過去ログ 2003年11月後半


2003.11.18(Tue) / ボー・バック・ブリーカー
トイレでとても爽やかに嘔吐しまくっていたら、うっかりハロモニを見逃すと言う、究極的にお茶目な週末を過ごしていたボクなわけですが、今も張り切って下痢気味でーす。

そんな誰もが憧れてしまうような週末をボクが過ごしている間、なんと松浦さんや娘。さん達は、一生懸命に飛んだり跳ねたり走っていたりしていたようなのですが、中には1500M走で辻さんが過呼吸でダウンしてしまうといったハプニングもあったようで、今週末の東京ドームには参加しようと思っているボクとしては、そこまで壮絶なガチンコは別に見たかねえなあ なんて今から思ってしまっているわけです。

ボクとしてはそういった悲壮感漂うガチンコではなく、もっとこう、隣のレーンを走っている走者に抜かれそうになった瞬間に、見えないように足を出して引っ掛けて転ばせるだとか、そしてその転んだ走者めがけてギロチンドロップをかますだとか、んで、とどめにゴリー・エスペシャルでも炸裂させるだとか、せっかく見に行くわけですから、どちらかというとそういった、とてもほのぼのとした光景が見たいなあ などと思っているわけでして、1500M走のゴール後に死んだように微動だにしない娘。さん達なんか見たくないわけですな。

ただここまで書いて、冷静に考えたらギロチンドロップはちょっとやり過ぎだなと思ったし、そもそもゴリー・エスペシャルなんてプリンス・カメハメぐらいしか出来ないな とも思いましたし、それ以上にそんな技が炸裂してしまうような光景は、きっとほのぼのとはしていないだろうなあ などとボクは考えを改めたのでした。

ていうかハロモニが見たいにゃー。

2003.11.19(Wed) / ダブルあゃゃ
なんだか今週はハロプロメンバーのテレビ出演が怒涛のごとくあるらしいという噂を小耳に挟んだので、早速張り切って週間番組表を確認しましたところ、確かにやたらと出演はするようなのですが、そのほとんどが5分、10分といったとても短い番組ではないですか。果たしてその様なものを、このボクが見忘れることなく無事に見ることが出来るとでも思っているのでしょうか。一体ボクを誰だと思っているのでしょうか。

そんなの見れるわけが無いのです。そもそもボクには無事に見れるという自信がすでに無いのです。だからこの際、むしろこれらは積極的に見忘れていきたいのです。

そんな最近のボクにとって「見忘れる」というキーワードがモロに適用されてしまう恐れがあるのは、恐らくはこの「VICTORY!〜フットガールズの青春〜」というあゃゃ主演のドラマだとは思われるわけですが、実はそんなボクでも、このドラマだけはなんとしても見忘れるわけには行きません。

というのも、このドラマにはなんと驚いたことにあゃゃの他に平山あやさんまで出演なさるそうで、ボクの平山あやさん好きは巷では超有名な話。松浦亜弥、平山あやと言えば、ボクの中では「あや」ビッグ3のうちの二人なのです。(ちなみに3人目は綾小路きみまろ。文麿ではない。まして石黒彩さんなんてもっての外。)
そんなお気に入りのお二人が共演するドラマを、いつもの如く見忘れてしまうだなんて、そんなのは絶対にありえないことです。このドラマの内容(キャプテン翼)と同じくらいありえないことです。

しかし、このドラマを観賞する上で問題があることも確かでして、それは、ボクがドラマというものに全く興味が無い人間であるということ。例え誰が出演していようが、すこぶる興味がわかないということ。そしてそれ以上に大きな問題は、なんとも運の悪いことに、中学生日記がこのドラマの裏番組として、時間帯が重なってしまっていること。

これらをクリア出来なければ、恐らくきっとダブルあゃゃを見ることはボクには出来ないのだろうなあ などと今から心配しているのでした。


とまあ、ここまで書いて気がつきましたが、やっぱり一番大きく深刻な問題は、間違いなく中学生日記ネタが今日で2回目だということなのでしょうね。ははは。

あー。そんなことよかハロモニが見たいにゃー。

▲ [TEXT] 2003.11.21(Fri) / うたばんにおける娘。考
のっけからスタートダッシュという感があり、見ている側に非常に期待をさせながらも、結果的には「あれ?もう終わり?こんなに娘。の尺が短いの?」と見事に期待を裏切ることとなった今回のうたばんなわけですが、この娘。の出演時間の短さは過去に一度も無かったぐらいの短さだったのではないでしょうか。

前回のさくらとおとめの出演から1ヶ月程度であり、あまり時間が経っていなかったからという考え方も確かに出来ますが、全体的にここまで「やっつけ感」が伝わってしまう内容だと、どうにもこうにも見ていて良い気分はしないものです。

しかし、尺の短さもさることながら、どうも個人的には、ここ最近のうたばんにおける娘。パワーと言うものが、落ち込んできているように思えてなりません。

以前における娘。のうたばんは、ことごとく面白く、見ていて満足のいくものばかり。特に初期の頃の娘。とうたばんは、いつもいつでも最高のエンターテインメントを作り出していました。
今と比べるとタレント性も低く、素人同然とも言える娘。達だったにもかかわらず、番組における「笑い」は現在の数倍だったと言うのは一体どういうことなのでしょう。

明らかなる違いは、当然、娘。たちがテレビに慣れているのか慣れていないのかであるわけで、初期のテレビ慣れしていない頃は、全てのリアクションが素であり本気。番組の笑いと言えば、逆にそれが空回りしていることから来る、「天然的な笑い」だったのに対し、タレントとしての経験が豊富となり、テレビ慣れしてしまっている現在では、個々メンバーのキャラの確立から、自発的に「笑いを取りに」来ているという状況です。

テレビに慣れることや、自ら笑いを取りに行くという行為は、とてもポジティブな結果であり、本来誉められるべきことなのでしょうが、結果的に番組における笑いに差が出た主の原因がこれらなのだとしたら、これは実に皮肉な話ではないでしょうか。

今回だけに限って言うと「尺の短さ」という極めてマイナスとなる要因があっただけに、一概に上述の事があてはまるとは言えないのでしょうが、実際に笑いの差は歴然としていることを、過去のうたばんを見直しながら、ボク個人としては痛感したのでした。

とは言っても、一番の問題はやはり間違いなく番組側なのでしょう。
娘。に限らず、他のアーティストが出演したときでも、この番組の各アーティストに対する「いじり」というものは、どれもこれも同じパターンの使いまわし。

確かに「アーティストを無作法にいじる」というのがうたばんらしさであり、一種の番組コンセプトなのかもしれませんが、それと、そのいじり方がワンパターンであるということとは話は全く別です。これは決して誉められたものではなく、ただのうたばんスタッフ陣の怠慢であるとすらボクには思えてしまいます。

番組開始から早8年。
あるいはこれらは、この「うたばん」という番組自体が、最早限界であるが故の結果なのかもしれません。

2003.11.22(Sat) / たまには日記でもしたためてみる
なにやら外の方が騒がしいので、「ストーカーだけは勘弁して欲しい」などと思いつつ、そっとドア越しに聞き耳を立てていたら、どうもマンションの住人が興奮気味に騒いでいるようなのだ。
ボクは「いつでもどっしり」がモットーだ。そこらの人間とは貫禄が違う。

「まったく、何をお主らはそんなに慌てておるのだ。」

ストーカー疑惑から解放された事実も知り、すっかり安心してしまったボクが、いささか憤慨気味にこう呟きながらおもむろに近くにあった洗濯機に目をやると、先程まで動いていたはずの洗濯機が止まっている。もう洗濯が終わったのか などと思いながら洗濯物を取り出そうとしたのだがどうもおかしい。
嫌な予感がし、水道の蛇口をひねってみたところ、予感は的中。いくら蛇口をひねっても、何故か一向に水が出てこないのだ。どうやらマンションの住民が騒いでいたのは、この突然の断水状況が原因らしいのだが、そんなことは正直どうでもいい。

「いつでもどっしり」がモットーのボクは、それはもうみっともないほどにまで狼狽した

なぜならば、水が出ないと言うことは、すなわちそれは二度とウンコが出来ないと言うことを意味するからである。いや、これには語弊があるのかもしれない。正確には、たとえ強行してウンコは出来たとしても、二度とそれを流せない状況におかれていることを意味するのだ。
どちらかと言うとこちらの方がよほどへこむ事象ではないだろうか。

二度とウンコが出来ない状況。
果たして皆さんはその様な状況が想像できるだろうか。その様な拷問に耐えうるだろうか。

そんな絶望的な、よもや常人であれば死すら覚悟する状況の中、唯一の救いは、ボクがウンコをしない人間であると言うことだった。「アイドルはウンコをしない」。これは最早、世の定説である。
正直言って、命知らずであるはずのボクが命拾いをした。この際、九死に一生を得たという言葉も使っておこう。

こういった時に、自分が生粋の美少年アイドルであることはとても良い。とても良いことだ。
だけど、あゃゃのいいともを見忘れたのはとても悪い。それはきっとボクでも許されないのではないだろうか。

2003.11.24(Mon) / ハロモニにおける食べ物の効果
ボクが個人的にハロモニという番組に対して抱いているマイナスイメージというのは、何かにつけて娘。さん達に無駄なカロリーを摂取させるということだったわけですが、今回のハロモニを見て少しこの考えを改める形となりました。

「ハロモニ。一発勝負!!」と言った2チーム対抗のゲーム形式だった今回のハロモニ。いくつか用意されたお題を各チームが選び、相手チームの中からそのお題を失敗してしまいそうな人を一人指名。指名された人は、そのお題を一発で成功させねば、ごほうび(美味しそうな食べ物)を相手チームに横取りされてしまうという内容の企画。

この企画は、非常に単純な内容に付け加え、成功・失敗がよくわかる明確さ。さらに、一発勝負なだけにサクサクと番組が進行することから、ハロモニがよく陥るグダグダ感も無く、とても良質な企画だったわけですが、企画の良さだけではなく、この企画がより一層面白くなるためには、当然これらが「真剣勝負」であることが必要不可欠です。たとえ企画内容が良いものでも、それに取り組む姿勢が適当なものであれば、面白くなるはずがありません。

しかし、たかがテレビ番組内のゲームで、さすがの娘。さん達も無条件でいつでも真剣になれるとは考えにくいです。
ハロモニといえば、普通の人間だったらあまりにもアホらしくてボイコットしかねないほどの番組。そのため、最高のエンターテイナーである娘。さんにとっても、真剣に取り組むというのはいささか無理な要求です。

それほどのレベルであるハロモニにおいて、娘。さんに真剣にゲームをさせるためには、そうなるためのきっかけ、とりわけ娘。さん達にとってそうすることへのメリットが必要となってくるわけであり、それが「ごほうび」という形で利用されているわけですが、当然このごほうびは、このばかばかしいゲームを、日曜の昼間から無邪気にやらせるだけの動機と成りうる価値が、娘。さん達全員にとって有しているものでなければなりません。

そう考えると、番組の予算的な側面から考慮しても、また、番組・娘。双方のイメージ的な側面から考慮しても、ごほうびが「食べ物」に行き着くというのは、冷静に考えると極めて納得のいく結果です。

このハロモニという番組をより面白くさせるためには、「ごほうび」という名の食べ物は必要悪なのかもしれません。
となれば、娘。さん達には、そのごほうびをくれぐれも食べ過ぎないで頂きたい。それがボクの切実なる願いなのでした。

2003.11.25(Tue) / スポ根ドラマの起こした奇跡
先日放送された「VICTORY!〜フットガールズの青春〜」を、ボクは予告通り張り切って見逃しました。
というのは全くのウソで、実はしっかりと観賞することが出来ました。

今日はこのドラマを褒め殺したいと思います。

ボクは正直言って、こんなに感動的かつ完成されたスポ根ドラマを生まれて初めて目にしました。フットサルというスポーツを通じて、そこから得られる友情、人を信じることの大切さ、ひたむきに頑張ることの重要さ、そして究極の萌え

たったの2時間という長さでありながら、その全てが凝縮されたドラマなどは、後にも先にもこのドラマだけだー!うぉぉぉー! とボクは叫んでしまう程の勢いです。

「スポ根」という言葉のイメージから来る、「古臭さ」「汗臭さ」などはこのドラマには全くありません。番組の狙いとして、そのような既存のイメージを払拭させるということがあったようで、いわゆるスポ根ドラマ特有の「泣かせてやろう」的な演出は極力抑えつつ、さらには途中途中で視聴者の気持ちを切り替えるような場面が挿入されることにより、常にドラマのペースに変化を起こし、最後まで視聴者に飽きずに見させるということをも実現しています。
ドラマ嫌いのボクが、最後まで飽きることなく一気に見ることが出来たのは、この効果によるもの。

決して重過ぎない内容。笑える場面も多数ありながら、それでいて原点としてはしっかりとスポ根的な要素も抑えている。だからこそ、あゃゃの「夢はかなわなくてもいいと思う」という言葉も、その言葉のもつ力以上のエネルギーを含んでいるわけであり、つい視聴者側がドキッとしてしまう効果も持っているのだと思います。

当然突っ込みどころが満載なのも、最初から狙っての事。
突っ込みどころ、笑いどころ、馬鹿馬鹿しさ、そして真剣な場面。それらが絶妙に混在しているからこそ、そのコントラストがより鮮明に映し出されているわけで、この一つでも欠けてしまっていては、恐らくただのドラマで終始していたはずです。

感動するだけでは足りない。笑うだけでも足りない。まして萌えるだけなどことさら足りない。その全てを一度に感じること。これこそがこのドラマを観賞する上で最も重要なことであり、何よりも最大の醍醐味なのだと思います。

「VICTORY!〜フットガールズの青春〜」が起こした奇跡。
それは、このドラマの狙い通り、既存のスポ根ドラマを越えた正に「VICTORY」だったのだと、ボクはそう思ったのでした。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

とまあ、読んだ誰もが違和感を抱くぐらい、かなり無理をしてべた褒めをしてみたわけですが、実を言うとボクの本音は、このドラマの素晴らしさは全て出演者の素晴らしさです。ボク的には、勝負はすでにこの段階で決していました。

ここまで書いたべた褒めは、若干誇張はしているものの、確かに正直に感じた気持ちなのですが、しかしボクがそう感じたのも全てダブルあゃゃが共演していたがゆえ。正直この二人が出てなかったら、これは単なる質の悪いドタバタドラマだよなあ と思ったのです。

結局テレビなんて誰が出演しているかが一番重要なんですよね。ボクがこのドラマを見て学んだことは、正にこれに尽きるのでした。

「VICTORY!〜フットガールズの青春〜」が起こした本当の奇跡は、間違いなくダブルあゃゃの共演。誰が何と言おうとこれですよ。

2003.11.26(Wed) / 2人に共通する笑顔の怖さ
割と多くのサイトで、先日のFUNにおける絵里たんの「ライオンキング」発言がミラクルだったという文字列を目にし、いつものようにFUNを見逃してしまっている自分に対し、後悔の思いで悶え苦しみながらも、何とか先程観賞までこぎつけました。
やったぜやったぜイヤッホーイ!
ていうか、

うわー、萌え萌えじゃないですかー。これー。
絵里たんてば萌え萌えじゃないですかー。これー。


絵里たんてば、何故にあそこでライオンキングという発言に至ったのか、ボクにはさーっぱり理解できませんし、それ以上に、「ライオン、キング…あっ!」って驚くまでの時間がやけに短かったので、「えー?これって、最初から狙ってたんじゃねーの?台本通りだったんじゃねーの?」なんてボクは思わず疑ってしまったわけですけど、

うはー、超萌え萌えじゃないですかー。これー。

正直言って亀井さんは短期間に色々な技を覚えすぎです。これ以上の萌えりんこキャラになることは果たして許されるのでしょうか。そんなことになったら、ボク自身が耐えられるのでしょうか。彼女は一体何を狙っているのでしょうか。
あの屈託のない笑顔は、あまりにも純粋すぎるがゆえに、これにはもしかしたら裏があるのではないかと、何だかとても不安になってしまいます。

つんく♂が、シャ乱Q女性ロックヴォーカリストオーディションで、まだデビュー前の安倍さんの笑顔を見て「怖い」と極めて失礼な発言をしたのも、今のボクになら何となくわかる気がします。何を考えているか全く読めないほどにまで純粋すぎるがゆえに、それを見ている側は途端に不安となってしまう。あの当時の安倍さんと全く同じものを、亀井さんは持っているのかもしれません。

ていうかー、そんなことよりもー、

わひゃー、超萌え萌えじゃないですかー。これー。

あー。ちなみに、番組の萌えどころは間違いなくここだったのですが、番組最大の笑いどころは、女子プロレスラーバイエルン麻琴発言でした。
おい、いくらなんでもあんた、それオモシロすぎるだろ。

2003.11.27(Thu) / おめでとうを言うのは
えらく久しぶりにコラムを書いてみました。

【コラム】 後藤真希紅白出場に思うこと

自分の気持ちからなのか、それとも言わされたコメントだったのか、ボクには良くわかりませんが「紅白に出たい」発言はしなかった方が得策だったのではないかと、個人的には思っています。「ラブコールなんてしなくたって、紅白出場なんか余裕だよ。」って感じの、もっと言うと、「紅白なんて興味ないけど、しょうがないから出てあげるよ。」ぐらいの余裕を是非とも持ってもらいたい。ボクはそう思いました。

自分がやりたくて、自分が望んだソロデビューなのだから。自分の力で、自分の歌唱力と魅力で、世間の心を掴むまで紅白出場は自らの意思で先送り出来るぐらいでなければ、今以上の飛躍などは望めるはずも無いのですから。

2003.11.28(Fri) /紅白とともに歩むあゃゃの軌跡
昨日の紅白の話のつづきというわけではないのですが、あゃゃは順当に3年連続の出場を果たしましたね。これは当然の結果だと思いますし、特別驚くようなことではありません。

17歳という年齢はまだまだ若年ではあるものの、今年で紅白3年目ともなれば、これはもうただ可愛らしく歌うだけでは物足りません。そもそもあゃゃは普通に歌ってればそれだけで可愛いわけですし、3年目である今年は、是非とも「俗人どもを魅了する」というテーマを念頭に、頑張ってもらいたいものです。

『1年目には種をまき、2年目には芽に水をやり、そして花を咲かせるのは3年目。』
あの智将野村克也氏のこの言葉に則ると、紅白という舞台で本当の意味で花を咲かせるのが今年です。

1年目の種をまく時期は、初出場でトップバッターという大役に負けることなく、存分に「LOVE涙色」を熱唱しました。あまりの緊張で歌っているときの記憶は無いと本人も言っている通り、見ているボクにも緊張感が伝わってきて、思わず「頑張れ!頑張れ!」と心の中で応援をしてしまったのを今でも覚えています。
この1年目に、松浦亜弥という存在を世間にアピールすることに成功しました。

2年目は、正に「国民的スーパーアイドル」の異名にふさわしいあゃゃオーラを前面に押し出した上での「Yeah!めっちゃホリディ」。2回目の出場で幾分余裕があったのか、楽しみながら歌っている感じでした。
あゃゃのイメージにぴったりの明るい楽曲の効果もあり、紅白という場全体を見事なまでに華やかに飾った事が、間違いなく松浦亜弥がスターダムにのし上がったという歴然たる証でした。
イメージが定着しつつあった2年目、そのイメージを裏切ることなく見事にスーパーアイドルとしてのパフォーマンスを成功させたのです。

そして今年の3年目。
あゃゃが今以上の大輪の花を咲かせるためには、一体何を歌えばいいと皆さんは思われるでしょうか。

言うまでも無くその答えは「THE LAST NIGHT」です。

既存のイメージからの脱却。
いつまでもスーパーアイドルというイメージに振り回されるのは良くありません。わかりやすいキャラクターは、お手軽に人気を得るにはうってつけですが、ともすればその強烈なイメージにより伸び悩む可能性もありうる諸刃の剣です。子役は大成しないと言われる所以も正にこれです。

今現在のあゃゃにとって、ただ紅白に出るだけでは何の意味もなしません。
その紅白でどの様なアピールをし、そして今後の活動にどう生かすのか。そう考えた場合、「THE LAST NIGHT」という選曲以外は最早考えられないのです。

それも、ただこの曲を歌うだけではいけない。

曲の出だしはバイオリン奏者一人だけの静かな伴奏とともに、ほぼアカペラで独唱。そしてサビの部分に突入すると同時にフルオーケストラがバックに出現。壮大な演奏にあわせて一気に盛り上がり、間奏から最後のサビのリフレインまで、そのままの勢いで盛り上がりを見せ、最終フレーズ直前で余韻だけを残しオーケストラの伴奏が全てストップ。ワンテンポためを入れて「冬が始まる」のラストフレーズ。

確実に泣く。こんな演出がなされたら、ボクは確実に泣く自信があります。

恐らくボクが泣いてしまうぐらいのことをやり遂げなければ、一般層の既存イメージを打ち砕くにまでには至らないのかもしれません。是非ともボクを泣かせてください。
こういった歌ほど演出の効果がより重要になってくるもの。演出如何によっては、これらは絶対に不可能とは言い切れないと思います。ただ単にこの歌を歌うだけでは、当然何の効果も期待できないのですし。

とにかく決して単調にはならない、メリハリのある壮大なる演出を、ボクは切に願います。そしてもちろんあゃゃだったら、それを歌いきることが出来るのですから。

まあ、とは言ったものの、なんとなーく夏男あたりを歌いそうな気がしないでもないのですが…。
そういった間違った方向にいかなければ良いんだけどなあ。

2003.11.29(Sat) / なっち卒業シングルの行方
来年の1月21日、安倍さんの卒業前にモーニング娘。の21枚目のシングルが発売されるそうで、今回のシングルも本体でのリリースであり、分割でのリリースはどうやら先送りのようです。ツアー後も本当に分割して活動をすればの話ですが。

今回のシングルは、当然なっち卒業前のシングルであるがゆえに、誰もが疑うことなくなっちメインの歌になるのだろうと思っているようですが、果たして本当にそうなるのでしょうか。ボクは、これには大いに疑わしい部分があると思っています。

最近の娘。のシングルにおけるなっちのパート割りは極端に少ないものであり、これから察するに、今回も同様に少ないと考える事の方が流れ的には自然です。
ただの定期的な一現象にしようとしている「娘。からの卒業」に対し、彼らが今更特別なことをするとは非常に考えにくいです。例えその対象がなっちの卒業であろうとも。

そもそも、卒業して娘。からいなくなってしまうのが、現段階ですでにわかっているなっちをメインに持ってくることは、その後のリスクが大き過ぎます。
その後のパート割りの変更、ダンスのフォーメーションの変更。果たして彼らがこういったことに労力を割くことを良しとするのでしょうか。彼らにとってみたら、これらはただの「無駄なこと」のはず。

そしてそれ以上に、なっちの卒業ソングと銘打っておきながら、その後メインボーカルを変更して違うメンバーに歌われるのも、それはそれで聴く側としても気分のいいものではありません。

しかし、だからと言って、娘。の顔として存在したなっちの娘。最後のシングルが、シャボン玉の如くほとんどパートが無いといった状況で終わってしまうなんてことは考えたくありませんし、そんな事態は考えただけでも気分を害します。

恐らく、これらの諸問題を全て解決する唯一の手段は、今回のシングルをなっちの卒業と同時に完全に封印するという方法だけ。今後一切歌われること無く、いつまでもモーニング娘。の安倍なつみがメインで歌った最終曲として完全に封印する。
最早これ以外には無いのではないでしょうか。

しかしながら、そんな気前のいい事を、彼奴らが本当にやってくれるのかと言ったら、正直無理だろうなあ などと弱気にもなってみたり。
どうにもこうにもやっぱり、なっちが娘。を卒業すること自体が、この期に及んで間違っている気がしてきました。いや何を今更そんなことを。

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