■ 短期連載TEXT ■ - 事務所とつんく♂とモーニング娘。と -



■ 短期連載TEXT ■ - 事務所とつんく♂とモーニング娘。と -
【第1章】 事務所にとってモーニング娘。が国民的であること
モーニング娘。の事をあまりよくわかんない等と平気でのたまう、一般常識が著しく欠如した不埒な輩にとってみれば、タレント業を辞めるわけでもない保田が、たかだか娘。を卒業するというだけで、何故こんなにもヲタどもはおたおたしているのかしら?なんて思ってしまっても、まあしょうがないことなのかもしれない。

よくよく考えてみると、これは確かにその通りであり、今後は一緒にコンサートをやる機会はなくなってしまったかもしれないが、娘。と保田との接点が全くなくなったわけではない。にもかかわらず、なにゆえここまで卒業というものに悲壮感が漂うのか?全ては娘。の起源によるところが大きいのではないだろうか。

芸能界の右も左も分からないおよそタレントらしからぬ素人5人が、地方巡業からCDを手売りで売りさばきデビューを勝ち取った。その裏舞台を全て密着という形で明るみにし、視聴者に親近感を抱かせることで、応援しようという感情を駆り立てた。メディアといった武器を大いに利用したといった点こそ違えど、これら本質は、所謂メディア露出のほとんど無いB級・C級アイドルそのものである。

メディア露出がほとんどない、地方巡業型のB級・C級アイドルと同様に娘。を見れば、悲壮感漂う卒業は至極納得のいく事。B級・C級アイドルにとってファンとの接点が何よりも大事なのは、ファンとの結束力の強さこそが自身の存在意義そのものを反映しているからな訳であり、そのファンとの繋がりを断ってしまう卒業というものは、悲壮感がいっぱいで然り。何らおかしな光景ではない訳だ。

しかしそれでも、この様な状況を娘。に当てはめたときに、何故か違和感を感じるのは、娘。が一時的とはいえ爆発的な人気を得て、猫も杓子も娘。の音楽を聴き、歌っていたという異常な過去があるからであり、全てはこの一時的に「国民的アイドル」という肩書きをつけられてしまったことに起因する。

もちろん、事務所やプロデューサーのつんく♂も、そして娘。達本人も、B級・C級アイドルを育てる、あるいはそれになるつもりは端からなかった訳で、国民的なアイドルを目指していたのは事実。そして、結果的にはそれが達成され、狙った結果の国民的アイドルではあっものの、あまりにもそれがミラクルマジックでありすぎた。事務所やプロデューサーのつんく♂すらも予期してなかったほどに。

B級・C級アイドル的な起源をもった娘。が、日本一のアイドルグループになってしまった事がそもそも奇跡であると同時に明らかなる珍事。しかしそのあまりのミラクルさゆえに、いつまでもこの幻想的な部分を振り払う事が出来ないのであろう。娘。達自身と、そして娘。を取り囲む全ての人間が。

もうそろそろ、明確な方針を立てるべき時期に差し掛かってきたのかもしれない。無謀にも再び国民的アイドルを目指すのか、それとも本来あるべきB級・C級アイドル的な存在として落ち着き、コアなファンを大切にするべきなのか。
この事務所の一番の問題は、これらを両立させようとして、結果的にあまりにも中途半端かつ低脳なことしか出来ていない事なのだと私は思う。

しかし、この中途半端かつ低脳な様々な行為を事務所にさせる原因が、自分達ですら予期していなかった程にまで、「モーニング娘。が国民的になりすぎてしまった事」なのだとしたら、これはあまりにも皮肉な話ではある。
2003.5.11記

【第2章】 つんく♂の考え
娘。が、B級・C級アイドル的な始まりから、一時的にでも「国民的アイドル」という肩書きを持つにまで成長。しかし、その当時の栄華にかげりが見え始めてきたという現状から、その方向性について様々な葛藤の元、大いに空回りをしてしまっている事務所とは別に、プロデューサーのつんく♂自身はどの様に考え、そして行動を起こしているのか?ということを少し考えてみたい。

ここで、彼のプロデュース業が「音楽面」だけであると限定して話せば、恐らく娘。から誰が抜けようが、そして誰が新たに加入されようが、彼自身にとっては全く関係のないことなのだと思う。それは彼自身が表現するフィールド、彼の手で娘。を世間にアピールできるフィールドは、他でもない「音楽」であるわけで、彼にとっては自分自身の音楽スタイルを貫く事が重要であり、これは、娘。のメンバーがいかに変わろうとも、決して変わる事のないスタイル。自身の中でしっかりと確立した音楽さえあれば、メンバーの入れ替えなどには興味は持たないはずだ。

もちろんその彼が創作する音楽を実際に表現するのは、他でもない娘。であるわけだから、当然どのような人物が娘。にいるのかという事は、一見すると非常に重要そうではある。しかし実際はそうではなく、本当に重要なのは彼の中に宿る「モーニング娘。」という全体のイメージ像だ。

つまり、彼にとっては、彼の中にある「モーニング娘。」という全体のイメージのみが重要なのであり、これは極端に言ってしまえば、個々メンバーが誰であろうが全く関係ないことになる。その彼の中にある「モーニング娘。」というイメージからはみ出ない人物、彼自身が抱く「モーニング娘。」という色を濁すことなく、しっかりとはまる人物。そういった人物が娘。にいる事が重要であり、それはひとえに彼自身の抱く「モーニング娘。」というグループの全体像がしっかりと確立しているからこそ。少しでも彼のイメージにそぐわない違う色を出し始めたメンバーは、たとえそれが個人スキルの成長という、タレントとして、歌手として望ましい結果によるものであったとしても、もはや不必要と思うのかもしれない。

彼にとっては「モーニング娘。」だけではなく、「タンポポ」「プッチモニ」「ミニモニ。」などにおいても、彼自身が抱いている各グループのイメージが何よりも大切なのであり、所詮はそのイメージにぴったり合う人間、もしくは一番イメージに近い人間が、それぞれのグループに選ばれているに過ぎない。

これこそが、どんなにメンバーが変わろうとも、「モーニング娘。」「タンポポ」「プッチモニ」「ミニモニ。」というグループ名を、彼が全く変えようとしない最大の理由な訳だ。何よりもイメージが大切なのであり、個々のメンバーなどは関係ないのであるから、メンバーの入れ替えによってグループ名を変える理由がここには存在しない。
むしろイメージとしてすでに確立している以上、グループ名は変えるわけにはいかないと考えることの方が自然だ。

そういったイメージと彼自身が作る音楽。もちろんここには密接な関わりがあり、自身が抱く娘。というイメージにそぐう音楽の制作を行う。もちろんその逆として、今現在における彼の音楽的感性にそぐうように、今後の娘。のあるべきイメージを転化させる。
どちらにせよ、それらでいい結果を出す事、自分の納得のいく結果を出す事を、彼自身は常に目指している訳であり、やはり彼にとっては、今現在誰が娘。のメンバーとして存在しているのかなんてことはほんの些細な事に過ぎないのだろう。

しかし、何故彼がこの様な考えを起こすのか。
私が以前から大好きだったロックバンドが、メンバーの入れ替えをする際、残ったメンバーの内の一人が、ある音楽雑誌でこの様な事を言っていた。

『やめていったメンバーの事が好きだから、僕達の音楽を聴いていたっていう人はしょうがないけど、やっぱりファンってそういうものじゃないって考えたいですよ。僕達の音楽が好きだから今までファンでいてくれた。だから例えメンバーが入れ替わろうとも、今までと同じ、自分達の音楽をやれば、これからも変わらず僕達の音楽を聴いてくれる。ファンってそういうものだと信じたいですよね。』

正につんく♂自身の思いも、これと同じなのではないだろうか。
自分自身が手がけている音楽あってこそのモーニング娘。。自分の音楽的才能が枯渇しない限り、プロデューサーとしての勘が鈍ってしまわない限り、再び流れに乗る事は絶対に出来るはず。そのために、今重要な事はモーニング娘。のイメージを、自身が抱くイメージを、しっかりと確立させておく事なんだ。

プロデューサーとしてよりも、ミュージシャンとしての色の方が強い彼としては、この様に思っていても全くおかしくないと思うし、むしろこれこそが正攻法と言えるのかもしれない。

ただ、唯一の問題は、その彼が手がけているモーニング娘。が、紛れもない「アイドルグループ」であることなのだと思う。アイドルグループを手がける人間の戦略として考えると、これは愚計以外の何物でもないのだから。
2003.5.12記

【第3章】 娘。という「アイドルグループ」
モーニング娘。を手がける人間として、音楽面のみを重視する事が戦略上間違えているという考えは、恐らく誰もが納得のいく考え方であり、それは「モーニング娘。がアイドルグループだから。」という一言で全て説明がつく。つまりこれは、タレントとして絶対に必要不可欠であるファン(ヲタ)。その、娘。を応援するヲタのほぼ全てが、音楽に対する思い以上に、メンバーに対する愛着の方が強いからであり、これこそが娘。を指して当然のように「アイドルグループ」と言われている所以である。

ヲタにとっては、プロデューサであるつんく♂の抱く娘。の全体像などはどうでもいい事であり、「○○のいる娘。」という構造が何よりも重要であるため、自分の推しメンバーがいなくなれば、娘。自体に全く興味がなくなるという人間がいたって、これは何らおかしなことではない。だからこそ、つんく♂自身がそれほど気に留めていないメンバーの加入・脱退について、ヲタは異常なまでに反応しナーバスになる訳だ。

「○○ちゃんがいるから娘。が好き。だから娘。の音楽も聴く。」
この考えは何も娘。ファンに限って当てはまる事ではなく、所謂アイドルタレント、アイドルグループを応援している人間全てに当てはまる事である。ヲタにとっては誰が娘。にいるのかという事、ひいては自分の推しメンがいるという事こそが一番重要。当然この考えは、つんく♂の考えとは真逆の場所に位置し、ここにつんく♂の考えとヲタの思いの間に、ある種のギャップ・溝が生じるのである。

つんく♂は、アイドルだろうがそうじゃなかろうが、歌を歌っている人間がブレイクするのは、全ていい楽曲がきっかけであり、良曲無しにしてブレイクは有り得ないということに、確固たる自信を持っている。しかし、この彼の自信がここまで顕著に裏目に出ているのは、紛れもなくモーニング娘。が「アイドルグループ」だからなのだ。

もちろん最初のきっかけとして大衆に目を引かせる効率的な手段は、いい音楽を歌うという事なのかもしれないが、アイドルという存在が人気先行であることが当然として認知されている以上、所詮音楽自体はそれに付随するものに成り代わってしまうというのは明白であり、これは仕方のないことである。

結局、アイドルを売り出す際には、「可愛い子」「人気のある子」にいい楽曲を歌わせることが何よりも重要であり、「可愛くない子」「不人気な子」がたとえ同じいい楽曲を歌ったところで売れるはずがないのだ。何度も言うようにそれがアイドルなのだから。
そのアイドルを手がけている以上は、音楽の面だけにこだわりを持っていてはいけないし、いい音楽こそが全てなんて考えを持っていてはいけないはずである。しかしながらつんく♂は、娘。を決してアイドル的なフォーマットに置き換えようとはしないのだ。「モーニング娘。はアイドル。」現時点においてこれは否定しようのない事実であるにもかかわらず。

度重なるメンバーの加入脱退を行うことで、表面的な部分だけを変化させ、一般大衆の娘。に対する理解範囲を大きく逸脱させたばかりか、娘。をアイドルとして応援してきたヲタ達をも離反させる行為の繰り返し。彼に言わせて見れば「音楽」こそが全ての軸になっている訳だが、現在のこの結果から自分のこの考え方は正しいと、彼は胸を張って本当に言えるのであろうか。

彼らが何か行動を起こすたびに、本来味方としなければならないヲタ達との溝は深まるばかり。でも残念ながらこの溝は一生埋まらないのかもしれない。
2003.5.13記

【第4章】 主観的な感情から
これまでの話の流れでは、つんく♂の考え方に否定的な書き方をしてはいるが、これは娘。の現状を考えれば否定せざるを得ない状況であるために、このようになるのは当然である。しかし、一転してここではつんく♂の行為を擁護しようと思う。

実は私自身はつんく♂の考え方自体に間違いはないと思っている。私は「良曲無しにしてブレイクは有り得ない」というつんく♂の考えは正しいと思うし、もっと言うと「いい歌を歌い続ける事が出来なければ、娘。の存在価値はない」とさえ思っている。つまり、私自身はアイドルとしての価値だけを彼女達に求めてはいないのだ。

よってつんく♂の考え方には賛同できるし、この考えを持っているつんく♂にはある意味においては安心する事は出来るのかもしれない。しかしもちろん問題は多々あるわけで、それは音楽的な面を重視するつんく♂と、アイドル的な面を重視する事務所との間の、この考え方の差異。

恐らく、娘。のアイドル的な部分のプロデュースにつんく♂は一切干渉していないし、音楽面のプロデュースについては逆に事務所は一切関与していないのだと思う。同じグループを違った視点から捕え、それぞれで別々にプロデュースしているから、こんなにも前代未聞なグループが出来上がってしまった。これこそが他には無い娘。の特異性なんだと言ってしまえばそれまでだが、そもそもミュージシャン的な気質とアイドル的な気質とが共存などするはずは無く、これは本来対極するもの。あまりにもやり方に無理がありすぎた。

アイドルという視点で娘。を見れば、つんく♂のやり方が間違えていると言えるのだろうが、私自身、娘。をアイドルを応援するような視点で見たことがないために、つんく♂のやり方が間違えているとは言いたくはない。

「【第2章】つんく♂の考え」にて私は、つんく♂はメンバーの入れ替えなんてどうでもいい事と思っていると書いたが、当然音楽面だけで言えば、同じメンツであったっていくらでも「変化をさせる」ことは出来る訳であり、変化が必要なのは娘。の個性・キャラクター、更に言うと「見た目」の部分であり、これは当然アイドルという点で見た際に必要となるファクターで、つまりは「卒業・加入の繰り返し」といった行為は全て、事務所が行った愚行であると考えることが出来る。矢口がラジオで言ったという「つんくさんが悪い訳じゃない」というのは正にこの事。

もしかしたらつんく♂は、「やれ高橋をミニモニ。に入れろ」「やれ柴田をタンポポに入れろ」と事務所側から言われた事を、「へいへい」って感じでただただ受け入れ、今までと変わらず自分自身のイメージに合う各ユニットの音楽を作っているだけなのかもしれない。いや、きっとそうなのだろう。メンバーの入れ替えがなされたにもかかわらず、各ユニットにおける音楽面でのイメージに、特別な変化がなかった事もこれならば説明がつく。誰が入ってもミニモニ。はミニモニ。だし、タンポポはタンポポだった。

「常に変化させてあきさせない」と事あるごとにつんく♂がしつこく言っていた言葉は、アイドル的な面のみを重視する事務所の言葉だったのだ。

結局、ヲタの多くが娘。をアイドルとして応援しているという事実を考慮すると、本質的に重要なのはつんく♂のプロデュース業なのではなく、事務所のプロデュース業だと考える事が出来る訳だが、「常に変化させてあきさせない」と言い行った、メンバーの入れ替えも卒業も全て事務所の愚行と考えると、アイドルプロデュース業としては大いに失敗してしまっている訳であり、やぱり全ての問題はこのウンコ事務所にあるのだろう。

私は、娘。がこれからも自分の気に入るような歌をリリースし続ける限りはずっと聴くと思うし、今のメンバーが全員入れ替わったとしてもこの気持ちは恐らく変わらないのだと思う。逆に言うと、自分の気に入るような歌がリリースされなくなってしまったら、たとえ誰がいようとも娘。には興味が無くなってしまうのかもしれない。

短絡的に言ってしまえば、私にとっては娘。のメンバーよりも、つんく♂プロデュースであることの方が重要と言うことになる。これはあまり認めたくはないことなのだけれど。
2003.5.14記

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