過去ログ#21〜#30


テレビタレントとして最低にして最悪なる振る舞い
「二人ゴト 愛ちゃんと里沙ちゃん」より「ビデオテープがもったいないにゃー」という、何ともケチ臭い理由で録画捕獲をスルーし、「なんだか面倒くさいにゃー」という理由で、見ることすらも拒んでいた「新垣&高橋二人ゴト」。しかし、多くのサイトで「オモシロイ!」だとか「サイコー!」だとか書かれているのを目にし、面白くって最高なものには目が無いというボクとしては、なんだか無性に気になってきてしまったため、思わず「リアルタイム観賞録画捕獲」という究極のオタク行為を行ってしまったのだけれど、期待していたのとは裏腹に、この番組、ちっとも面白くなかったものだから愕然としてしまった。

いや、面白くないどころか、少々不愉快な気持ちにすらなってしまったのである。

番組全体を包む、えらく殺伐とした雰囲気。前回の亀井・道重、前々回の石川・柴田の各トークの際は、お互いがお互いをよく理解しあい、普通のテレビ番組のトークでは聞くことが出来ないような素に近いトークが繰り広げられていて、見ていて思わずそのトークに引き込まれてしまう感じではあったのだけど、今回の場合、同じ状況にあるにもかかわらず、引き込まれるどころか、このぎくしゃくしたトークに、ボクは妙に落ち着かずソワソワとしてしまったのだった。

「二人ゴト 愛ちゃんと里沙ちゃん」より殺伐とした雰囲気を作り出していたその元凶と言えば、他でもない高橋愛さんその人のぶしつけな態度なわけで、彼女が番組内で振舞うその行為のほとんど全てが、ボクが今まで勝手に想像していた「高橋愛像」を大きく覆すものだったものだから、ボクはしばらく困惑してしまい、番組内で何が起こっているのか頭の中で理解するのにかなり時間がかかってしまった。

どうやらボクは、テレビでタレントさんを見る際、自分の中で一番お気に入りだった頃のイメージを、そのまま自分の中に留めておくという癖があるらしく、ボクの中での「高橋愛像」と言えば、今でもピンで出演した「Matthew's Best Hit TV」の時なのだから、あの当時の高橋さんと今回の高橋さんと、その態度のあまりのギャップに戸惑ってしまっても、考えてみたらしょうがないことなのかもしれない。

しかし、今回の番組の内容には少々問題があるような気がする。これをこのまま放送することに、番組側は何の抵抗も無かったのだろうか。

高橋さんが「人の話を聞かない」だとか、「発言がおかしい」ということは、彼女と、そして普段彼女と接点のある人間であるメンバーやスタッフにとっての問題であり、彼女とトークなど出来るはずも無いボクら単なる一視聴者であるヲタにとっては、危害があるわけではないのだから、たとえ人格的にそれらが問題のあることだったとしても、目をつぶることはいくらだって出来る。

ボクが一番問題だと思うのは、彼女がトークの際に発した言葉の節々に、妙な刺があったりだとか、平然と汚い言葉使いをしていたりだとか、そして何よりも、そういった本来タレントとしてはひた隠しにしなければならない自身の醜い本質の部分を、あろうことか自らテレビ番組上で晒してしまっている、その愚行にあるのだと思う。

今回のこの高橋さんの行為は、よく世間をにぎわす、「美貴ティのふてぶてしさ」と同等と思う方もいるのかもしれないけれど、ボクはそれは違うと思う。
この番組の性質上、「あれは単なるキャラでしたー」という言い逃れは出来やしない。これは間違いなく彼女の、決して表に出してはならない素の部分であり、そしてこの「素の部分である」ということこそが、「美貴ティのふてぶてしさ」との本質的な違いなのだとボクは思う。

美貴ティの、テレビ番組でありながら気の抜いた時のふてぶてしい顔つきというのは、それを見たヲタ達が勝手に、「こんなことを思って、あんな顔つきになっているに違いない!わひゃー!」などと妄想を膨らまし、楽しんでいるに過ぎない。これが彼女の素の部分という確証などはないだけに、どんなに妄想を膨らまそうが、所詮はその「妄想」の域を越えることは出来ないのである。視聴者に「妄想」をさせて楽しませるという点において、これはマイナスなことなのではなく、むしろタレントとしては評価されるべきことだとすら思う。

だけど今回の場合は、残念ながら違った。視聴者側の勝手なる妄想でも何でもなく、高橋さん自身がわざわざ我々に提示した「真実」なのだ。これは如何ともし難いと思う。

結局のところアイドルなんてものは、いかに見ている側が都合よく妄想を膨らますかで、その楽しみの程度は変わってくるわけであり、重要となってくるのは、ヲタがその妄想をする上で恰好の材料となりうるキャラクターであり、イメージであるのだと思う。そういった意味で、先程の美貴ティの「ふてぶてしい顔つき」というのは評価できることであり、向かっているその方向こそ負のイメージであれど、タレントとしては間違いなく正解なのだと思う。
そしてタレントとして、それらのイメージを形成するのは当然のこと、いかにそれを損なわないかということこそが、必要となってくる何よりの基本でもあるわけで、これがテレビ番組上であるならば尚のことである。

高橋愛写真集「わたあめ」より今回高橋さんが行った数々の行為は、その妄想を極限まで縮小させてしまう愚行であり、タレントのテレビ上での振舞いとしては、肯定できる部分は何一つ無いと思う。そこに、彼女自身のタレントとしての「意識の低さ」が垣間見られ、ボクは不愉快な気持ちになると同時に、落胆してしまったのであった。

ボク自身、あらかじめビデオ捕獲をしていた、同番組における、えりりんとさゆみんのキャピキャピトークを全て一気に見ていた直後であり、「右脳にさゆみん、左脳にえりりん」という幸せいっぱいモードの最中だったものだから、これら高橋さんの振る舞いに対しては、ことのほか印象が悪かった。
てか、あまりにもビックリして、彼女の振る舞いを目の当たりにした瞬間、さゆみんとえりりんが、ボクの右脳・左脳から一瞬のうちに消し飛んでしまったのであった。高橋愛、一体どう責任をとってくれると言うのだ。そんなかわいらしい笑顔を作ったところで、もう世間はごまかせないんだゾ。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

いやはやしかし、本来ならば和むはずの、この番組のトークを見て、なんだか低俗なゴシップ記事を読んでいる時と同じような、いたたまれない気持ちになってしまったのはこれいかに。いや、作為的な改ざんや、不要な脚色がない分、考えようによっては、それ以上にこっちの方がたちが悪いのかもしれない。

この番組を見て、「愛ちゃんサイコー!」とかって叫んでいる高橋ヲタの人は、最早やけくそなんじゃないか とすらボクには思えてしまう。今回の高橋さんを、あゃゃに置き換えて想像してみただけで、ボクは思わず、キンタマの横にじんわりと嫌な汗をかいてしまったのだから。

心臓に悪いですよ。そんな想像は。
(21)

辻加護卒業
そう言えば、本日2004年8月1日をもって、辻ちゃん加護ちゃんがモーニング娘。から卒業するのであった。ボクとしたことが、こんなに重大なことをすーっかり忘れていた。とーんと忘れていた。こりゃいけねー。

しかし、一度思い出してしまったら不思議なもので、何故だか無性に悲しくなってきてしまう。残念ながら代々木ハロコンには行けなかったボクは、今日一日はどっぷりと辻ちゃん加護ちゃんの思い出に浸るためにも、自分で編集した「メモリアル辻ちゃん加護ちゃんビデオ」でも延々と繰り返し見ることにしよう…。そしてモーニング娘。であった頃の彼女達の雄姿を、思い出としていつまでも忘れることなく、自分の胸のうちに閉まっておこう…。いつまでもいつまでも…。

辻ちゃん加護ちゃんフォーエバー。(渋いウィンクで決めながら)

そんな素敵なことを思い立ったボクは、さっそく「メモリアル辻ちゃん加護ちゃんビデオ」を見ようと試みたわけなのだけど、すでに皆さんお分かりのとおり、無論そんなものは、存在しない。そんな編集などはしたことが無い。

てか、それ以前に、実を言うとボクはそもそも、辻ちゃん加護ちゃんにはそれほど興味が無いのであった!ドテーーー!!

とまあしかし、ボクがこれほどにまで卒業と言うものに興味が湧かないのは、何度も何度も繰り返されている卒業であるがゆえ、今となっては卒業自体に、なんら悲しみや感動が伴わないことが原因なわけであり、今のボクとしてみれば、卒業という出来事は、言わば「新曲発売」という出来事と大差は無いのである。

とりわけ今回の辻ちゃん加護ちゃんに関しては、皮肉なことに、モーニング娘。からの卒業を発表し、同時にWの結成の発表をしてからというもの、えらい勢いでCM出演が増えたり、二人単独でこなす仕事が増えたりと、明らかにモーニング娘。卒業の先には「ウハウハに明るい未来」が待っていると来たのだから、どちらかと言うとモーニング娘。側の視点よりであるボクとしては、興味など湧かなくったって、これはしょうがないのかもしれない。

だからと言って、ここにきて「卒業おめでとう」などという、つんく♂らと同じようなコメントなどは、口が裂けてもボクは言いたくはない。これは実際に、「卒業がおめでたい、おめでたくない」ということとは全く関係無しに、ただ単にボクが、つんく♂らが都合よく勝手に作り出そうとしている概念を拒絶しているというだけのことなのだけど。ボクがハローを見て、聴いて、そして楽しんでいるのは、決して表向きにつんく♂らに楽しませてもらっているわけではないのだ。本来彼らは、裏方に徹し、こっそりとファンを楽しませる存在であるべきなのだと思う。とまあ、今更こんなことを言っても、何にもならないことなのだけど。

ていうか、そんなことよりも、今の時点でボク自身ここまで卒業に興味が湧かないとなると、次回の飯田さん卒業の時などは、果たしてどうなっているのだろうか。そう考え出したら、途端に不安となってしまう。その頃にはもしかしたらボクの中で、飯田さん卒業というトピックスは、今巷をにぎわしている「ヨン様ブーム」と同じくらいどーでもいいことと化してしまっているのかもしれない。

いや、さすがにそれはへこむゾ。
(22)

フジモト
「カントリー娘。って一体なんなんだろうね。」といったような、素朴かつキュートな疑問を思わずボクが抱いてしまったのは、カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)のニューシングル「シャイニング 愛しき貴方」を歌っている際のカントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)を見たことに原因があるのだけれど、やっぱ長いよこのユニット名。

今回の曲がレトロであるだとか、今までのカントリーっぽくないだとか、そういうことはボクにとっては実にどうでもいいことなわけであり、そこに疑問を挟む余地などは残念ながらボクにはないのだけれど、楽曲に対してなのではなくて、ボクが疑問を抱いてしまった一番の原因は、この歌のパート割であったりだとか、カントリー娘。の扱われ方であったりだとか、このように楽曲とは全く関係のないところにあったのだ。

何と言っても、この曲を歌っている彼女達のその姿から、しっくりくるユニット名というのは「カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)」なのではなくて、正直言って「藤本美貴とちょこちょこ後ろで踊っているエトセトラ(紺野とカントリー娘。)」なのであったのだから、ボクが冒頭の如く「カントリー娘。って一体なんなんだろうね。」という疑問を抱いてしまったのにも確かに頷ける。

「半農半芸」「北海道を拠点としたアイドルグループ」。
初期コンセプトとして持っていた彼女達の「強み」であり「ウリ」である部分は、今のカントリー娘。には全く無く、今となっては、それはそれはツマラナイ単なる平凡なB級アイドルグループに成り下がってしまっている上に、あろうことか藤本美貴ティの付き人役なのである。しかも、その付き人一番弟子は、紺野さんときたものだ。少しはリーダーのあさみちゃんのキモチにもなってあげて欲しい。

石川さんの時だって、現在の美貴ティ・紺野さんの時だって、つんく♂自身、「彼女らはあくまでも助っ人であり、中心にいるのは間違いなくカントリー娘。」と考えていたはずなのだ。ユニット名の最初にカントリー娘。の名前を持ってきているこの事実が、何よりも彼のそのキモチの表れでもある。それが、どういうわけか今となってはこの惨状。おまけに、今回のカントリー娘。3人の衣装にだけ、あからさまにお金が掛かっていないことが丸分かりなのである。涙が出てくるほど地味であり、考えようによっては黒子のようにも思えて来る。まるで衣装が、「お前らが目立ってどうするの?」と言っているかのようなのだ。痛々しいことこの上ない。

B級アイドルと言えば聞こえは悪いのかもしれないけれど、カントリー娘。がB級アイドルであることには、全く問題は無いのだとボクは思う。そもそも立ち上げ当初からカントリー娘。は、超B級であったのだ。ただ、その超B級の中にも、他のアイドルグループとの「違い」と、独自の「ウリ」が当時のカントリー娘。には間違いなく存在していた。カントリー娘。というグループの存在価値と存在意義がそこにあったのだ。それを助っ人という名目で無理矢理娘。のメンバーを連れてきて、「ウリ」であったはずの初期コンセプトを崩壊させると同時に、中途半端にメジャー化しようとしている現状の方がよっぽど問題であると思うし、そもそもそれを行うことに一体何の意味があるというのか。

現在の状況は、カントリー娘。にとってみても、藤本美貴ティにとってみても、紺野さんにとってみても、何のメリットもないのだとボクは思う。北海道に戻り、半農半芸の初期コンセプトを取り戻すこと。カントリー娘。の生きる場所は間違いなくここにあるのだろうし、今のまま活動を続けても、ボクのような「カントリー娘。って一体なんなんだろうね。はは〜ん。」という疑問を抱く人々を、ただ単に増幅させるに過ぎない。

美貴ティにとってみても、ここでソロパートをごっそりと頂いたところで、お山の大将もいいところである。言ってみればそれは、鼻ったらし小僧みたいなものなのである。これ以上鼻を垂らしながらバッチイ感じになってしまった美貴ティを、ボクはあまり見たくはない。そういった意味でも、いち早くカントリー娘。が初期コンセプトを取り戻すことが、何よりも重要であるのだとボクは思う。

それにしても、現状におけるカントリー娘。の存在意義とは一体何なのか。ココナッツ娘。の存在意義と同様、ボクの中で今、燃えるように熱い最大の難問になっているのは間違いない。
ただ、このまま行ってしまえば、カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)のことを、ボクは思わず略して「フジモト」などと呼び出してしまいそうで、何よりそれが一番怖い。
(23)

ピンピロピンピロリ〜ン
ここ数日間、「ピロリ〜ン ピロリ〜ン」という奇妙な文字列が、微妙な旋律にのって、どうにもこうにもボクの頭から離れないのは、間違いなくなっちニューシングル「恋のテレフォン GOAL」の仕業に違いないのだけれど、この歌、唐突に「いって―――――――ッ!!めちゃくちゃ いって―――――ッ!!」などと叫びだしてしまいたい衝動に駆られてしまうほど、はっきり言ってイタイ。これはもう全身打撲といった感じである。

よりにもよって、23歳でこんなにもイタイ歌を歌わされるとは。
この歌、現時点において、文句無くぶっちぎりで「日本一イタイ歌」なのだとボクは思う。23歳にして、めでたくなっちは一つの日本一を作ったわけなのだけど、これには正直言って笑えない。

個人的にこの歌は、NHKの歌のお姉さんですら歌うことを拒否しかねない程イタイ歌であると思うし、今頃そんな歌をなっちに歌わせるというのには、なんだかつんく♂のヤロウの悪意を感じてしまうほどである。これを歌っている際のなっちと言えば、完全に夢見がちな少女になってしまっているし、この歳でのそんな状態などは、言ってみればあからさまな道化であることを意味しているのだ。お茶の間では、指をさしてなっちを笑っているのである。腹を抱えてなっちを笑っているのである。何を隠そうボクがその一人だ。

もちろんこの歌のあまりのイタさゆえ、残念なことに、そんな歌を歌わされているだけのなっち本人も、同様にイタイということになってしまうのだけれど、なっちがこの歌を歌っている姿を何度か見ているうちに、実はこの歌から感じられるイタさというのは、歌そのもののイタさによるところだけなのではなくて、むしろ、じんわりとなっちの内面から発せられている、なっち自身の「バカっぽさ」に多くの原因があるのではないかなあ といった事に、ボクはうっすらと気が付いてしまったのであった。

それはもう、とにかくバカっぽい。なっちってば、イタイ上にバカっぽいのである。笑顔で歌えば歌うほど、バカっぽさがどんどんどんどん増すのである。もう、てんやわんやなのである。

常日頃から、なっちが自然と発している「バカっぽさ」というのは、間違いなくなっち自身の、延いては安倍姉妹の持つ一つの才能なのだろうけど、その姉妹そろった素敵な才能がゆえ、それが原因で、より一層この歌がイタイものになってしまっているのだとボクは見抜いた。

この歌のおかげで、なっちのバカっぽさというのは、かなり妹に近いレベルにまで跳ね上がってしまったのだけれど、これはもしかしたらつんく♂自身が、近い将来の「安倍姉妹ユニット」を見据えた結果、もっともっとなっちのバカっぽさを引き上げるようにと、この歌を作ったのかもしれない。もしそうなのだとしたら、ふむ、「さすがは先見性に長けたつんく♂」と言わざるを得ないわけであり、ボク自身なんだか納得したりもするものだ。ってするわけがねぇ。するわけがねぇ。冗談は顔だけにして欲しい。

ただ、ボクってばここにきて、にわかに思い出してしまったのだけれど、確か前回「だって生きていかなくちゃ」がリリースされた際、ボクはつんく♂のヤロウに向かって、「こんなに暗い歌じゃなくって、なっちの唯一の武器である「笑顔」に、彩りとして「バカっぽさ」をちりばめた様な、バカモード全開の歌を歌わせやがれ!コンチキショー!」などと、実にキュートに悪態をついていたばかりであった。考えてみたらこの歌、ボクの要望通りの歌ではないか。つんく♂さんってば、気を利かせて、ボクの前回の要望を、そっくりそのまま今回の歌に盛り込んでくれたのか。だからこんなにまでイタイ歌になったのか。そうかそうか。

しかしそうとなると、自分自身の発言の整合性を保つためにも、ここは是非とも、心の底からこの歌を推していこうと思う。たとえ人生の半分を投げ打ってでも、全身全霊を込めてこの歌を推していこうと、ボクはそう心に誓ったのであった。

ピンピロリ〜ン ピンピロリ〜ン ピンピロピンピロリ〜ン
(24)

微妙伝
美勇伝今巷をにぎわしている「美勇伝」という魅惑の新ユニットのメンバーを、ボクは今日のハロモニにて初めて目にしたのだけれど、思わずボクが「びみょ〜」といった感想を口にしてしまっていたのは、「美勇伝」というウンコ臭いユニット名に原因があるのではなくて、きっと恐らく岡田唯という女の子の目が、完全に死んでしまっていることに原因があるのだと思う。

このユニット、「微妙」という感想が最も適していると思えてしまうほど、実際にあらゆる面で微妙なユニットであって、上述の如く「美勇伝」というユニット名や、オーディションで受かったという新メンバーに付け加え、デビュー曲の「恋のヌケガラ」というのも、タイトルからしてかなりいい感じに微妙なオーラを発しているときたものだ。ここまで微妙と来れば、ユニット名は「美勇伝」というよりも、むしろ「微妙伝」の方がしっくりくるような気すらしてしまう。

今回番組を見た限りにおいては、新メンバーの岡田唯という子、「異例のスピードで、新ユニットに大抜擢された」などというナレーションで紹介されていたことからも、かなり事務所的には「推し」のようなのだけれど、歌のうまさもそれ程でもなければ、ルックスの方もそれ程でもない。「石川さんとユニットを組むのだから、歌のうまさはさほど気にすることは無いのでは?」というのが恐らく多くの人の意見なのだろうけど、ボクとしてはやはり、もう少しばかり歌唱力のある人を加入させて欲しかった。この岡田唯さん程度の歌唱力と歌声ならば、完全に石川さんの、あのスペクタクルな歌声の前に、なす術なくかき消されてしまうに違いないのだ。実力が全然違うって感じ。とても残念なことである。

これから先、どう変わっていくのかにもよるのかもしれないけど、現時点では彼女に対してはあまりいい印象は抱けなかった。どうにもこうにもいただけないといった感じである。

一方三好絵梨香と言う子は、以前に見たオーディション合格直後の時よりは、随分と見た目も小奇麗になっていて、まあ、なんというか、その、「意外と推せるきゃもきゃは♡」などと、ボク自身実にかわいらしく顔を赤らめたりもしているのだけれど、ただ、カメラを前にやたらと落ち着いていたりもして、およそ新人らしくないところが、なんだか妙にかわいくないなあ とは思う。19歳なのだからこれぐらいがちょうど良いのか。

ところで、あらゆることにおいて「微妙」だったはずの岡田唯さんも、実は唯一微妙ではないものがあったのだった。それは、何と言っても「顎の角度」。これはもう「微妙」などといった言葉では形容できるような代物ではなくて、かなりいい角度でシャクレあがっているものだから、ここだけは是非とも「微妙」なのではなくて「絶妙」と呼んでおくことにしようと思う。決して「激シャクレ」だとか言ってはいけないんだゾ。

ただ、きっと考えすぎだとは思うのだけど、どうもあの立派な顎には、なにやら武器の様なものを隠し持っている気がしてならない。それが「はやぶさの剣」とかだったりしたらすごくいいなあ。
(25)

「あぁ いいな!」って「あぁ いいな〜」
Wのニューシングル「あぁ いいな!」は、思わずボクが「あぁ いいな〜」といったような、まさにヤングメンにふさわしい実にアカデミックなダジャレをかましてしまうほど「あぁ いいな〜」な出来栄えであって、理由無く何故か無性にリピートして聴きたくなるような一品となっているのだからすごい。

2ndシングルでありながら、前作「恋のバカンス」とアルバム「デュオ U&U」は全てカバー曲だっただけに、オリジナル曲としては実質一曲目。これまでの曲が、カバーであるだけに全てが「模倣」であったのに比べ、今回のこの曲は正真正銘のオリジナル曲なだけに、今後の活動を続けていく上でのWとしての真価が問われる一曲だと思うのだけれど、この曲の出来でWというユニットは、少なくともエコモニ。よりは上であるということを見事に証明したのであった。

Wの場合、つんく♂の方から明確に歌い方の指示があるのか、今回のこの曲を含めこれまでにリリースされた曲全てに歌い方の統一性が無い。「デュオ U&U」に関してはそれがより顕著で、一曲一曲全て違う歌い方をしているのだけれど、これはこのアルバムの「聴き所」なのではなくて、先程も述べたとおり、単なるオリジナルの歌い方の「模倣」であると考えられるものであり、このアルバムは、彼女達のハモリ以外に聴き所などはほとんど無い。

「あぁ いいな!」PVより実は今回のこの曲に関しても、「歌い方」について言えば、つんく♂の方から少し余計な指示が出ているようで、ナチュラルな彼女達の歌い方ではなく、少々うわずったような歌い方で仕上がってしまっているのが若干残念なところではある。これは恐らく、つんく♂なりの狙いがあった上での結果なのだろうけど、この歌い方のおかげで、妙に彼女達の歌声が機械音のようにも聴こえてしまい、ここが面白味を欠く唯一の欠点ではあると思う。ただ、そういった欠点を補って余りあるほどの心地よさが、何故かこの曲にはあるのだからすごい。歌に関して言えば、Wはエコモニ。よりはすごいのである。

「あぁ いいな!」PVよりプロモの出来の方は、正直言ってお金は掛かっていないし、ただただWの二人がひたすら行進をするだけという、すこぶるダサい出来であり、全くもってくっだらないのだけれど、何故かこれはこれで「あり!」とおもくそボクが叫んでしまうのは、間違いなくこれがWだからなのだと思う。途中、バックダンサーとして唐突に現れる「Berryz工房」のキッズ達の衣装の方が、何故か主役であるはずのWよりも、ずっとずっと派手で目立つ衣装であるのには、なにやら裏方の人間の魂胆が見え見えであって、かなり興醒めする所ではあるのだけれど、「いいも〜ん。そんな細かいことなんか気にしないも〜ん。」などと、ボク自身さわやかに納得してしまうのは、やっぱりこれがWの魅力によるものなのだと思った。

W。やっぱりエコモニ。よりはすごかったのだ。
(26)

カツラに隠された秘密
テーマは「勢い」の「後浦なつみ」さん安倍なつみ、後藤真希、松浦亜弥の期間限定ユニット「後浦なつみ」さんをテレビで見かけても、すぐにボクがそれについて更新をしなかったのは、このカツラをかぶった時の後藤さんの、ミラクルキュートな御姿を目の当たりにし、そのあまりのかわいらしさに、ここ数日間ずっと気を失ってしまっていたからなのであった。


というのが、まあ、とんでもないウソであることは、恐らく皆さん丸分かりだとは思うのだけれど、このカツラ姿にはボク自身思わず絶句してしまったというのは本当の話。これはちょっとあまりにもいただけないと思うし、後藤真希さんの見てくれは取り立てて酷すぎると思う。

そんなカツラ姿もさることながら、このユニットのネーミングの方も、いつもの如くぶっ飛んだものであって、ごまっとうの二番煎じであろうこのユニット、名前の方も同様に三人の名前から一部を取るという、それはもう何のひねりも無いユニット名で来たものだから、これには一瞬本気で言葉を失ってしまった。つんく♂のヤロウは、一体ユニット名を何だと思っているのか。もう少し趣向を凝らしたユニット名にはできないのか。本当につまらない奴であると思う。

ところがである。ところがどっこいである。そんなことを言いつつもボクは、実を言うと、一見すると前回のごまっとうと同じであると思われる今回のユニット名に、つんく♂自身の着実な進化を垣間見たわけであり、この驚きは、あのカツラをかぶった後藤さんの御姿以上のものであったのだった。

前回のごまっとうは、ただ適当に各人の名前の一部を取り、それを適当に組み合わせただけであり、そこには何の意味も無い、言ってみればただの記号に過ぎなかった。しかしながら今回の場合、名前の一部を組み合わせることで、なんと、完全に新たなる一人の名前「後浦なつみ」を作り出してしまったのである。三人の名前を組み合わせて、一人の新しい名前を作る。これを驚きと言わずに何を驚きと言うのか。

思えば「シャ乱Q」というバンド名も、三つのバンドの名前の一部を取り、それらをただ適当に組み合わせただけであって、やはりそれはただの記号に過ぎなかった。そしてこのことは、少なくとも「ごまっとう」結成時において、つんく♂自身、シャ乱Q時代から何ら進化していないことを意味している。全く同じ発想しか出来ていない何よりの証拠でもある。

しかし今回の場合は違ったのだ。これは完全なるつんく♂自身の進化によるものであり、これを驚きと言わずに一体何を驚きと言うのか。ボクは思わず舌を巻いた。

ここまで進化したつんく♂のことである。あのエキゾチックなカツラを、ただのカツラで終わらせるとは到底思えない。単にカツラをかぶらせるだけといったようなつまらないことは、以前にも何度も行ってきたことであり、そんなつまらないことをつまらないままに終わらせてしまうとは、現在のつんく♂を思うと非常に考えにくい。ボクの予想では、恐らくきっと、現在の進化した彼であれば、ここにもう一捻り加えてくるはずなのである。ゲゲ―――――ッ!!とボクが思わず唸ってしまうような、そんなスペシャルなアイデアを、嫌と言うほどまざまざと見せ付けてくれるはずなのである。

「このだっさーいカツラ。だっさださのこのカツラ。三人ともかぶっていると思いきや、実は、なっちだけは見事に地毛でしたー。」みたいな。「なっちだけ、もう取り返しがつきませーん。」みたいな。

あのカツラに、こういった崇高なるアイデアがあることを、是非ともボクは期待したい。

「後浦なつみ」。ボク的には完全にナシなんだけど。
(27)

それほど重大でもない発表
今日のハロモニにて、「次週、つんく♂から重大発表」という告知があったのだけれど、時期的なことを考えても、恐らくこれは「7期メンバーの加入発表」であるといったことは、恐らく多くの人がすでに予想がついていることなのだと思う。

以前にも少し触れたのだけれど、その7期メンバーというのは、ハロプロエッグオーディション合格者だけではなくて、恐らくは現キッズメンバーの中にも存在しているのだとボクは思う。事実、現キッズメンバーには、明らかにその活動振りに違和感のあるメンバーがいるわけであるし。

矢口が、ミニモニ。とタンポポを卒業させられてまで結成したはずのZYXは、いつの間にか空中分解。その元凶となったのは、Berryz工房の結成に他ならないわけなのだけど、そのBerryz工房に対する事務所の力の入れ具合ときたら相当なもので、ニューシングルをリリースしたばかりの現時点で、すでに11月のニューシングルリリースが発表されているといったほど。

「売れる、売れない」といったようなビジネス勘定を完全に度外視したこの売り出し戦略は、「多少なりとも身を削ってでも売り出すだけの価値がBerryz工房にはある」と事務所側が認めている何よりの証拠であるわけで、そのメンバーに選ばれるのと選ばれないのとには、少なくとも事務所的に、同じキッズのメンバーにおいても明らかな差があり、Berryz工房に現在の8人のメンバーが選ばれたのには、選ばれるだけの明確なる理由があった結果であると考えることが出来る。

これは逆に言うと、選ばれなかったのにもそれなりの理由があるというわけで、そうなれば、ZYXに選ばれたにもかかわらず、Berryz工房に選ばれなかった現中学生のメンバーは、何故事務所的にこれほどまで「重要」とみなされているこのBerryz工房に選ばれなかったのか ということが問題となってくる。それは優劣の結果なのか、それとも「違う道」を用意された結果なのか。

結局のところ、ずばり言ってしまうと、「梅田えりかと矢島舞美って、今は何をしているんだろうね?」といった疑問が、Berryz工房結成時からずっと残ったままになっており、未だこの疑問は解消されていないのである。これが他でもない、冒頭で述べた「違和感」であるわけで、誰が考えてもこれは少々おかしな状況であるのだと思うし、この疑問を早急に解決することが、まずは必要なのだとボクは思うわけである。そしてその解決策こそが、恐らくはBerryz工房とは「違う道」として用意されたのであろう、「モーニング娘。入り」なのだと思う。

中学生以上を娘。対象、それ以下をキッズ対象として捉えているならば、中学生以上になればキッズを卒業しなければならないことにもなる。更にその上、ZYXが活動しているならばまだしも、今となっては完全に消滅してしまい、上述のこの二人の活動の場が現在は無いといった状況にある。これらのことがより一層輪をかけて、「梅田えりか、矢島舞美 モーニング娘。入り」を匂わせているのだ。現在の状況を整理してみると、この考え方は至極妥当なのだとボクは思う。

最近カップリングを妙に意識した行動が多いことからも、ハロプロエッグオーディションからの合格者は恐らく2人。それに加えて「梅田えりか、矢島舞美」を、キッズから卒業させて娘。に加入し、4期から6期まで続いてきた4人加入というパターンで7期メンバーも落ち着くのだと思う というのがボクの意見。実際どうなるのかは、来週までは分からないのだけれど。

ただ次週のハロモニで行われるというこの発表。多くの人間がすでにうすうす勘付いていることであるだけに、これを大げさに「重大発表」と銘打って、1週間もじらして発表をするのには、なんだかとても解せない気分である。そもそもこんなものは全くもってロックではないではないか。つんく♂の言うところの「ロック」が、意外性だとか反骨といったことを含意しているのであるならば、「7期メンバーの発表」と誰もが予想しているこの状況で、全く違う発表をすることこそが、真のロックなのだと思う。

最近のつんく♂の着実なる進化と、発表の場がハロモニであるといったことを考えると、次週の発表は、実は、

つんく♂「今週から、なんと、ハロモニで、俺のコーナーが始まっちゃうよ〜!」

という発表なんじゃないのか?と、無理矢理思い込めば、何となくそんな気もしないでもないのだから不思議だ。「モーム素部屋」ならぬ、「つん苦♂部屋」なるもので、「ミーちゃんごはんだにゃ〜。ごはんだにゃ〜。」などと、愛猫のミーちゃんに猫なで声で話し掛けているつんく♂が、定点カメラで映し出されたりしたものなら、さすがにボクも、「こ、こ、これが…、ロ、ロ、ロ、ロックや…!」とたじろぐ以外に術が無い。

「そんなことされた日にゃ、もう、つんく♂には一生ついていかなければならないにゃ〜。」などと思いながら、ボクは実につつましく頬を染めたのであった。
(28)

神頼みのオーディション
ハロモニにて、つんく♂がいつもの如くのニヤケ面で発表した「重大発表」は、「7期メンバーオーディションの開催告知」であって、「7期メンバーの加入者発表」ではなかったものだから、ボク自身拍子抜けするとともに、「モーニング娘。に入れるかも!」なんていう淡い期待を胸にハロプロエッグオーディションを受け、見事合格したにもかかわらず、結果的に騙されてしまった子達を思いながら、思わず涙を流す結果となってしまった。

こうなればエッグオーディション合格者は、否が応でもフットサルに専念し、鋼のようにたくましい、筋肉隆々の太ももを、自分の意志とは無関係に作り上げなければならなくなってしまったのだけど、まあ、そんな超どうでもいい他人事よりも、ボクにとって気になるべくはやはり「7期メンバーオーディション」である。

その気になる点というのは二つあって、まず一つ目は参加資格が「中学3年生以上」になっているということ。この場合、たとえ現在中学3年生の子が合格したとしても、加入時にはすでに高校生になっているわけであり、結果的に7期メンバーが加入した際には、モーニング娘。は全員高校生以上で構成されると言うことになる。果たして、これが意味することは一体何なのか?

以前までは「中学生以上」としていたはずのこの参加資格の変更が、モーニング娘。になるための条件を、高校生以上にシフトした結果もたらされたものであるならば、自動的にハロープロジェクトキッズは中学生以下ということになり、全てを好意的に捉えてしまえば、なんと、キッズメンバーの娘。入りは、少なくともあと2年間は見送りということにもなるのである。ここ!7期メンバーなんてどうでもよくって、注目すべきは何よりもここ!

「おいつんく♂でかしたな!」なんてことを言いたい気持ちではあるのだけれど、期待していながらまたこのオッサンに裏切られると思うととてもシャクなので、とりあえずこの言葉はお預け。ナイーブなポックンは、これ以上心に傷を負いたくはないのであった。

気になるもう一つの点と言うのは、つんく♂が今回のオーディションに求める人材について、ずばり「エース」などと、完全にトチ狂っているとしか思えないコメントを発していた点である。

これまでに何度も行われているオーディション。今となってはヲタと同様、「モーニング娘。になりたい!」と思いオーディションに参加する人たちも、ほとんどがリピーターであると考えることの方が妥当であるわけで、そうなれば今回のオーディション参加者は、今までのオーディションで不合格となった人達が、ここぞとばかりに再び集結するばかりなのである。これまでに敢えて「エース」を落としてきたならば話は別だけど、冷静に考えてエースになりうるような人材は、最早モーニング娘。のオーディションには残っていないのだ。

エッグから娘。入りする人がいなかったのも、恐らくはそれだけの実力を持った人間がいなかったからなわけで、ここにきて苦し紛れのオーディションを開催したところで、結果は目に見えているというもの。エースに相応しい人材がいない現在の娘。なだけに、エースを欲しているその気持ちは良く分かるけれど、ボクがキュートに「エースなんて見つかるわけないじゃ〜ん。」と思わず言いたくなってしまうのも止むを得まい。

しかしどうやらこの事は、事務所ならびにつんく♂自身もうすうす勘付いているようで、それが「ラッキー7オーディション」といった、今回のこのオーディションの名前にもよく現れているようなのだ。「ラッキー」といった言葉を使ったのはきっと、「エース級の人材が本当に見つかったら超ラッキーだよね〜。」といった、完全に神頼みの気持ちがモロに出た結果なのだと思う。

何と言っても、前回の6期オーディションの際に、オーディション参加者のVTRを放送するという暴挙に出たものだから、知りたくも無いオーディション参加者のレベルを知ってしまっただけに、オーディションで「エースを求める!」という彼らのこの気持ちの的外れっぷりには、いたたまれない気持ちになると同時に、この何気ない一言によって、モーニング娘。史上最大の危機をボクは感じてしまったのであった。

今更ながらオーディション参加者に、本気でエースを求めているならば、これはもう本格的にアホだと思うし、ジ・エンドだと思う。つんく♂とこの事務所はやっぱりウンコだ。
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君はつんく♂ちゃんに萌えているか
「恋愛戦隊シツレンジャー」という曲のタイトルを聞いて、驚くほどにボクがノーリアクションだったのは、つんく♂自身が自ら笑いを取る気満々で、「これで世間様を笑わしたろ!」感が、このタイトルから丸分かりであり、このおっさんの「俺ってメッチャおもろいやん」的な勘違いが、甚く気に入らなかったことに全ての原因がある。ボクとしてはこんなものは、全くもって面白くも何とも無い。

すっとぼけた感じでバカを演出するならばまだしも、ここまで「笑わせるつもりです!」と狙って笑いを取りに来ている姿勢は少々いただけない。あのエキゾチックなカツラで、すでにバカな演出は使ってしまっている現状、重要なのはそれを逆手に取ったひねりである。期待されるべくは、あの、一目見てお茶の間大爆笑のカツラをかぶりながら、それに似つかわしくない曲調の楽曲を、三人が真顔で真剣に歌い踊るということであり、これが効果的な「笑い」に繋がるのだとボクは思う。あの見てくれに相応な歌を歌ったところでちっとも面白くはないし、ただただ、「後浦なつみ=バカ」というイメージを世間に植え付けるだけである。

敢えて笑いを取りにくるのは別に悪いことではないと思う。問題は「笑いを取りに行く」というその行為にあるのではなくて、その笑いの取り方、手段にあるのだとボクは思う。後浦なつみのあの見てくれや、この曲のタイトルは、すでにまともに勝負できないことによる、つんく♂自身のある種の「逃げ」の様な気がしてならないのだ。

これは、「わざと笑いを取りにいったからさ〜。失敗しちゃったんだよな〜。」という言い訳を、現段階ですでに用意しているような気すらしてしまう。ボクは、そんな弱気なつんく♂は見たくはないのだ。何よりも彼自身が逃げ腰になってしまっては、ヲタとして今後のハローに、何一つ期待することが出来なくなってしまうのだから。

今となっては、えらくイロモノ的なイメージが強いハロプロ勢。少々可笑しなことをやったところで、誰もが「また何かやってるわい」と思うだけであり、これは「笑いを取りにいく」という行為に対しても同じ事が言えるのだと思う。まともに笑いを取りにいくことを狙ったところで、得られることと言えば世間からの嘲笑のみ。つんく♂が大っぴらに笑いを取りにいき、狙い通りの結果を得ることは、今では至極難しいことなのだと思う。モロに直球勝負なのではなくて、重要なのは、誰もがあっと驚いてしまうようなひねり。かつてのつんく♂ワークスには確かにそれがあった。

後藤・松浦・安倍の三人は、まだこういった「バカっぽい」演出を受けたことが無く(なっちは微妙だけどネ!)、その様なイメージが無いだけに、直球勝負であっても、今回に限って言えば、ある程度「笑い」の面では、狙いに近い結果が得られる可能性はあるかもしれない。しかしこれはもう、いたちの最後っ屁みたいなもので、このメンツでモロに笑いを取りにいけば最後、この手段は彼には最早使えないことをも意味する。純粋に楽曲のみでは勝負が出来ないことに付け加え、アイデア面でもじり貧な状況が手に取るように分かってしまうというのは、やはりヲタとしてはもの悲しい気持ちになってしまう。

いや、確かにまだわからない。これは、あのカツラ姿の見てくれと、「恋愛戦隊シツレンジャー」という馬鹿げた曲のタイトルから、ただただボクが勝手に想像しているに過ぎないわけで、もしかしたらここまでは全てつんく♂のフェイクなのかもしれない。あのカツラや、この歌のタイトルからボクらが勝手に想像しているイメージとはまるっきり違った、「笑いを取る」といったのとは完全に真逆の、想像を絶するような「真剣さ」が、そこにはどっしりと鎮座しているかもしれないのだ。ボクは是非ともそれを期待したいし、極やんわりと期待している自分が存在しているのもまた事実。

何だかんだ言ってつんく♂さんのことを信用しているボクは、いくつになっても「つんく♂ちゃん萌えりんこキャラ」の返上は出来ないみたいなのだった。つんく♂ちゃんはいつでも萌えりんこ。
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