過去ログ 2004年2月後半


2004.2.16(Mon) / モテル男は大変だ。
ボクがこの2日間ほど更新をしなかったのは、当然のことながら婦女子から大量に手渡されたチョコレートの群れを消費することに忙しかったからであり、恐らくそれは誰もが想像つくことなのだろうから、この様にわざわざ言うべき事ではないのだとは思う。東京ドーム2個分のチョコを胃に収めるのは、いささか大変な作業ではあった。すでに一生分のチョコをこの2日間で食べ尽くした感がある程だ。モテル男は大変だ。

それはそうと、松浦・後藤・ZONEの面々が、ポップジャムで仲良くラブマを歌っているのを見た。当事者は後藤のみ、松浦はもちろんのことZONEなどはこの歌には全く関係がないわけであり、それは言ってみればニセモノのメンツによるニセモノのラブマであったわけだが、そんなニセモノラブマであっても会場を十分に沸かせる事が出来ていたのは、間違いなく楽曲の良さによるものなのだと思う。

かつてつんく♂は、「本当に良いものを作れば必ず世間は評価してくれる」ということを「シングルベット」という楽曲から学んだと言っていたが、シングルベットにしろ、ラブマにしろ、売れるべくして売れた曲と言うのは世に必ず存在している。しかしこれは、全てのヒット曲に当てはまることではないのであろう。

一人の人間がこういった「本当にいい楽曲」を2曲も3曲も作ることは、恐らくは非常に難しいことだ。すでに一度こういった楽曲を作った経験のあるつんく♂と比べると、まだこの経験が無い人間の方が、単純な確率で言えば作りやすい状況にいると考えることも出来るわけであり、もっと言えば、つんく♂が再び「本当にいい楽曲」を作る確率は、限りなくゼロに近い。となれば結局のところ、つんく♂に未だ期待をしていること自体が大きな間違いなのかもしれない。つんく♂はもうダメなのだ。

結局のところ、上の部分を一言でまとめると、「時代はたいせーだ!」ということになってしまうわけだが、この意見に乗ることは断じて出来ない。

しかし、あのポップジャムの映像を見て、ボクがついついこんなにも暗く、気狂いした事を考えてしまったのは、間違いなく東京ドーム3個分のあの大量のチョコレート群が、ボクの脳に悪影響を及ぼしたからに違いない。モテル男は大変なのだ。

▲ [TEXT] 2004.2.17(Tue) / 危機感の消失
当然ボクは、アイドルの握手会というものには参加したことなどはない硬派な漢ではあるわけだが、噂に聞くと世間にはその握手会というものが蔓延っているらしい。正確には握手会ではなく、FCツアー内の一イベントらしいのだが、その握手のターゲットは今現在はキッズなのだという。一体世の中はどうなったというのか。

思い起こせば一年程前、娘。に6期メンバーが加入した際に行われた握手会。
ボクの記憶が正しければ、「中学生と握手するなんてのは変質者のすること」といった思想の方が当時はまだ有力であったはずだ。にもかかわらず、わずか一年足らずで世のヲタ達は、「中学生」ではなく、あろう事か「小学生」と握手するといったイベントにすら、全く抵抗がなくなってしまったらしい。そしてこれは、事務所のキッズ戦略の一環にまんまと乗っかってしまっていることも意味する。

そもそも小学生アイドルのイベントというもの自体、参加してきたことを大っぴらに表明できるものではないはずだ。その上それが「握手」なんてことになれば、世の一般人には一体どの様に映っているのだろうか。ボクですらシャレになっていないと思うぐらいだ。恐らく一般人にとっては、それは狂気にしか見えないのであろう。

ボクはこのイベントに参加することだけでなく、こんなイベントがあること自体が、すでにハローがおかしくなってしまった事の表れであり、本来ならば嘆き悲しむべきことだと思っているのだが、もしかしたらこんな発言をしているボクの方がよっぽど「おかしな奴」という認識なのだろうか。最早物事を同じ感覚では見れていない気がする。

だからと言って、このイベントに張り切って参加することや、このイベントを心底肯定することが、誰かに迷惑をかけているわけでもなければ、これらのことでボクが直接迷惑を被っているわけでもないわけであり、ボクにはこれらを否定する権利などは全く無い。
迷惑どころか恐らく事務所的には、これらに参加してくれる客は、少なくともボクなんかよりはよっぽど歓迎したい客なのであろう。キッズを盛り上げてくれる人間は、今一番手放したくは無い人間であろうから。

ボクとしては、いかにポジティブにこれらを受け止めようとしても、やはり受け入れる気には到底なれない。たとえ冗談であろうとも「絶対に超えてはいけない一線」というのは当然あるのだと思う。人によってその線引きは変わってくるのかも知れないが、社会通念に照らして判断すれば、自ずとその答えは見えてくる気がする。

ボクは「小学生と握手」もさることながら、それ以上に事務所のキッズ戦略に吐き気がしているのだ。どんなことにおいても、立場が異なれば物事の見方も変わらなければならないはずだ。この「小学生と握手」という行為も含めて、これらはボクらにとってはNG以外の何物でもないのではなかろうか。

ボクには、このヲタの「危機感の消失」こそが、何よりもハローを終わりへと導いているその元凶である気がしてならない。

2004.2.18(Wed) / ショックな出来事
今週はハロモニがお休みだったということもあり、ボクは今月末に新曲リリースを控えている新生さくら・おとめはもちろんのこと、なっちが抜けた後の娘。ですら未だ目にしていないわけだが、それは当然ボクが先日の「HEY! HEY! HEY!」を見ていないことが全ての原因である。とどのつまり、また見忘れた。

しかし言い訳というわけではないのだが、毎週出演することが確定しているレギュラー番組ならまだしも、この様に新曲リリースに先駆けてそのプロモーション目的でちょこっと出演するような歌番組などは、見忘れないようにすることの方がそもそもは不可能なことであり、それが出来るということはすなわち特殊能力なのだとボクは思う。

ただ、今回見忘れたところで、さくら・おとめが一生見られないわけではないわけであり、「見忘れつまったことなんてオデぜんぜん気にすね!」とボクは実にチャーミングに思い巡らせていたのではあるが、こういったことは一度考え出すと何故か無性に気になってくるものなのだ。気が付けばあれこれと探し回っており、結局はトークの部分のみ観賞するに至った。

ところが肝心のそのトークの尺の方は、立ちトークで5分弱とかなり短めで、これではせっかく探し回ったというのにありがたみも何もあったものじゃない。14人もいるというのに何故こんなにも短いのか。これからの娘。は有象無象の集団ということで、テレビ番組ではこの様なぞんざいな扱われ方をされるのであろうか。そんな風に考えると涙が出てくる。とても悲しい思いだ。

しかし、実はそれ以上に思わず涙がこぼれ落ちてしまう程の光景があった。
番組では、立ちトークで、尺も短いということもあり、マイクは前列に立っている数名のメンバーしか持っていなかった。しかし、そんな状況にもかかわらず、後列のメンバーは、ダウンタウンのしょーもないツッコミに対し、無邪気にもいちいちリアクションを示し、「え〜」とか「わ〜」とか一生懸命叫んだりもしていたのだ。だがもちろん、近くにマイクがないのだから、当然その音は拾われていない。これは、彼女達の声が入ることを、番組側が拒んでいるとしか考えられない。この光景を目にして、どうして泣かずにいられようか。

ことさら悲しいことに、紺野さんに至っては終止松本がかぶっており、ほとんど画面上にその姿が映し出されていなかった。声は拾ってもらえない、テレビ画面には映っていない、もっと言うとトークにすら参加出来ていない。散々である。もう散々である。
恐らく番組側は、彼女が映し出されることは「放送事故だ!」とでも言いたいのであろう。なんて酷い奴らだ。松本の背中しか見えてないあの時の状況を思い出し、紺野さんはその夜枕を濡らしているに違いないのだ。そう考えると、涙どころか鼻水までもが止まらなくなる。

しかしそんなことよりも、短いながら今回のトークを見る限りにおいては、娘。からなっちが抜けてしまったことに対する違和感のようなものは驚くほど感じなかった。これは一体どうしたことか。ボクとしては何よりもこれが一番悲しい事であり、思わず流れ出てきた鼻水を飲み込んでしまったりもして、もう色々な意味でてんやわんやだった。

2004.2.19(Thu) / 全てを見抜け!
ソニンが出演していた「Matthew's Best Hit TV」に、ほんの数分の録画出演ではあったものの、我がいとしのセニョリータ松浦あゃゃが出演していた。えらく久しぶりにあゃゃを見たことの影響か、普段の数倍にも及ぶ程の「あゃゃ可愛らしさオーラ」をビンビン感じてしまった。これは久しぶりの感覚である。

それにしても「Matthew's Best Hit TV」出演時のあゃゃは、毎回ビックリするほどの可愛らしさを見せ付けてくれるものだ。その上、発したコメントの方も今回は言うことなしだった。

とりあえず軽いジャブとして、本心でもある「ソニンなんか目じゃねー」といったような、心の奥底にあるちょっと強気なキモチを、「ライバルじゃないじゃないですか〜」と言ったコメントをすることにより、実にうまいことオブラートに包んでいた。もちろんこの時点で、番組のMCであるマシュー南という名の藤井隆に対するごますりも決して忘れてはいない。

完璧である。

その後は「ソニンちゃんインディーズデビューおめでとー。」などといった、番組の進行・演出を全て覆すようなとんでもコメントを、極上のあゃゃスマイル付きで発していた。もちろんこのコメントは、『何かよくわかんないけどデビューしたんだー。⇒ソニンちゃんすごーい!⇒おめでとー!』といった極めて単純なる思考回路に基づいている。しかしこれは当然見せかけであり、このコメントを発したことの真意とは、世間に対する「あゃゃの天真爛漫ぶり」のアピールと同時に、実は「ちょっとしたドジっ子ぶり」のアピールをも含んでいると言う、驚くほど高度な戦略だったのだ!

ま、正に抜かりがない!

その後に自分のミュージカルと新曲「風信子」の告知をしていたため、気を抜いて見ていたら、ここの「自分の告知が一番大事でーす。」といったアピールだけがオチの部分と諸君は思うかもしれないが、それは大いに間違えているのだ。あゃゃには、全てのコメント、全ての表情、全てのリアクションに意味があり狙いがある。それを見抜けずにして、あやヲタとは到底言い難い。

やはりあゃゃはこうでなければならないのだとボクは思う。いつまでも痛快な妄想が出来てしまう存在であって欲しい。そして、そんなあゃゃだからこそ、ボクは彼女を好きになったのだ。今回普段の数倍にも及ぶ程の「あゃゃ可愛らしさオーラ」を感じたその理由は、もしかしたらここにあったのかもしれない。

しかしだからこそ、だからこそw-indsの慶太なんて存在は許されないのである。よりにもよってw-indsの慶太だなんてことは、誰がなんと言おうとも断じて許されないのである。少なくともボクの中では絶対に、絶対に認められないことなのだぁ――!!

奴を思い出すたびにボクちゃんマジへこみ。

▲ [TEXT] 2004.2.20(Fri) / それでもあなたはキッズを推すのか
17日の日記の影響か、なんだか盲目アンチキッズヲタみたいに思われているのかしら などと少々不安になってきてしまった と言うほどでもないのだが、何事においても基本的に理詰めで物事を考えるボクとしては、この「盲目」と言う言葉は甚だ迷惑であるがゆえ、少し17日の日記の補足をしておこう!などと勇ましく思い立ったのであった。

以前から何度も言っている通り、ボクが否定しているのはキッズなのではなく、キッズをハローの中心に無理矢理シフトしようとしているこの状況である。よく「娘。は娘。、キッズはキッズとして、どちらも盛り上げていけば良い」といった意見を目にするが、それにはいささか無理があり、現実が見えていない意見と言わざるをえない。キッズと、娘。をはじめとする他のハローメンバーとは、現状では対立構造をとっているわけであり、そのキッズを盛り上げることは、すなわち娘。の終息を早める行為そのものに違いないのだから。

ヲタがキッズを盛り上げれば盛り上げるほど、それは当然の事ながら、つんく♂ならびに事務所のキッズ推しを助長する結果となる。その一方で、しっかりと残りのハローのメンバーに対するプロデュースにも力を入れてくれるのであれば何も問題はないのだが、そんな都合の良いことなどが起こるはずもなく、キッズに労力を割くことに伴い他がおざなりになるのは明白だ。

そして恐らく、事務所を始めとした裏方の人間は、むしろそういった状況になることを強く望んでいる。現状を見れば、ハローの中心をキッズに持っていくことを当面の目標として掲げているとしかボクには考えられないのだ。

しかし、これらの動きが極自然であるならば、つまり、キッズと娘。との間には明確なる「実力差」が存在し、どう贔屓目に見ても事務所がキッズを推すのは当然であると誰もが納得出来るような状況であるならば、そこには何ら文句の付けようはない。パフォーマンス性の高さ、知名度、人気度といった歴然たる「実力差」は、自ずと事務所の強力なるバックアップを勝ち取ることになるのは自然のなりわいだ。

しかしながら、現在の状況は全くの別物であり、ここには違和感しか存在しない。だからこそボクは、彼らの戦略と、彼らが作り上げようとしている状況が受け入れられない。

キッズを推している人達は、当然こういった事をしっかりと理解した上で行っているのだろうし、そもそも娘。や他のハローメンバーには今となっては興味がなくなっているのだろう。そういう人達が、言ってみれば新鮮なキッズを推しているのは何も不思議なことではないし、何も問題のないことだとは思う。(ちなみに相手が小学生だとか、ロリコンだとかいった問題は、ここでは完全に無視しているが)

一番の問題は「キッズはキッズで、娘。は娘。」というどっちつかずな態度をとり、都合よくどちらも見ているということなのだと思う。17日の日記にボクが書いた「立場が異なれば物事の見方も変わらなければならない」と言うのは正にこのこと。今の方針は、あくまでもハローの中心は娘。達であり、その余力でキッズの活動の方も行うというものではない。何度も言うがこの二つは、現状では対立して存在しているのだから。

キッズを推すのであれば、これらの覚悟をしっかりと持っていなければならないとボクは思う。そうでなければそれはあまりにも卑怯ではないだろうか。
両者が共存することなどは出来ない。もしその共存が実現したその時は、恐らくキッズがハローの頂点として君臨し、他のハローメンバー達を従属させたその時なのだと思う。そしてそういった状況に対する手助けこそが、ヲタのキッズ推し活動であることは最早言うまでもない。

それでもあなたは、心からキッズを推すのだろうか。

2004.2.24(Tue) / 乱歩ロック
ドラマに関してはとんと疎いボクであるので、「乱歩R」というドラマについては全くと言っていい程知らなかったのだが、何気なくテレビのチャンネルを変えていたら、偶然にもその乱歩Rというドラマに実に可愛らしくりかっちが出演していたのを発見したので、すかさずチャンネルを変えた。
じゃなくって、見た。割と張り切って見た。

主演が藤井隆ということもあり、どうもコントを見ているような感覚になってしまったのだが、どうやらシリアスなミステリーものらしい。「乱歩」とはやはり江戸川乱歩のことだったのか。では「R」は一体なんなのだろうか と考えてみたのだが、しっくりくる答えが見つからなかった。とても気になってしまう。

ここでボクの尊敬するつんく♂氏が、口を開けばいつでも「ロックや!ロックなんや!」と何かに取り憑かれたかのようにしつこく連呼をしていることからも、きっとRと言えばそれは何事においても「ロック」のことを指しているに決まっているのだ と思い込めば、何故か納得できてしまうのだから不思議だ。
さすがはつんく♂。彼のあの肉体美にはボクもいちころである。

ドラマの内容の方は、どうやらこのドラマ自体が毎回異なったゲストを呼び(つまり今回はりかっち)一話完結という構成をとっているらしく、そのせいもあってか残念ながらそれ程しっかりとしたシナリオではなかった。シリアスなミステリーものとして見れば尚のことお粗末な感じがし、ドラマ全体にぷんぷんと安っぽいイメージも漂っていたのだが、きっとこのチープさは恐らく間違いなくりかっちが原因なのでは、ない。断じて、ない

そのりかっちの演技は、いつぞやのドラマで見た時の演技と比べると、随分とうまくなった印象を受けた。もっとも「イヤ―――!」とか「キャ―――!」といったような叫ぶセリフがほとんどだったので、これだけでは演技がうまくなったと言うにはいささか無理があるのかもしれないが。

ところで、ここまで書いてなんだが、実はボクはこのドラマを見ながらいつの間にやら途中で爆睡してしまったため、りかっちの演技とかドラマの内容とか、偉そうには言っているけど本当は全然わかっていないのであった。ははは。

2004.2.25(Wed) / そして血が出た
それはもうドラマに関してはとんと疎いボクであるので、少しばかり遅い情報なのだが、なっちが4月から日本テレビ系列で放送される「仔犬のワルツ」という連続ドラマの主演に決まったらしい。イジメや差別を受ける盲目の少女役を演じるのだとか。

「少女て!もう少女って言える歳じゃないだろ!」と、とりあえずツッコミたくはなってしまうが、確かになっちには実年齢には相応しくないほど少女チックなイメージがある気がしないでもない。多くの人が、なっちに対してはいい意味で「22歳には見えない」といった印象を抱いている気もする。

しかし逆に松浦嬢に対しては、「本当は30近くのババア」などといった戯けた事を言い出す不届き者をたまに見かけたりするわけだが、全く失礼な話だ。あゃゃのお肌を見たら十代の張りであることは一目瞭然ではないかバカヤロウ。どこが30だ。こんな30がいてたまるか。このトップ画を見ろ。こんなに制服の似合う30がいてたまるか。こんなに制服姿が胸キュンになる30なんているわけがねーんだ。こんなにミニスカートな制服姿が…と、やはり話をドラマに戻そう。

盲目役とは、当然実体験のないことであるだろうし、演じるのはなかなか難しいのかもしれない。初の連ドラ主演で、この難しい役をどう演じきるのかは非常に見ものだと思う。
しかし少々気になるのが、極稀に盲目の少女をヒロインとしたドラマは目にするが、やはりそれらは「笑顔」」といったものとはやや無縁の、少し暗い雰囲気のドラマであることが多い。もちろんまだはっきりとは分からないが、どうやらこのドラマも例外ではないようなのだ。なっち最大の魅力でもある「笑顔」が、このドラマではあまり見られないのかと思うと実に残念な思いだ。とびっきり明るいドラマのヒロイン役も是非とも見てみたい。

しかし実はそれ以上に残念なことは、基本的にドラマというもの自体にどうも興味が湧かないボクが、このドラマを見ようと試みても、途中で毎回確実に寝てしまうのであろうことが今から容易に想像がついてしまうことだ。つまり結局それは、ボクにはこのドラマは観賞不可能であるということになってしまう。

ボクは思わず唇を噛んだ。

2004.2.28(Sat) / もやもや病
さくらとおとめが新曲を歌っているその姿を見たのは、実は今回のMステがボクは初めてだった。というのも、先日のハロモニのコントSPは一週間近く経った現在でも未だに見ていなく、その際に披露していたスタジオライブも当然目にしていないからなのだが、どうもハロモニのコントはあまり見る気が起きないのだから困ったものだ。

以前に曲の方は耳にしたことはあり、どちらも前回の曲のイメージを維持しつつ更に強調した感じであり、さくらは前回よりも輪をかけてやんわりした温かさ、おとめは前回よりも輪をかけてキレがあって強気、てな感じの曲であることは知っていた。コンセプト自体は明確に分かるもので、どちらも同じ娘。でありながらここまでお互いに違う色を出していると言うのは、見ていて非常に面白い。

だがしかし、これはあくまでも両者を見比べてみて初めて抱く感想であり、それぞれを単体で見た場合には、もしかしたら若干インパクトに欠けるのかもしれない。とくにおとめの方は、曲タイトル(「友情〜心のブスにはならねぇ!〜」)があまりにもインパクトがあリ過ぎて迫力を感じるため、肝心の曲の方はやや迫力不足な感じはどうしても受けてしまう。両曲ともアルバム曲として存在すれば、恐らくはかなりの良曲となっていたのかもしれないが、シングル曲として見た場合は極普通の曲といった感じだろうか。

ところで、おとめの方は音だけを聴いていた時は、歌いだしはれいなだと何の疑いもなくボクは思い込んでいたのだが、今回のMステで映像付きではじめて見てみたところ、歌いだしはれいなではなく道重さゆみんその人ではないか。あれ?さゆみんってこんな声だったっけ?何度聴きなおしても、ハロモニウルトラクイズで食塩水の濃度の問題を出題された際の、「あ、あたしここにがてなんですぅ〜(ぷえ〜ん)」(この声がボクの中ではさゆみん声のデフォルトなのだ!)と言ったあの声とはまるで一致しない。おかしいなあ。このままでは心のもやもやが晴れない。もやもや病である。

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