過去ログ 2004年1月後半


2004.1.17(Sat) / Verの意味は特にない
やらねばならないことがあり、非常に忙しい時に限ってサイトのリニューアルがしたくなるのは何故でしょう。思い起こすと、過去のリニューアルも、ほぼ全てが現在のように多忙の時に無駄に時間をかけて行ってきた気がします。

しかし、無事にリニューアルも済みましたし、現在は非常にすがすがしい気持ちでいっぱいです。とりあえず今日はこれだけ。「よろしく!センパイ」でのあゃゃを見て、デビュー当時からやっぱりあゃゃはかわいいよネ! という言葉を残し、終わりにしたいと思います。

▲ [TEXT] 2004.1.18(Sun) / 松浦の口パク問題から
ここ数日のコラムのプレビュー数が100hit/dayと、いつもより多めのアクセス数となっているわけだが、その訪問者の大半が「コンサートワッチ」という検索によって訪問して来ていることからも、どうやらあゃゃの口パク問題の煽りが当サイトにまで及んでいるようなのだ。
何のことだか分からない人のために軽く説明をしておくことにするが、コンサートのワッチと思われる音源が流出したことにより、残念ながらあゃゃがコンサートツアー中に少なくとも一曲は口パクをしていたということが判明してしまったのである。

娘。の口パクが日常化していく中、デビュー当時から、歌番組でもコンサでも口パクなどとは無縁だったあゃゃだっただけに、ボク自身、この事実を知った際はかなりの衝撃を受けるに至った。多忙なスケジュールによる疲労からか、昨年はコンサートツアー途中での曲カット等もあり、少なからずその影響によるものだといった予想はつく。事実、あゃゃの年末のテレビ番組出演時における疲労しきった精彩の欠く顔には、非常に痛々しいものがあり、ボク自身とても心配になったものだ。

全ての元凶は、所属タレントのことを労わろうとしない、事務所による過密スケジュールにあるのだと言い、事務所の批判をするのは簡単だ。しかし、この様な状況に至ったその原因を考えると、個人的にはこれはただの事務所批判では片付けられない問題の様な気がする。
少々言い方は悪いが、事務所にとってタレントは大事な商品であり、金儲けのための道具なのだ。大事な商品を労わるという行為は自然であり当然の行いだろうが、しかしそれはあくまでも商品としての価値を有しているものに限られる。

これが仮に、あゃゃに商品価値のあるうちに使えるだけ使っておこうという精神の下、今現在躍起になってこの事務所が、この様な過密スケジュールを組んでいるのであるならば、これは裏を返せば、あゃゃの商品としての価値の低下を事務所側が認め、焦った上での行為と捉えることも出来るのだ。事務所的に将来まだまだ有望な商品なのだとしたら、果たしてこの様に焦って使い切ろうとするのだろうか。

所詮は都合のいい解釈にしろ、ツアー途中の曲カットにはある程度ポジティブな解釈をすることは出来た。あゃゃ本人が、全公演を自分自身納得の行く形で終わらせるには、数曲カットしてでも全ての歌をなおざりにせず、しかっりと歌いきりたいと思ったがゆえの苦渋の決断。真実はどうであれ、そう考えることがファンとしては正しい見解なのだとボクは思う。しかし、今回の口パクには、最早言い訳は通用しない。

幼い頃から歌手になることを夢見ていたあゃゃが、自分のソロコンサート中に口パクで「歌っているフリ」をして「観客を騙す」という行為を、果たしてどのような気持ちで行っていたのだろうか。その時の気持ちを考えると非常に心が痛む。恐らく、そんなあゃゃだからこそ、口パクの際もファンに分からない様にと必死になって音に合わせていたに違いない。

時折、あゃゃが、そして同様に娘。達が、自分自身のソロコンサートですらその意思や意見が介在出来ていないといった状況を考えると、とても不憫に思えてくることがある。これは歌っているのではなく、まるでただ単に歌わされているようにすら感じる。それを、アイドルであるがゆえの定めだと簡単に言ってしまうのは、やはりあまりにも悲しい事ではないだろうか。

今回の一件は、ここ最近の不要とも思える事務所の様々な不快な行為と全く無関係なものだとはボクには思えない。思った以上に事態は深刻なのかもしれない。


(※サイトのVerアップに伴い、これからは「ですます調」の口調を変えることにしました。)

2004.1.19(Mon) / ハロモニにおける演出の変化
ハロモニ。ウルトラクイズという企画は非常に面白い企画だ。その企画内容自体は極めて凡庸であり、目新しいものなどは何もない。しかしながら、スタジオ中を飛び交う珍回答は、娘。達が真剣になればなるほど皮肉なことに視聴者の笑いを誘う。これは、下手なお笑い番組よりもよっぽど笑いの取れる企画ではないだろうか。いつもの事ながら、この程度のことで一喜一憂する娘。は、とりわけて純粋だなあとは思う。
だが実は、今回注目すべきはそういった企画の面白さではなく別のところにあった。

今回はクイズに正解することで、お決まりの褒美として海鮮丼のネタが与えられたわけだが、当然クイズに正解出来なければネタは手に入らず、自分の丼にはいつまでも白いご飯のみとなる。
すでにあらゆる番組の企画により、娘。内で誰が常識的な知識を持ち、そして誰が欠如しているのかということは、今となっては知れ渡っていることであり、藤本がこういった企画を「苦手」にしていることはある程度予測のつくことだろう。案の定、藤本の丼にはいつまで経ってもネタが乗らないという状況が続いた。

藤本は時折テレビに映っているということを忘れてしまうのか、本番中に非常に気の抜いた表情をすることが多々ある。それは正直に言ってあまり褒められたものではなく、言ってみればマイナスの印象を視聴者に与えかねない。実は今回も、クイズに正解し、ネタを手に入れ喜ぶメンバーとは実に対照的に、その気の抜いた表情が画面上に映し出されたのだ。それはあたかも、自分の丼にネタが乗らないことを不愉快に思っているかのごとく。

ただ、これがこのまま終わってしまえば、今までと何ら違いもない。今回番組の演出として以前と決定的に違ったのは、そのともすればマイナスイメージになりがちな藤本の表情を逆手に取り、笑いに転化させていたことにある。

ロマンティック かなりイライラモード

この藤本の表情を、「ロマンティック かなりイライラモード」といったテロップと、BGMに「ロマンティック浮かれモード」をあえて挿入することにより、見事に笑いへと変換しているのだ。これは以前までのハロモニにはない演出であった。
娘。をあまり知らない一般層が目にした場合、間違いなく悪い印象を与えるであろうこの藤本の表情を、制作側のちょっとした演出により「モーニング娘。ってこういうノリもありなんだね。」と思わせることが出来る。これは初期の頃の娘。における「うたばん」の演出と酷似していると個人的には思うし、実に小気味好いエクスキューズではないだろうか。

しかし問題は、この演出が、一般層ではなくヲタに向けたエクスキューズである場合なのだと思う。
あの様なテロップがない場合に、本気になって藤本の表情を批判しだすヲタが、最近は随分目に付くとボクは思うのだ。何もこれは藤本の表情だけに限ったことではない。あらゆる面で「ゆとり」のないヲタが最近は多く、紛れもなくこれはヲタの質の低下に繋がっているのだと思う。

もっとヲタは様々な面で大人にならなければならない。これはもちろん自戒の意味も込めて。そうでなければ、ハロプロの復権などは最早ただの夢物語にすぎない。

2004.1.20(Tue) / やつにはかなわない
そう言えば、特に今まで気にも留めていなかったため気がつかなかったのだが、よくよく考えると、"新ボーカルグループ" こと『Berryz 工房』のデビューシングルが、「CAN'T LIVE WITHOUT YOU!」だと言うのは、これはもしかしたら色々と法的にも問題となってくることなのではないだろうか などと少々不安になってきてしまった。年端も行かぬ女の子達に、「あなたなしでは生きることは出来ない!」などと言ったタイトルの歌を、「無理矢理に」歌わせることになるのだ。これは、彼女達の人権を侵害しているのと同時に、大変なるセクハラである。この様な行為がまかり通っていいはずがない。

しかも、このつんく♂のやろうが、レコーディングの際に必ず「自分好み」の歌の歌い方を彼女達に強制するのであろうことは、これまでのレコーディング風景からも誰もが知っている承知の事実であり、となればこれはつまり、「年端も行かぬ女の子に、卑猥な言葉を、自分好みな言い方で無理矢理に言わせて楽しむというプレイ」と最早同義なのである。なんてエロいヤロウなんだつんく♂のやろう。しかも相手は小学生だ。

更にその上、このつんく♂のやろうは、本来レコーディングの際は歌い手のみしか存在しないはずのレコーディングブースに、あろう事か自分自身も一緒に入り込み、二人だけの密室の空間内で上述のプレイを堪能しているのだ。そのプレイ回数は、『Berryz 工房』の構成人数8人から、計8回にも及ぶ。

そして、このプレイを3ヶ月間ぶっ続けで楽しむことが目的であるとしたら、『Berryz 工房』の3ヶ月連続リリースの謎も見事に解決するし、「8人はあくまでもスターティングメンバーで、入れ替えもある。」なんてあらかじめ言っておいたのも、この男がキッズ15人全員を辱めることを目的としていると考えれば、全て解決してしまうのだ。現時点ではまだまだ未知数であるはずのキッズに、ここまで力を入れることには本来リスクが大きすぎるはずであり、避けるべきことである。しかしそんなリスクをも凌駕するほどのつんく♂にとってのメリットは、正にこれだった。なんてうらやましい、じゃなかったうらめしいヤロウなんだ、つんく♂めー。

つんく♂が、レコーディングの度にこれら全ての変態行為を、プロデューサーという肩書きを利用して公に実行していることを考えると、そろそろ奴には天罰が下ってもおかしくはないと思う。あの中野サンプラザのイベントで見せた、ニンマリとしたエロスマイルは、これから先の至高の3ヶ月間を想像したがゆえに、思わずこぼれ出た笑みだったのか。それでいて平然と、「昨日は中野サンプラザで「Berryz 工房」のお披露目発表会に、俺も立ち会ってきたぜ〜〜!」などと陽気に語るとは、とんでもない暴威をふるっていやがる。

分かってはいたことなのだが、やはり色々な意味でつんく♂は天才だな と改めて思った。ボクらがかなうわけがない。

2004.1.21(Wed) / 洗脳
昨日はうっかり見逃してしまった「よろしく!センパイ」を見てみたのだが、噂に違わぬキッズ密着ぶりと、それを見守る娘。=センパイという番組が作り出した構図に、抗しきれない時代の推移というものを感じた。あまりにも極端なこの移り変わりには、何か異様さすら感じさせるものがある。

しかしこの番組を見ることで、知らず知らずのうちに視聴者に、べりーずこうぼうのメンバーの名前と顔とを一致させようと番組側は企てているのだろうが、ボクがそんなちんけな計略に引っかかるとでも思っているのだとしたら大間違いだ。そんな見え見えの計略に引っかかるとでも思っているのか。そんなものは絶対に覚えない。覚えてなんかやらない。ゼッタイに覚えてなんかやらない!だがしかしもちろん番組は今後も張り切って見る!

ところで、番組内で放送されていた中野サンプラザでのイベント映像を、ボクは今回初めて目にした。そのイベントにおいて、このグループのほとんどのメンバーが、「他のメンバーには負けない」だとか「べりーずこうぼうで1番になる」などといった、非常に強気かつ前向きなコメントを発していたようなのだが、このコメントには少々引くものがあった。言わされたコメントではないのだろうが、常日頃から「他のメンバーには負けるな」だとか「常に一番になりたいと言う気持ちを持っていなきゃ駄目だぞ」なんて事を、周りの大人達から言われているのだろう。そして、そういった気持ちを前面に出すのは悪いことではなく、むしろ良いことなのだと。
そのような影響により、あたかも統一されたかのようなこれらのコメントを耳にした瞬間、なにやら「洗脳」という二文字がボクの脳裏をよぎった。

冷静になって考えると、小学生の幼い子供達を、芸能界と言う大人の世界で大人の都合によって「アイドルに仕立てる」と言う行為は、正に倫理に反する行為であり、これは著しいモラルの欠如である。例え本人達の意思がそこにあったのだとしても、それはほんの些細なことに過ぎない。ハロープロジェクトキッズには、そういった「裏」の部分が見え隠れすることによる、ある種の痛々しさというものをボクは感じるのだ。そしてこれが、ボクがキッズ肯定とはなれない主たる原因なのだと思う。

2004.1.22(Thu) / 子猫ちゃん
あやや&モー娘。日本を救うなどといった大層な見出しがあったので、どんなすごいことをしたのだろうかと期待に胸を膨らませていたら、どうやらフットサルのことらしい。フットサルをやることでどうやって日本を救うのかは、ボクの様な凡人には皆目見当もつかないことなのだが、「あやや&モー娘。」のことだから恐らく救うことが出来るのだろう。そんな気がしないでもない。

チーム名は「Gatas Brilhantes H.P.」と書き、「ガッタス ブリジャンチス H.P.」と読むのだと言う。全く覚えられそうにない名前であることからも、どうやらチーム名は覚えて欲しくはないらしい。
またこれは、ポルトガル語で「輝く猫達」という意味らしく、素晴らしい女性という意味でも使われるということなのだが、それはつまりメンバーを猫に見立てているということなのだろうか。娘。達が、年末の歌番組において猫耳のカチューシャなどのコスプレをしていたことからも、もしかしたら今年のハロプロのテーマは「子猫ちゃん」なのかもしれない。しかし、もしそうなのだとしたらそれはあまりにも痛すぎるのではなかろうか。

そう言えば、自分の愛しい人を「子猫ちゃん」と呼ぶと公言していたあの人は、今は一体何をやっているのだろうか などとふと疑問に思ったのだが、これはこの際どうでもいいことなのだと思う。

どちらにせよこのフットサルは、ボクにはあまり興味のない話題であった。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

昨日の日記「洗脳」について、モー神通信。より、コメントを頂きました。
それによると、実際の会場では、洗脳といった印象は特に受けなかったと言うことです。それを聞いて幾らか安心致しました。あの映像を見る限りにおいては、つんく♂は、キッズの子が「一番になりたいです」と言った後に、「よっしゃ、ええぞ!」といった合いの手を入れているようでしたので、その光景に少々恐ろしくなったのです。もっとも、「幾らか安心した」からといって、ボク自身もキッズプロジェクトを擁護するつもりは「今のところは」ないのですがね。(今後のことも考えて、逃げ道を作った言い回し)

2004.1.23(Fri) / 別名を「漢チョー」とも言う
考えてみたら、ついに今度の日曜日をもって、なっちが娘。から卒業をしてしまうのだ。発表当時はまだまだ先の事だと思っていたというのに、気が付けばその卒業の日はすぐそこにまで迫って来ている。思っていたよりもずっとずっと早くその日は訪れた。とても悲しい。胸が締め付けられるような思いである。安倍なつみの存在しないモーニング娘。。これからボクは、一体何を糧に生きていけば良いというのだろうか。そんなことを考えると、絶望的な気持ちになってくるものだ。

ふふ〜んふふふ〜んふふふふふ〜ん♪(陽気な鼻歌)

そんなことよりも、昨日のうたばんは、娘。としては最後の出演ということで、なっち卒業SPのような番組内容であった。メンバー一人一人がなっちに花束を手渡しし、手向けの言葉を送るその光景は視聴者の涙を誘うものであり、とりわけ悲しみの涙に咽ぶ矢口には、思わずもらい泣きをしてしまうほどである。しかし、基本的にこういったシーンが苦手なボクには、正直言って直視しづらい場面ではある。何故かとても気恥ずかしくなるのだ。そこでボクは、おもむろにカンチョーワールドカップについてあれこれと考えることで、この気持ちをごまかしてみる事にしたのであった。

カンチョーワールドカップ、それは正に死闘である。とかくカンチョーとはオモシロ遊戯と思われがちだが、それはあまりにも危険すぎる誤認だ。屈強の漢達が己の命を懸けて挑む闘い。それこそがカンチョーワールドカップであり、この場合、言ってみればカンチョーは暗殺拳に相当する。カンチョーワールドカップとは、軽い気持ちで足を踏み入れれば、そのまま命を落としかねない程の危険な世界なのだ。その危険に晒されているのは何も肛門だけではない。肛門からの反発力により、指先にも同等の衝撃を受けるに至る。肛門からの出血量に伴い、人差し指の骨折確率は指数関数的に増加し、そして肛門からの出血多量により、漢達は死に至るのだ。生きるか死ぬか、殺るか殺られるか。言い換えれば、これはカンチョーにかこつけた殺し合いだ。正に戦争である。カンチョー、やつらを侮ってはいけない。ダメ、ゼッタイ。

と、そんなことを考えているうちに、番組はいつのまにか終わりを告げていたのであった。どうも湿っぽいシーンは苦手である。

2004.1.25(Sun) / 涙のシーンに厳かな言葉など要らない
前回の日記で、「湿っぽいシーンは苦手だ」と言ったばかりのボクではあるわけだが、先日のFUNにおける涙のシーンには、何故か気恥ずかしさが湧いてこなかったのだから不思議な話である。気恥ずかしいとは思わなかったどころか、若干涙ぐんでしまう程であったのだから、爽やかボーイとしてはかなりの失態だ。どう考えても、うたばんにおけるシーンよりも、FUNにおけるそれの方がよっぽどお涙頂戴ものであり、きまりの悪い思いをするのはむしろこちらの様な気がするものだ。言葉詰まった辻ちゃんが涙を流すシーンなど、冷静には見ていられないはずである。

しかし、ボクが恐らくそうならなかったのは、今回のFUNにおいては番組側の邪魔な演出と言うものがほぼ除外されていたからなのだと思う。時間的な都合もあるのだろうが、メンバー一人一人がコメントするのではなく、二人だけに限定していたことがボク的に効果的だったばかりでなく、うたばんのように一人一人順番にコメントを言うといった形を取らなかったことで、自分の番が来ることに対する「構え」のようなものがなく、発せられたコメントは極々自然なものだったのだ。違和感のない自然の涙シーンであるならば、見ていて気恥ずかしい思いなどするはずがない。

番組中の「(突然コメントを求められて)ビックリしている。」と言ったなっちの言葉からも分かるとおり、なっちに対するメッセージを突然要求された辻ちゃんは、あらかじめコメントなどは考えていなかったのだろう。少々戸惑いつつも、その前になっちの手料理を食べていたことから、照れながら「ごちそうさま」という言葉を発した。しかしこれではメッセージとはならない。暫くうつむき加減で、必死に言葉を捜す辻ちゃんは、涙ぐみながらも顔を上げ、意を決したかのように次の言葉を発する。

「卒業しても………」

ここで一瞬間をあけ、次に出てきた言葉こそが、ボクが涙ぐんでしまったその最大の理由であった。

「……プリクラ取りに行こうね。」

どうだろうか。このほんの些細な願い。プリクラを取りにいくことなど、卒業後だっていつだって出来るようなことであろう。しかしだからこそ、そんな些細なお願いだからこそ、このコメントには、見ているものの涙を誘う力を持っているのだ。簡単な言葉ほど人々の涙を誘う。これが「卒業しても応援しているから、お互いに頑張ろうね」みたいなコメントであったら、ボクは再びカンチョーワールドカップについて思い馳せねばならないところであった。また、この言葉尻が、泣いてしまったことにより若干フェードアウト気味であったことも、かなりのポイントとなった。つまり最後の「行こうね」という部分は、詰まる言葉を一生懸命に搾り出したという感じであったのだ。
これら一連の流れが全て極自然であったことが、FUNとうたばんにおける同様なシーンとの決定的な違いであり、思わずボクが涙ぐんでしまった原因なのだと思う。

とまあここまで書いてなんだが、この様な不要なる分析は、せっかくの涙を誘うシーンも台無しにしてしまうなあとは、我ながら思ったりもした。

2004.1.26(Mon) / なっち卒業
このサイトの短い歴史を振り返ってみると、これまでにトップページの画像として、あゃゃ以外の画像を使ったことは一度たりともなかった。(正確にはあるのだが、その頃を知っている人は誰もいないのだと思う。)それはもちろん、トップページのあゃゃの画像こそが、このサイトのスタイルを明確に提示した物的証拠であり、あゃゃ推しサイトとしてのわりと無理矢理なこじつけでもあったからだ。

恐らくあゃゃのトップ画を見れば、誰もがここがあゃゃ推しのサイトであると思い込むのであろうし、実は「小川麻琴激推しサイト」であると言うことには誰も気が付かないのであろう。トップ画が、うまい具合にカモフラージュにもなっているわけである。しかし、もう思い切ってカミングアウトしてしまうと、実のところこのサイトは、ピーマコ小川に萌え死のうとしているサイトなのであり、ピーマコ小川萌え萌えだーー!!と唐突に叫び出してしまうようなサイトなのであった。

と、どうやらとても気分の悪くなるウソをついてしまったようだ。

臨時トップ画ところで、そんなこのサイトも、今回ばかりはその威厳ある歴史に背くことになってしまった。安倍なつみの娘。卒業という、ある意味においては非常に危険なイベント、ニトログリセリン級に危険なイベントを記念して、その安倍なつみ嬢をトップ画に採用するという英断を下したのである。どうであろうかこの画像は。気に入ってもらえたであろうか。

これまでにこのサイトでは、あゃゃの画像以外を使用したことはなかったことからも、ボク自身いささか興奮気味ではある。何事においても異例を作る事には抵抗があるものだ。しかし、そんな困難を乗り切り偉業を成し遂げた事で、なにか感慨深い思いが沸々と湧き上がってくるようだ。

横アリでの卒コンは、恐らく盛大に行われたのであろう。ボク自身コンサートレポの類は一切目にしない主義なため、そんなものは知る由もないのだが。
とにもかくにも、なっち卒業おめでとう。今後も、その生まれながらにして持っている「笑顔」という武器をことさらに振りかざし、是非とも狡猾に生きていってもらいたい。そしてゆくゆくは妹と姉妹ユニットだ!誰にも「共倒れ」だなんて言わせないゾ!

しかしどうでもいいことなのかもしれないが、安倍嬢は後姿だけ見ていると、もしかしたらアイドルとしては難しいレベルにあるのかもしれない。これは意外とへこむことなのではないだろうか。

2004.1.27(Tue) / 奇跡の予感
「愛あらばIT'S ALL RIGHT」に対するつんく♂のコメントは、前回の「Go Girl〜恋のヴィクトリー〜」の時と比べるとえらくまともなものであり、つんく♂にとっても、これが安倍なつみの娘。最後の曲であるという思いは、もしかしたら強かったのかもしれない。ただその割には、卒業に対するコメントの方はやっつけ感が丸出しなので、やはり単なる思い過ごしかもしれないのだが。

安倍の卒業によって、恐らく娘。自体何が変わるって事はないのだと思う。
安倍のパート割りはもちろんのこと、テレビ番組におけるカメラ割りすら全くと言っていいほどなかった「シャボン玉」は、まるでその安倍がもう卒業して娘。に存在していないかのような扱いであったにもかかわらず、しっかりと成立していた。もちろん分割したおとめ組の方にも、安倍は存在していなかったのだ。

安倍も娘。の一メンバーに過ぎない。安倍卒業に際して、その後のことも考えた措置がこれまでに少しずつ行われてきたのだから、今後の娘。における変化の様なものは正直言って何もないのだろう。これからも何も変わらず、安倍なつみの存在しないモーニング娘。は新曲をリリースし、活動を続けていくだけ。残念ながら安倍の卒業すらも、ただの通過点に過ぎないのだ。

娘。のシンボル・象徴と言った問題はあるのだろうが、ここにおいて、依然としてその様な「モーニング娘。らしさ」を訴えるのは、恐らく間違えている事なのだとボクは思う。これからのモーニング娘。らしさがしっかりと形成されるのであれば、何も問題のない事なのではなかろうか。過ぎてしまったことよりも、大事なのはこれから先どうなるのかと言うことだ。

しかしそんな中、今週発売のあゃゃ新曲「奇跡の香りダンス。」が、ビックリするぐらいに超ノリノリになれる曲であることが判明した。どうやらつんく♂には、まだまだいい曲を作れるだけの余力が残っているらしいのだ。正しくタイトル通りに、この曲からは、「奇跡の香り」が漂ってくる気がしてならない。

2004.1.28(Wed) / 奇跡の香りに満ち溢れていた
真の漢は優雅にどっしりと構える。無論フラゲなどとは無縁である。

と言った実に頼もしい漢の信念を持っているはずのボクが、「奇跡の香りダンス。」をフラゲするというオタク丸分かりな行為を行ってしまった。フラゲなどとは、一体いつ以来のことなのであろうか。少なくとも真の漢に目覚めて以降はなかった行為である。しかしこの曲には、その様な行為に至らせるだけの漲るパワーが宿っていたのだ。

曲全体から溢れ出る躍動感。イントロが流れ出すと同時に「歌っちゃえー!歌っちゃえー!」といった具合のそそられ感が満載、何か肛門から突き上げてくるような衝動を感じるに至る。「とりあえずサビから入って一発盛り上げとこかー」と言ったちんけな構成をとらずに、始まりからこれだけの躍動感が曲全体に満ち溢れているのは、メロディーラインの良さもさる事ながら、あゃゃ自身のこの「投げやりな感じ」の歌い方によるところが大きいのではないかと、あゃゃヲタ的にボクは思ったりもした。

そんな歌い方による影響か、曲だけを聴いていたら、恐らく何を言っているのかは分からないであろう。しかし、これは当然この曲にあわせた歌い方であり、そしてこのことはあゃゃが「歌い分けの技術」を身に付けているという歴然たる証でもある。もしかしたら簡単なことだと思われるかもしれないが、これは大変に高度な技術だ。以前まではそれほど明瞭に感じることはなかっただけに、あゃゃがいつの間にかここまで歌手としての力を身に付けているとは思いもよらなかった。

しかしそれ以上に驚くべくは、そういった明確なる「歌い分け」を行っているにもかかわらず、それでいてしっかりとこの曲には、満遍なくいわゆる松浦色が出ていることにある。
一般的に連想される「あゃゃらしさ」というものとは、随分とかけ離れているのであろうこの曲においても、やはり等しく「あゃゃらしさ」というものがしっかりと出ているというこの事実。これを驚きと言わずして何を驚きと言うのかこのやろう。

ついにあゃゃはこの境地にまで達したらしい。あまりの驚きゆえ、思わず泡を吹いてぶっ倒れてしまうかと思った程だった、と、それはさすがに言い過ぎ感が丸出しである。

とにかく、2004年のしょっぱなからこれほどの楽曲を提供してくるとは予想外のことであった。これが吉と出るのか、はたまた凶と出るのか。この曲が一つの基準になるだけに、今後のつんく♂ワークスには目が離せない。

2004.1.29(Thu) / 「Close-up Version」をクローズアップ
♪YOU ARE MY ANGEL 髪を撫でてよ
「うん!撫でちゃう!」(にっこり爽やか笑顔で)

ということで、聴けば聴くほど奇跡の香り漂う「奇跡の香りダンス。」のシングルVには、特典映像としてClose-up Versionが収録されているわけであるが、今回のこのClose-up Versionは、これまでのClose-up Versionよりも更なるアップ映像となっているというのだから、もはや曲と同様、こちらの方も十分に奇跡と呼ぶに価するようだ。

Close-up VersionよりClose-up Versionより

画面からはみ出てしまう程、贅沢なアップで映し出されるあゃゃのキュートなお顔は、このノリノリの楽曲の勢いに乗じてガシガシと脳内に飛び込んでくる。ここまでアップ映像にして許されるの?本当にいいの?大丈夫?捕まらない?などと、これは、見ている側が何故か意味もなく不安になってしまうほどの代物であり、この特典映像は一見の価値あり。歌詞にあわせ、コミカルに色々な表情を作ってくれるのがまた面白い。さすがはあゃゃだと、思わず唸ってしまうほどの一品である。

しかしながら、「これが萌えるのかおい?」と問われたら、貪欲なボクははっきりと漢らしく「萌えヌ!」と即答するのであろう。

その原因はやはり、光の照射が強すぎるあまり反射も強すぎ、顔の起伏等がまったく見られず、本来のあゃゃの表情が、まるでマネキンの如く死んでしまっていることにある。これではあゃゃが、己のキュートさを存分にアピールするべく、めくるめくキュートな表情を得意げに披露しても、その効果は半減。せっかくのアップ映像による萌え効果も半減し、結果的にありがたみも半減してしまうのだ。貪欲なボクとしては、これは如何ともし難い状況と言わざるを得ない。

だからと言って、撮影時にその光を弱めるわけにもいかないのだろうから、確かにこれはとても難しい問題ではあると思う。しかし、ただ単にアップにしさえすればヲタが喜ぶと思っているのだとしたら、そうは問屋が卸さないと、撮影スタッフ陣には言っておきたい。顔面アップという技は、あゃゃがデビュー当時から幾度となく繰り出してきた得意技であり、今となっては熟練の域に達する。単なるアップ程度で、それをずーっと見てきた人間(ボクたちヲタという社会的弱者)を喜ばせることなど、おいそれと出来ることではないのだ。あまり見縊ってもらっては困る!

メイキング映像よりそれはそうと、実はこのシングルVにおいて「萌え」という言葉が適用されるのは、Close-up Versionよりもむしろメイキング映像におけるアップ映像であった。
いつもの如く、自分撮影をしながら新曲の説明をする大天使の御姿には、大いに萌えてかまわないとボクは思った。
しかし今更言うのもなんだが、あゃゃはこの手の類は実にこなれている。

2004.1.30(Fri) / マズイ とにかくマズイ
つんく♂セルフカバーアルバムと銘打ったインチキアルバム『TAKE1』に収録される「LOVE〜Since1999〜」というデュエット曲のパートナーに高橋愛が抜擢されたということは、ボクらヲタという名のつんく♂の下僕にとっては最早分かりきったことではあるわけだが、そんなつんく♂が2月6日放送のFUNに出演をするという情報が飛び込んできた。

どう考えてもこれは、つんく♂のヤロウが一人で出演するのであろうが、ここは一つ高橋愛と共演するといった妄想を持って話をすすめていきたい。

つんく♂と一緒に高橋が出演する様を是非想像してみて欲しい。これはすごい事ではないだろうか。おまけに二人でデュエットを歌うときた。デュエットと言えば、歌の最中に男女がお互いに求愛するのが通例となっている。実はボクはこの「LOVE〜Since1999〜」という歌を聴いたことがないので、メロディーはもちろんのこと、どういった歌詞なのかすら全く分かっていないわけであり、この辺は都合よく妄想補完してみているわけだが、この歌も「求愛」を前提としている場合、彼の諸々の立場上、ハロプロメンバーとデュエット姿をテレビ上で晒すということは、非常にマズイ。かなり貧相な表現であるが、とにかく、マズイ。歌の最中にお互いに目線を合わせて微笑みながら歌うのがデュエットである。どう考えてもこれは、マズイ。

これが原因でよからぬ噂も立ちかねない。
事務所社長やプロデューサーの、権力を振りかざした横暴。アイドルが売れるためのしきたり。一般人には決して知りえない芸能界の裏事情であるがゆえに、どれが本当でどれがウソなのかという真偽の判断は難しい。冷静に考えてこれはつんく♂一人で出演、歌披露も一人なのであろうが、これが本当に高橋との共演、挙句のデュエット披露なんてことになったりしたら、これはもうかなり本格的に、マズイ!

つんく♂、ここにきてついに本性あらわしたり。

2004.1.31(Sat) / 素で、引く
なんだ。思ったとおり2月6日のFUNにはつんく♂一人の出演らしい。(日テレ FUN
分かっていたことではあったが、これでは面白くもなんともない。つんく♂には、ゆくゆくは現キッズメンバーとデュエットでもしてもらいたいものである。中野サンプラザキッズイベントで、満面にいやらしい笑みを浮かべた彼にならきっと出来ると、ボクはそう信じている。

ところでつんく♂話を今日も引きずれば、そのつんく♂は「自分とハロープロジェクトメンバーとで無人島で生活を送る。」といった将来的な夢を持って、日々活動に勤しんでいるという噂を耳にしたことがある。根も葉もない噂なので本気にはしないで頂きたいが、仮にもしこのような欲求が彼にあり、あろうことか実現したなんてことになると、彼はボクらヲタが夢想する最大のパラダイスを体現した伝説の男ということになる。これから先の人生、ボクがどんなに成功を収めようともこれにはかなわない。かないっこない。完敗である。
これは、マズイ!非常に、マズイ!と、昨日の日記と同じ体裁をとるのもそれはそれで大いにマズイ。

しかし、ボクと比較すると、つんく♂がこの様な夢の楽園を実現する可能性は数百万倍高いわけであり、現時点でボクが、もうすでにつんく♂に完敗な人生を送っていることを考えると、素で、引く。

先ほども述べたとおり、これは単なる噂であり情報ソースもどこにもないことなのだが、つんく♂自身、以前大学祭での講演の際に、「モーニング娘。の中で好みのタイプは?」と聞かれ「その時期、時期には(好みが)あるよ。瞬間、瞬間であ〜こいつはええなあ、とか」とキモチ悪く答えたという経緯があるだけに、こういった欲望を持っていてもおかしくないとは思う。

ただここまで書いてなんだが、実はボクはそれを否定するつもりは全くなく、むしろこれが彼の制作活動において、彼自身のモチベーションを高めるきっかけになっているのであれば、むしろ推奨したいぐらいだ。つんく♂も男であるならば、それぐらいの夢は持っていてもいいのではないだろうか。

などと一瞬思ったのではであるが、やはり前言撤回。どう考えてもこれは由々しき事態であり、こんなド変態野郎がプロデューサーをやっているなんてことが許されるわけがない。ふざけるな。それこそ、素で、引く。

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