。これは、今まで何となく漠然と抱いていたであろう世間の「モーニング娘。」というイメージを、最悪な形で完全に固めてしまう、その決定打ともなる一曲なのだと、私はそう思い、実のところ大いに懸念している。

うしろゆびさされ組つい最近、おニャン子クラブという20年近く前のアイドルグループ内から派生したユニットである、「うしろゆびさされ組」というユニットが、「渚の「…」」をスタジオで歌っている映像を偶然見かけた。私のようなヤングな世代にはあまり馴染みのない、完全ど素人軍団によるその歌唱と踊りの酷さには、思わず失笑してしまったわけだが、これと全く同じ要素がこの「涙が止まらない放課後」内にもあるのだから、これはちょっと笑い事では済まないのだと思う。

かつてのおニャン子クラブというアイドルは、歌は下手で当たり前、踊りだって何となく滑稽に映ってしまう、だけど可愛いからいいや!というむちゃくちゃな論法の下に成立していた集団であったが、現在のアイドルであるモーニング娘。は、女の子の集団という形態こそ、このおニャン子クラブに類似してはいるものの、踊りの完成度、音楽に対する意識の高さというのは、完全におニャン子クラブのそれを凌駕するほどハイレベルなものであり、すでにその外観の形態のみで比較されるべき存在ではない。おニャン子クラブとモーニング娘。とは「似ていて非なるもの」であり、両グループに携わる裏方の人間の狙いそのものも、間違いなく両者は完全に一致しないもののはずである。

そうなれば上述の如く、「渚の「…」」を歌っているうしろゆびさされ組の姿を見て、私が思わず失笑してしまったのは、実は至極当たり前のこと。私は無意識的に「普段モーニング娘。を見る視点」でこの「うしろゆびさされ組」を見てしまっていたわけであり、これは完全に間違った見方であるのだから。

つまりこれは、おニャン子クラブを応援する視点と、モーニング娘。を応援する視点とは全くの別物であり、どちらか一方の視点しか持たない人間にとっては、もう一方のグループには取り立てて惹かれる要素などは全くないと、この場合は考えられるのだと思う。

「涙が止まらない放課後」HEY!×3よりところが、「涙が止まらない放課後」を歌っているモーニング娘。を見て、同様に私は失笑してしまったのだった。この歌からは、うしろゆびさされ組の「渚の「…」」と全く同じ匂いが漂ってくる。これを失笑せずに「受け入れる」ためには、かつてのおニャン子クラブを見る時と同様の視点を持っていなければいけないのだが、残念ながら私にはそれはない。歌が下手でも可愛いからいいや!という論理は、私の中には存在しないのだ。

当然のことながら、世の中のたいていの人が、「歌が下手でも可愛いからいい」という論理は理解できない。だからこそ、いつの時代もアイドルオタクというのが特殊であり、世間には受け入れられないのだ。
つまり、言い換えればこれは、この「涙が止まらない放課後」を歌っているモーニング娘。を見て、世間の多くの人は、私と同様に失笑していることとなるわけであり、楽曲の良さだとか、曲の構成だとかよりも、よっぽど問題となるべくは、この「モーニング娘。が笑われている」という状況なのだと私は思う。

一度固定され定着してしまったイメージを、再び取り除くという事はとても大変な事。そのために重要となってくるのは、余計なイメージを抱かせてしまうような行いは厳に慎むという事なのだが、この一曲で、今まで漠然と抱いていたのであろう世間の、おニャン子クラブのようなアイドルとしてのモーニング娘。という最悪のイメージは完全に定着してしまった。もしかしたら今後モーニング娘。が何をやっても、世間からの「笑いの種」になってしまうということにだってなりかねない。

日本における「アイドル」に対するイメージとは決して良いものではなく、「ただ単に踊らされているだけで、自分達では何も出来ない」というのが残念ながらそのイメージである。そんな悪いイメージをモロに植え付けてしまう様な行動を自ら起こす事が、果たして正しい事だと言えるのであろうか。今更、「世間に対するイメージ」なんてものを気にしている方が間違いと言われてしまえばそれまでだが、わざわざ悪いイメージを植え付けるような行為に打って出るというのは、どう考えても愚かな行為だと私は思うのだ。

「やったー!センターだー!歌は確かにへたっぴだけど、可愛いから良いよね!」などと思っている紺野さんヲタと道重さんヲタの方々は、世間からこの二人が笑われているという事実を、少しは考えているのだろうか。私としては、今回の人選に関しては、推しであれば喜ぶべきところなのではなく、むしろ怒り狂うべきところなのだと思うのだが。

BACK