過去ログ#11〜#20


娘。はキッズの受け口になるのか
石川さんと道重さんが、期間限定のユニットながらエコモニ。たるユニットを結成したのは、すでに皆さんご承知のことだとは思うのだけれど、ここにおいて注目すべきは、石川さんが「携帯電話の充電器を毎朝切ります」だとか、道重さんが「テレビの主電源を消します」などといった、心にもない省エネ対策を言わされていることにあるのではなくて、このユニット構成メンバーが卒業発表直後の石川さんと、そして道重さんであるということなのだと思う。

卒業の発表をしておきながら、一見するとそれとは真逆とも思える新ユニット結成の発表は、あれ?といった軽いフックとなり、ただのユニット結成よりは少なからず世間一般に対しても効果的。また、敢えて期間限定としたことで「特別感」が強まり、これまでにあった数々の単発ユニットとは違うんですよーといった区別をすることも出来る。そして、こういった今までとは少し違ったユニットであるこのエコモニ。のメンバーとして、何よりも6期の道重さゆみんがいることに大きな意味があるのだと思う。

そもそも6期は、加入当初から単独の仕事も与えられるほど事務所的には重要とみなされていて、最後のオリメンである飯田さんが卒業した後は、確実に6期メンバーが娘。を引っ張っていくという構造になるのだろうし、そのための下準備的な位置付けとしてこのエコモニ。の結成というのがあると考えて、この場合はいいのだと思う。とりわけここ最近の6期といえば、テレビ番組のちょっとしたカット割といった部分でも、明らかに意識的に多めになっているわけであり、これら全ては「これからのモーニング娘。」を形成するための一環したプロジェクトに違いない。

辻ちゃん加護ちゃんの卒業に加えて、飯田さん、石川さんの卒業というのは、この辺のメンバーを差し置いて6期を中心に持ってくることに対する世間からの(というよりもヲタからの)反発を避けるためにとった措置だったのかもしれない。大々的な変革を施し、今までのイメージやらしがらみやらを完全に切り捨てなければ、これからのモーニング娘。の形成に伴う6期シフトをスムーズに行うことはやはり難しいのだし。

ただ、新たなるモーニング娘。の形成のために行っている、これらの大々的な変革を考えた場合、本当にそれは、6期を娘。の中心にシフトすることだけが目的なの?といった疑問は確かに残る。

そんな中、最も気がかりなのは、この4月に中学生になってしまったハロプロキッズのメンバー。中学生になっても「キッズ」というのにはかなり無理があるのだけれど、困ったことにこの子達の「受け口」が未だ確立されていないのだ。事務所は何よりもまず、その受け口を用意する必要があるのだけれど、きっとその受け口になってしまうのが、これからの娘。なのだろうなあ といったような考え方は、極めて自然な考え方なのだと思う。娘。になるための条件が「中学生以上」というものであるならば、その条件は間違いなくクリアしているのだから。

ハロプロエッグオーディションの合格者が娘。のメンバーになることを、つんく♂は早々に発表してしまったのだけれど、これがまた、娘。がキッズの受け口となる一つのきっかけとして働く可能性は十分にある。エッグオーディション合格者とともに7期メンバーとして、どさくさ紛れに元キッズのメンバーが加入してくる可能性は全く否定できない。美貴ティの娘。加入時に、すでにオーディション合格者以外のメンバーが娘。に加入するという前例は一度作っているのだし。

結局これらは、蓋を開けてみるまではわからないことなのだけど、半年ぐらい前までは絶対に認めたくなかったキッズメンバーの娘。加入に対して、今のボクは特別に何とも思っていなかったり。なんて言うか、「いいんじゃないの?加入してもさ。」みたいな脱力感でいっぱいである。

これはきっと、エコモニ。におけるかわいらしい妖精のようなさゆみんが、激しく癒し系だったことが原因に違いない。あの衣装には完全にノックアウトだった。
(11)

今日も勝者 明日も勝者
10日にNHK総合で放送される「夢・音楽館」という番組にあゃゃがゲストとして出演するらしい。

この番組、昨年4月から始まった番組らしく、パーソナリティは桃井かおりさんだとか。
この人の強烈な個性と言えばすさまじいもので、様々な人間が存在する芸能界の中でもひときわ異彩を放っており、個性・キャラクターという面では、同世代のタレントの中でも抜きん出ているはずのあゃゃですらも、影が薄くなってしまうほど。たとえ司会という、ゲストに対しては一歩引く立場にいたとしても、結局は桃井かおりの独断場で番組が終わってしまうのではないかしら などと、ボクは今から少々センチメンタルな思いをしているわけである。

しかしそれ以上に、もしかしたらいつものように見忘れてしまうのではないかしら などと考え出すと、とても心配で、いても立ってもいられなくなり、ここは万全を期して今から録画予約をしておこうかしら などとチャーミングに思いふけってみたのだけれど、ののたんの二人ゴトがあることを思い出し、泣く泣く諦めるに至った。

見忘れないようにしなきゃなあ。

さて、先程のリンク先の記事でやはり気になるのは、あゃゃが番組内で発言したという「早く結婚したい」という言葉である。ここですぐに、「いや、そんな。すぐに結婚とか迫られても、こっちにも、ほら、心の準備とかさ、そういうのもあるしさ。いや、ほんっとまいっちゃうよなぁ〜」などとニヤケながら口走ってしまうのは、まあ、お約束と言うことで、ここはどうか大目に見てもらいたい。

しかし、この記事によると、あゃゃが「早く結婚したい」と発言したその理由は、母親が21歳であゃゃを出産し、お母さんが若いというのが個人的には嬉しかったから ということになっているのだけれど、これは、よくよく考えてみれば、ただ単に「子供が早く欲しい」と言っているだけであり、これでは「早く結婚したい」ということにはならない気がする。なにも結婚しなくたって出産はできるのだ。だからこれでは、結婚をしたいという願望にはならないのである。

つまり結論を言ってしまうと、「あゃゃはまだ結婚がしたいわけではない」ということになるのであって、この場合、「慶太お前は敗れたり。」ということになる。「慶太はマジで敗れたり」ということになる。「慶太はお話にならないくらい敗れたり」ということにもなる。ただ、万が一にも出産した子供が慶太の子供だったりした場合は、惨敗である。もはやお手上げである。そうはならないことを祈りたい。

ところで、いつもの事ながら、あゃゃは理想の男性として「さわやかな人」ということを挙げている。以前は確か「面白い人が好き」と言っていた気がするのだけれど、ここ最近は決まって「さわやかな人が大好きです」アピールなのだ。これは相当ボクのようなさわやかな人が好きだという証なのだろう。

ただ、気が付くだろうか。これは裏を返せば、「さわやかじゃない人はキライ」と言っているわけであり、つまりそれは、「ヲタはさわやかじゃないし、キモイからキライキライキライ大キライ」とズバリ言ってしまっているのと、最早同じことなのだ。いや、それどころか、むしろこれは、「さわやかな人が好きです」アピールというよりも、「キモイ人は大キライでーす」アピールと考えた方がよっぽど妥当なのである。ははは。

君ら全員完全に敗れたり。
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こいつは目も当てられない
今に始まったことではないのだけれど、昨今のハロプロ関連のリリース量の多さは酷いもので、これには目も当てられない。今週の水曜日には、なんと6タイトルもリリースされるらしく、6月全体で見てもかなりのリリース量である。これには目も当てられない。

しかもその商品と言えば、写真集であったりハロモニのDVDであったりと、彼女達の本業であるはずの歌ではないお仕事のリリース品ばかりであって、肝心の新曲リリースというわけではないのである。しかも新曲がリリースされるかと思いきや、最近はカバー曲ばかりであり、ボクとしては何とも不満ばかりが募ってしまう。本当にもう、目も当てられない。

確かにこれだけユニットが乱発してしまえば、つんく♂一人が全てを手掛けることは物理的に不可能であり、それ故、とりあえずカバー曲でごまかしてみたり、ポイってな具合にはたけに投げ出してみたりしているのだろうけど、そんなものは彼の勝手な事情であり、所詮は単なる言い訳に過ぎない。ユニット乱発の元凶は、全て自分自身が生み出しているものなのだから。

これから先も、娘。からの卒業者がソロとして活動していく上で、その肩書きは一応「歌手」ということになるのだろうけど、現状を考えると、これからは今までとは違い「歌を歌いたくても歌えない」というメンバーがほとんどになるのだと思う。歌を歌うには、当然楽曲提供者がいなければならないのだけど、その提供者がいないのである。そうなればやはり、「卒業後は単なるタレントと化す」ようになるのであろうことは、現状では残念ながら否定することはできない。まあ、人によってはそっちの方が好都合という人も確かにいるのだけれど。

しかし、結局そう考えてみると、これからのモーニング娘。は、歌唱力を磨くのではなくて、演技力やテレビ番組における立ち振る舞いなど、歌手業とは全く関係のないスキルを身に付けることの方が重要ということになってしまう。娘。をはじめハロプロメンバーは歌を歌ってこその集団であると思っているボクとしては、これは由々しき事態だと思う。「歌なんてどうだっていいのよ。だから私は歌の練習なんて一切してないんだから。」などと、たとえ目も当てられないようなコメントを石川さんが言っていたとしても、ボクとしてはやはりこれには乗ることはできない。

写真集やらテレビ番組のDVDやら、歌とは関係のないヲタグッズが世に溢れることを考えるたびに、ボクはとても不愉快な気分になってしまうのだ。
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懐かしき日々
ボクの思考回路がどうしようもなくいかれていた頃というのは、日夜インターネットに明け暮れ、モーニング娘。のプロモーションビデオをいくつも捕獲するといった行為を、当たり前のように日課としていた頃。ブックマークに登録されているその50余りのサイトと言えば、全て動画を配信してくれる気前のいいサイトばかりであり、そのアンダーグラウンドな世界にどっぷりと浸っては、まるで狂った猿のようにJPEGファイルのみをダウンロードしていたあの当時。

動画をゲットするためには、あらゆる努力を惜しまず、偽装を解除するためのツールは優に100は超えていた。そのうちとんだ錯覚を起こしたボクと言えば、偽装を解くという行為を、まるで提供者との知恵比べかのように捉え、解けないこととはすなわち負けることなのだと自分に言い聞かせていた。4重、5重という多重偽装を解除しては、勝ち誇るように狂気乱舞し、顔も知らない提供者に向かって「見たか―――!解いたど―――!!」と高々と拳を突き上げていた、そんな若かりしあの日々。

その当時は、たとえすでに手に入れているプロモであったとしても、目に入ったものは見境もなく全て手に入れて、少しでも画質のいいものを保存するという発狂全開モードでばく進していた。実際あゃゃの「LOVE涙色」にいたっては、手に入れること20回はくだらない。ただのトチ狂ったダウンローダーだったという見方もあるのだけれど、間違いなく、まだ見ぬ驚愕の高画質を手に入れるのだ!という大きな夢に向かって現代を生き抜いていた、そんな素晴らしく充実した日々だったのだと思う。

好きなもの・欲しいものを手に入れるために、数々の苦労をするからこそ、それを達成した際の喜びがある。結果なのではなく、あくまでもその過程こそが大事なのであり、あの当時これは、結果主義といった世の中の古い体質に対する一種のアンチテーゼでもあったのだ。

ところがどっこいである。そんな充実した日々をボクが過ごす中、このたゆまぬ努力を踏みにじるかのような、憎らしく、そして腹立たしい奴が突如世に出現したのだった。そう、DVDである。

奴と言えば、高々夏目漱石数枚と引き換えに、簡単にお目当てのものが最高の画質で手に入ってしまうという、まさに結果主義の最たるもの。世の人々に「努力」という大事な人間の本質を失わせた主たる原因であるとともに諸悪の根源でもある。こんなものをいつまでも世の中に蔓延らせていいはずがない。しかも、ボクが以前から恐れていたとおり、ついにあのタンポポにまでその魔の手が伸びてしまったらしいのだ。3000円を支払えば、簡単に当時のタンポポのプロモが高画質で手に入ってしまうらしい。これは一体どうしたことか。これは一体どうしたことか!

人間が努力をすることを止めてしまえば、あとは堕落していくのみである。人間が人間らしく生きることを、たかが3000円ごときで放棄してしまっていいのだろうか。苦労しながらも充実していたあの日々を自ら放棄することが、人間らしい行為と言えるのだろうか。皆さんはその様な行為に至ったことを、果たして胸を張って他人に言うことが出来るのだろうか。いいや、そんな堕落した生活が許されるはずがない。3000円で廃人と化すなんてことがあっていいはずがない。3000円で人間をやめるなんてことがあっていいはずがない。

だから、だからせめて2000円にして欲しい!

実に漢らしく、ボクは心からそう叫んだ。
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脳ある鷹は爪を隠す
今やテレビ東京の超目玉番組であるとさえ言われている「二人ゴト」において、道重さゆみさんが視聴者にまざまざと見せ付けたテンションと言えば、スーパーがつくほどハイなものであり、そのハイテンションぶりには完全に圧倒されてしまった。しかも、そのテンションにはかなり不規則な波があり、ピークは突然やってきたりするのだからものすごくたちが悪い。「道重さん、あなたってばもしや酔っ払っていらっしゃるのでは!?」などと訝しく思ってしまうほど、終始一人ぶっ飛びミラクル・ハイテンションであったのだ。

ここまでハイなテンションである道重さんを見たのは、ボクは初めてであったため、その姿にかなり狼狽してしまったのだけれど、一体全体何が彼女のテンションをここまで引き上げたのだろうか。何ゆえにこのような間違えたテンションに至ってしまったのであろうか。本来この番組は、わりとゆったりとトークをする感じでの番組であり、一人ハイテンションでお送りするような番組ではないのだ。この完全に場違いなハイテンションは、ボクの中の「道重さゆみ像」を大きく覆すものであった。

番組中の彼女ときたら、やりたい放題もいいところである。
「髪飾りはあめ玉みたいで好きぃ〜」などといった、アホ丸出しなコメントを唐突に言い放ったかと思えば、その後はずーっと髪飾りトークを繰り出すのである。しかも一人ハイテンションで。激しく興味が湧かない。更にその上、「髪飾りは自分の子供用に今から買っているんです〜」などと言い出しては、しつこく将来の子供のことを語ったりもしている。しかも一人超ハイテンションで。現在妊娠中というならば話は別だけど、こんなに気が遠くなるような話などには全く興味は持てない。

このトークで二日も引っ張るとは、これはもうちょっとした拷問だとすら思う。

三日目にいたっては、もう手が付けられない。「お姉ちゃんが好き」という理由のみで、番組収録中にもかかわらず「お姉ちゃんに電話」などというありえない行為を実行するのである。もちろんこの間、姉の声などは聞こえやしない。そんなものを見せ付けられて、見ているこっち側は一体どうすればいいのか。唐突にピークに達する道重さんのテンションに、ただただうろたえてる以外になす術がない。そもそも、これのどこに萌えどころがあるというのか。生粋の萌えリストとしては、やはりこれが一番の問題なのだと思う。

四日目には得意の歌まで披露しちゃったりもしていたのだけれど、やはり、あの伝説のユニット「エコモニ。」において「歌がうまい方」というミラクルな称号はダテではなかった。ファイティングポーズなどは比較にならないほどにダテではなかった。

聴いている側が、無性に気恥ずかしくなってしまう歌声というのは、ある意味とても貴重だと思う。そしてその歌声を聴いた者に対して、「もう二度と聴かなくてもいいかも」という気持ちにさせてしまう歌というのも、ものすごく貴重だと思う。そして、そんな貴重な歌声を持つ歌姫が二人もいるというモーニング娘。は、改めてすごいなあ 尊敬しちゃうなあ なんてことも思ったりする。

とにもかくにも、今回の「二人ゴト」。途中道重さんがやたらと「マンゴー」発言を連発した時は、えらくハラハラドキドキしたりもして、ちょっとした番組の見所だったりしたとは思うけれど、それ以上にやっぱり、あの道重さんの異様なまでのハイテンションと、独断的な態度に、素で何度もひかされてしまったというのが正直なところか。

道重さゆみ。やはり侮れない。
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週に一度の地球温暖化
ここ最近のボクの中では、驚くほど亀井熱が急上昇中であり、これはもう、先日幕張メッセにてエコモニ。さん達が7万人もの哀愁漂うヲタ達を騙しつつ、少しばかり冷ましたはずの地球を、再び熱っちくしてしまうんじゃないか というほどの勢いである。そして、この亀井ちゃん熱がボクの中で具体的にどれくらい煮えたぎっているのかと言えば、「亀」という言葉を目にしたり耳にした瞬間に、即座に頭の中で「亀井絵里」に変換してしま程なのである。亀といえば亀井絵里。亀田の柿の種だって亀井絵里。たとえ亀仙人であったって亀井絵里。言ってしまえば亀甲縛りだって、今のボクにとっては亀井絵里なのだ。

亀井絵里に亀甲縛り。むむむむ。

当然のことながら、ただただそのかわいらしい笑顔がテレビ画面に映し出されるだけで、ボクの中の亀井熱が上昇してしまうわけなのだけれど、先日のハロモニはとりわけやばいもので、この時の上昇度は自分でも手がつけられないほどであった。いや、実を言うと先日のハロモニでは、それほどえりりんは映ってはいなかったのだ。辻ちゃん加護ちゃんばかりが番組を牛耳っていて、肝心のえりりんといえば、高々15人分の1人程度の映り方にすぎなかった。しかし、そんな映り方であったにもかかわらず、ほんのワンカットでもその姿が画面上に映し出されるだけで、ぐぐぐぐぐい〜んとボクの中での亀井熱が上昇を遂げてしまうのである。

そんな中でも、一番上昇度が高かった場面といえば、「一問多答クイズ」という対決の場面。「7つの曜日を英語で言うと」というお題が出されたのだけれど、えりりんってば、Monday、Tuesdayと答えが出た後の3番目に、Wednesdayをかるくすっ飛ばしてThursdayなどと答えてしまったのである。この場面には、「えりりん、ダメだよ!そこは順番に言わなきゃダメだよ!」と思わず心の中で10回程復唱してしまったほどであった。これには亀井熱が急上昇だ。

恐らくたいていの人にとっては、「過去5年間でシングルがミリオンセラーを記録したアーティスト」というお題を出されたときの、うつむき加減に一生懸命考えているえりりんのその横顔こそが、最高の萌えどころだと感じるのだろうけれど、これはあまりにもオーソドックス過ぎるし、正直言ってキモ過ぎる。まったく、君達は何を考えているというのか。

こうやって「あのThursday発言の場面こそが最高の萌えどころだよネ!」とすんなり言えてしまう所が、亀井ヲタとしてのボクの誇りであると同時に、ボクがいつまでも「さわやか」と言われてしまう所以なのだと思う。間違いなくそうなのだと思う。自分独自の萌えどころを見つけたものこそがヲタであるわけで、他人と同じ場面で萌え転がっているようじゃあ、まだまだヲタは語れないのだ。

しかしまあ、ここまで述べてきて少々気が引けるのだけど、このボクの中での亀井熱というものは、言うまでもなく先日のハロモニを観賞した直後に抱いた感情であるわけで、今のボクは果たしてどうなのかと言えば、まあ、これと言って特に亀井熱なんてものは存在していなかったり。

萌え転がるのは週に一回で十分である。
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騒いだもの勝ちのコンサート
6月29日の火曜日に、なっちのファーストコンサートツアー〜あなた色〜に行ってきた。なっちの初ソロツアーということで、色々と思うことはあったのだけれど、今回はそういったこととは少しばかり離れたお話。

会場に着くと、普段とは違う雰囲気が会場内に漂っているのに気が付いた。
それは平日に行うコンサという影響のため、パラパラとあった空席によるところもあったのかもしれないのだけど、冷静になって考えてみたら、これらは当然のことなのかもしれないなあ とも思ったのだ。というのも、平日にわざわざコンサに来るぐらいなのだから、会場内には、ボクのように、「なっちが大好きで大好きでたまらない」って人達ばかりが集まっているはずなのだ。普段のコンサのように、「ただ騒ぎに来ましたー!」って感じの人は、全くいないと考えることの方が自然であるし、そうであれば開始前の会場雰囲気が、普段と違うのには納得がいく。

そんなことを考えながらボクは、コンサ開始前に座席に座りながら、「なっちのソロ初コンサートを、じっくりと聴き入ることが出来るのだな。」などと、とても安心した気になっていたのだけど、いざコンサが始まった途端、その考えが完全に甘いものだったことに気が付かされた。コンサ開始の一曲目「だって生きてかなくちゃ」で、目の前にいた人が、ステージそっちのけで、いきなり回りだしたり、キモチの悪い踊りを得意げに披露しちゃったりしだしたのだ。その醜悪なる光景に、開始早々ボクは大幅に戦意を喪失してしまった。

しかも、ボクの座席はカメラとか音響の席から通路を挟んで右側の席で、1曲目の途中に、恐らくキッズだと思われる子達が、目深に帽子をかぶりながらゾロゾロと現れ、そのカメラ席の前にあった不自然なまでの空席部分に陣取りしたものだから、ボクの前にいた数人は、ステージそっちのけでそちらの方ばかりを見て、ワーワーはしゃいだりもしていたおかげで、こっちまでステージに集中が出来ないという状況にあった。実に迷惑千万な話である。

「この人達は、何が目的でコンサに来ているのだろう。」と、ふと疑問に思ってしまった。
コンサートに来ているにもかかわらず、曲を聴きに来ているわけでもない。まして、なっちのパフォーマンスや、ステージ上の立ち振る舞いを見に来ているわけでもない。ただただ騒ぎに来ているだけなのだ。実際に本人が、どういうつもりで来ているのか知る由もないけれど、少なくともボクにはその様にしか見えなかった。騒ぐことが目的なら、もっと他に適したところはあるはずなのに。

ボク自身これまでに、遠くの方で踊り狂っている人を見たことは何度かあったのだけれど、さすがに目の前で踊り狂っている様を見せ付けられると、いい気分はしないものである。ボクが生粋のなちヲタであったら、なっちが真剣に歌っているというのに、それを完全に無視をしているかの行為を繰り返している姿を目の前で見せられれば、今回とは比較にならないほど気分を害していたはずだ。今まで参戦したあやコンで、そういった人間が近くにいなかったというのは、せめてもの救いなのかもしれない。

こういった状況に対して、それは「コンサ自体がつまらないから」「つまらないコンサしか出来ないスタッフ陣が悪い」と、その原因を、つんく♂やらスタッフやらに帰着してしまっているのを目にすることがあるけれど、ボクはそれは違うと思う。

平日のコンサでありながら、こういった人が紛れ込んでしまうような現状のハロプロのコンサであるならば、それに携わるつんく♂やらスタッフ陣やらが、真剣に音楽を聴かせようというコンセプトを持たないのは、最早やむを得ないことなのだとも思う。どんなに真剣に歌を伝えようと努力をしたって、それを受け取る側に受け取りの意志がないのであれば、これは単なる無駄な努力で終わってしまう。ならば、「わざわざ労力を割くのはバカらしい、適当にやったって同じだ。」と彼らが考えてしまう可能性はもちろんあるのだろうし、それは彼らだけの罪ではないのだと思う。

こういった状況が、スタッフにとっても、歌い手にとっても、もちろんヲタにとっても、決していい状況だとはボクには思えない。

コンサは、ある程度ヲタを対象にしたものだろうし、何をどうしたところで、今更ながら、今後多くの一般人がコンサに足を運ぶような状況になるとは、ボク自身思ってもいない。そもそもこうやって「ヲタ」「一般人」という区別をしてしまっている時点で、ボクも同じ穴のムジナなような気もするけれど、だからと言ってコンサを、「ヲタが典型的なヲタ行為で騒いで満足する場」のままにしてしまっては、今後のハローに、「歌」という面では未来はないのだと思う。騒いだものは楽しい思いをし、それを見ている人間は気分を害する。「騒いだもの勝ち」みたいになってしまっている現状が正しいとは、ボクには到底思えないのだ。実際に騒いでいる人には、全く伝わらないことなのだろうけど。

小さい頃から歌手になることを、そして大きな会場で観客を前に、自分の歌を披露し、「聴いてもらえる」ということを夢見て、まさにその夢が実現しているというのに、その中には「ちっとも歌なんか聴いていないね。あんたの方すら見てないね。」という人間が混ざってしまっているということを、なっちなり、あゃゃなりはどう思っているのだろう。ステージ上からは、いちいちそんなものは見えないのだろうし、大して気になっていないのかもしれない。でも、確実にそういった人は会場内に存在しているし、今のままでは、そういった人が増えることはあっても、間違いなく減ることはないのだと思う。

もしかしたら今となっては、ハロー関連のコンサに、真剣に歌を聴いたり、真剣にステージ上のパフォーマンスを見ることを目的として参加すること自体が大きな間違いなのだろうか。

物事には全て必ず限度というものがある。ボクとしては、その限度を一人一人がしっかりと理解して、意識を持ってくれさえすれば、これらは全て解決することなのだと思うのだけれど。
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女子かしまし物語6分間聴けないシンドローム
7月22日にリリースされる、娘。のニューシングル「女子かしまし物語」を、ボクもすでにラジオ音源で聴いてはいるのだけれど、確かにこの曲は今までの娘。にも無いような、一味違ったノリのアホっぽくて「変」な一曲で、なるほど、以前に「もはアト」で『超マニアックでオタッキーなナンバー』と紹介されていただけのことはあると思う。こんなシングル曲がリリースされることは、後にも先にも今回だけなのかもしれない。ただこれが、今までのモーニング娘。的な「変さ」「「オモシロさ」と全く同じなのかと言えば、今回ばかりは少し違うのだとボクは思う。

突拍子もないことを平然と行ってしまう、いい意味で「変」というのが、娘。の特徴であり、つんく♂の狙いの一つだったりするのだろうけど、ここで言うこれまでの「変」とは、どれもこれも音楽をベースとしたものであり、楽曲として「オモシロイね」と評価できるものであった。けれど、今回の曲に関しては、その「変」な部分がどこにあるのかと言えば、それは楽曲によるものなのではなくて、これまで散々活動しては、メディアにも激しく露出しているはずのモーニング娘。が、実に今更ながらに一人ずつ「自己紹介」をし出すと言う、この一点のみに尽きる。

楽曲のオモシロさなんてものは何も無い。単調なAメロとサビの繰り返しを、6分間という、気が遠くなるほど長い時間歌っているだけである。それどころか、この6分間という長時間と、何のひねりも無い単調なメロディーというコンボにより、聴いている人間が途中で激しく飽きてしまうという、最悪な状況が生み出されている。こんな単調な曲を、何度も何度も繰り返して聴こうと思う人が、世の中に果たして何人いるのだろうか。そして、繰り返し聴こうという気持ちになれないような曲のCDを、実際に購入しようと思う人は、果たして何人いるのだろうか。「変」な歌には違いないのだけれど、そこには楽曲的なオモシロさが全く無く、単なるオタッキーなアイドル音楽で終わってしまっているのが一番の問題なのだと思う。

つんく♂は以前に、「モーニング娘。をアイドル的なフォーマットには置き換えない。それはほとんどが失敗しているから。」などといったようなことを、自ら口にしていたはずである。にもかかわらず、何故今はその失敗例のフォーマットに置き換えてしまっているのか。「たとえアイドルであっても、突き抜けるきっかけとなるのは、楽曲の魅力に他ならない」とまで言っていたつんく♂の事。この曲には、その肝心の「楽曲の魅力」が全く無いということは、彼自身が一番よくわかっているはずなのだけど。

確かに単調な曲にだって、メリットはあるのだと思う。単純なだけに耳に残りやすく、すぐに覚えてもらえるのだろうし、歌詞が自己紹介風ということも、気を引くための要素としては有効なのかもしれない。つんく♂は少なからずこの辺を狙ってきているのだろうし、この狙いが当たる可能性は、前回の浪漫のようなまともな曲よりも、つまらないけど「変」なこの曲の方が、ずっとずっと高いのかもしれない。

ただそうは言っても、そういったことは分かっていても、現時点におけるボク個人にとってのこの曲の魅力の無さとは、やはり酷いものである。
それを端的に一言で表すと「もういいよ」。ボクにとってこの曲は、「もういいよ」な楽曲なのだ。

すでに述べた、「何度も繰り返して聴こうという気になる、ならない」なんてレベルには、ボク自身、実は到底行き着いていなくて、とりあえず1度通しで聴いてみようという段階でありながら、5人目の辻ちゃんぐらいで、すでにこの単調なメロディーに飽きてしまい、7人目のマコぐらいの時には最早どうでもよくなってきて、10人目の矢口さんあたりで停止ボタンを押すという、お決まりのパターンを毎回繰り返しているのだ。

こんな単調な曲を、6分間も聴き続けるだなんて全くもって信じられない。ボクにとってはありえない。
ボクは恐らくきっと、「女子かしまし物語6分間聴けないシンドローム」なのだと思う。

とは言え、まだラジオ音源でしか聴いていないわけだし、歌って踊るのがモーニング娘。の醍醐味なのだとしたら、実際にテレビで歌っている際のパフォーマンスを目にしていない今の段階で、この曲の良し悪しを判断してしまうのは間違っているのかもしれない。もしかしたら、音源だけでは決して分かり得ない、とてつもないオモシロさがライブパフォーマンスの方には隠されていて、それがこの歌そのものの印象を大きく変えてしまう可能性だってあるわけだし。

そうであれば、その極わずかな可能性にかけてみたいというのが正直なボクの気持ちであり、歌って踊っている娘。の姿が、良い意味で「変」で「オモシロイ」ものでありますように と今はそう願うばかりである。
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つんく♂の青春はノーサンキュー
いくつかのサイトで何度か目にしてはいたのだけれど、ボクとしてはとくに気にも留めることの無かった、あゃゃニューシングル「YOUR SONG〜青春宣誓〜」白ハイソックス事件。気に留めていなかったのは、ボク自身が、その白ハイソックス姿のあゃゃを実際に目にしていなかったから、というのが一番大きな理由なのだけれど、実は、先日のMステにて、ついにその白ハイソックスを身に付けたあゃゃを目にしてしまった。

白いハイソックスや!白いハイソックスなんや! by つんく♂
酷い。正直言って、これは酷い。酷すぎる。ここまで酷いとは思ってもみなかった。
一体何をどうすれば、このような組合わせが出来上がると言うのか。これでは、せっかくの制服姿が台無しではないか。

あゃゃと言えば、18歳になったばかり。制服がバッチリ似合ってしまう年齢であり、一般人で言えばバリバリの女子高生なのだから、普通の制服を普通に着てさえいれば、何ら苦労すること無しに、崇高なる萌ゑが提供できるという究極の素材なのだ。しかし、その究極の素材を、全く生かしきれない、白ハイソックスという最悪のチョイス。このあまりの衝撃には、思わず眩暈を起こしそうになった。

しかもそれだけではない。一番目立つ白ハイソックスにばかり目が行きがちだけど、よくよく見ると、この衣装は全ての部分で、かなりいけていないことに気が付いてしまう。パピコのCMの際の制服も、かなりダサいものであったのだけれど、今回も、それに勝るとも劣らぬほどのダサさだと思う。衣装を考えた人間の美的センスを激しく疑ってしまう。

「清潔感」が重要となる商売であるゆえ、ルーズソックス等の衣装はさすがに無理というのは理解できるのだけれど、その結果がこの衣装に行き着いたということについては、全くもって理解することが出来ない。あゃゃという極上の素材だったからこそ、何とか最低限の体裁は保てているものの、もしこれを違う人間が着ていたりなどしたら、これは完全に放送事故になっているとすら思う。

よりにもよって、昭和の香りがぷんぷんと漂ってしまうような、こんなダサダサな衣装を着させるだなんて。こんな酷い衣装は、いたって正常な人間であれば、確実に「ありえない」と思うのだろうから、いかれた人間がこの衣装を選んだのか、もしくはわざとこうやったとしか最早思えない。

しかしもしそうなのだとしたら、衣装を選ぶ際に一体何があったのか。

ボクが思うに、結局のところこれって、つんく♂にとっての青春時代を体現しているわけで、彼にとっての青春時代、女子高生が身に纏う「制服」と言えば、今回の様な時代遅れの制服であり、それに欠かせないアイテムと言えば、「清潔感溢れる白ハイソックス」なのである。昭和時代のおっさんの、はかなく淡い青春時代の思い出。そんな思いを抱くつんく♂のおっさんが、「白いハイソックスや!制服といえば白いハイソックスなんや!白いハイソックスを穿かせるんや!ロックや!ロックなんや!シャッハ―――!!」などと、いつものようにわけのわからないことを口走り、無理矢理に自分の変態癖を押し付け、このような衣装をあゃゃに着させるという暴挙に出たに違いない。

こんな衣装は、自分自身のコスプレ癖だけに留めておいて頂きたい。ボクらヤングメンにとっては、甚だ迷惑な話である。

今のボクには、「全くもって、つんく♂のヤロウはよー。いつもいつも余計なことばかりしやがってよー。そのうちウンコ投げつけるぞー。」という思いでいっぱいである。衣装にばかり目が行ってしまって、肝心の曲の方は上の空だった。
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モーニング娘。 ぎゅっと詰めてみました
聴き所といえば、えりりんの「こっち。う〜ん。こっち…」といった、乙女チックに迷ってしまっているかわいらしいセリフの部分のみ、ということで誉れ高い、モーニング娘。23枚目のニューシングル「女子かしまし物語」のプロモーションビデオは、実は曲だけを聴いているだけでは決して分かり得ない、とてつもない「オモシロさ」が詰まった作品となっていて、6分間という無駄に長い時間ですらも思わず忘れてしまうほど夢中になれる出来具合となっている というのは恐らく多くの人がすでに承知のことなのだと思う。

その「オモシロさ」の理由とは、電車内という狭い空間で、14人の娘。たちが、わーわーと楽しそうに戯れながら歌い踊るという、ヲタとしてみたらたまらないぐらいの「モーニング娘。がぎゅっと詰まってます感」に他ならない。


事実、このプロモから発せられるモーニング娘。てんこ盛り具合というのは尋常ではなく、ただでさえ14人という大人数であり、普段からてんこ盛りであるにもかかわらず、その14人全員が狭い空間でひしめき合っているという状況が、うまい具合に、より一層のてんこ盛りっぷりを演出しており、このプロモからは、今までの娘。のプロモにもなかった程の、実に贅沢な印象を受けるに至る。

この「モーニング娘。がぎゅっと詰まってます感」の演出というのは、あらゆるところまで徹底されていて、その一つが、「固定のワンカメラをベースとして、このプロモが構成されている」ということなのだと思う。

めまぐるしいカット割は、この曲のテンポを考えると避けられないことなのだけど、複数のカメラを使用した、そのめまぐるしいカット割に伴って、視聴者側の「視点」が変わってしまうような組み立て方をしてしまえば、自ずと「モーニング娘。がぎゅっと詰まっています感」は半減してしまう。そこを敢えて固定ワンカメラの構成をとることで、カット割を減らすことなく、見事に「ぎゅっと詰まっています感」の演出にも成功しているのだ。
これは、「空間の狭さ」を強調する効果による「ぎゅっと詰まっています感」の演出には、固定ワンカメラの構成が最も効果的であるということを、作り手側がよく理解したうえでの結果である。

しかも、そういった娘。てんこ盛り具合に加えて、このプロモには、狭い空間で実に楽しそうに娘。たちが戯れている、といったオマケまでついているのだ。これには確かに、思わず夢中になって見てしまうだけの要素が詰まっている。このプロモの、娘。がぎゅっと詰まった贅沢ぶりといい、その娘。が、楽しそうに戯れながら歌い踊る様子といい、ヲタにしてみたら、これらにはたまらない魅力を感じるに違いない。

ところがである。残念なことに、このプロモが発しているこの多大なるエナジーを受け取り、そこに多くの魅力を感じ、そして、結果としてもろ手を挙げて喜んでいるというのは、他でもない世間的に「ヲタ」と呼ばれている極一部の人達だけなわけであり、普通の人にとってみれば、たとえ狭っくるしいところでモーニング娘。がわーわー楽しそうに戯れていようが、そこから何ら感じることなどは無いのである。これは考えてみたら当然のこと。

結局のところ、この曲の『超マニアックでオタッキーなナンバー』というイメージは、この素敵なプロモーションビデオの出来で払拭するどころか、その出来具合から、ただ単に、より強力なヲタ臭を発する結果となっただけだったのだった。まことに残念な結果であると思う。

あ、ちなみにボクの場合は、このプロモを見て、オモシロイ構成だなあ とは思ったものの、わっしゃー!!などと歓喜しながら、アドレナリンを放出しまくるなどという恥ずかしい事などは決して無かった ということだけは断っておきたい。ボクが、いつでもどこでも硬派なヲタであることを、皆さんは是非とも忘れないで頂きたい。

…などと強がってはみたものの、実を言うと、真にもって自分自身でも信じられないことが、このシングルV鑑賞中に起こってしまったのであった。あうあう。

それは、メイキング映像鑑賞中において。
このメイキングには、ボクちんのお気に入りの亀井・道重・田中の、それはそれはキュートな6期3人が、とっても仲良しこよしに戯れている様子が、これ見よがしに収録されていたのだけれど、実はそれを見ていたボクちんは、他人には絶対に見せられないような、それはもう身の毛がよだつほどキモチの悪い笑みを、無意識のうちに思わずこぼれ出してしまっていたのだった。

ははは。どこが硬派だ。ははは。どこが硬派だってんだ。あははは。

笑ろとけ 笑ろとけ。
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