▲ さゆみん 意外と大人
現在「娘DOKYU!」という番組で放送されている、「道重こども相談室」というコーナーがとてつもないエナジーを発していて面白いことになっている。
内容自体は読んで字のごとくで、道重さゆみんが子供の質問や悩みに受け答えをするだけ。その子供の質問というのが、実に他愛なくくだらないもので、「好きな人が2人もいるのだけど、どうすればどっちとも結婚できるんですか?」などといったもの。
これがもし藤本美貴ティであったら、ちょっと半ギレの笑顔で、「どっちとも結婚することは出来ないんだよ。」などと答えてしまいそうな質問にもかかわらず、道重さゆみんは質問した子供のことを思って、すっからかんの頭をフル回転して、一生懸命答えてあげようとしている。さゆみん激萌えの瞬間だ。
この質問に対して、出したさゆみんの答えというのは、「3人で結婚しちゃえ!」というもの。仲良く3人で結婚だなんて、とてもメルヘンチックですばらしい。子供を傷つけまいと一生懸命考えたさゆみんの苦労がよく伝わってくる良回答だ。にもかかわららず、この子憎たらしい子供達ときたら、「それは出来ない。」などと、実に現実的な反応を示す。まったくもってかわいくない。
しかしながら、藤本美貴ティであったら、「はぁ?」とかって言って完全にブチ切れてしまうようなこんなシチュエーションであるにもかかわらず、道重さゆみんときたら、「そうですね。うまくまとめようと思ったけど…。」などと、なぜか子供に対して敬語まで使うという、実に奥ゆかしい態度と気配りを見せ付けるのだ。さゆみん、すばらし過ぎる!さゆみん超激萌えの瞬間だ!
結局この質問に対する最終的な回答が、「大きくなって、どっちか一人をいっぱい好きになってね!」という、まあそれなりに無難な回答だったのだけど、すでに子供達は飽きてしまったのか、さゆみんの答えを聞かずに喋りだしてしまっている。こんなマジクソガキ、きっと藤本美貴ティであったら、とりあえず一発キックしていると思うのだけど、こんな気が狂いそうな状況下で、さゆみんはとても大人な振る舞いを見せているのだ。思ったよりもさゆみんは大人である。
このコーナーが、さゆみんを子供達と共演させ、その子供達の相談にのることで落差を表現し、この意外なさゆみんの大人な一面を見せることが目的なのだとしたら、この番組の製作者は、なかなかにしてすばらしい思考をお持ちでいらっしゃる、とても頼もしい存在であると思う。なんだかこの番組には期待できそうだ。
これから放送されるのであろう、えりりんの回には、一体どんなシチュエーションが待っているのか。美貴ティの華麗なるキックをこの目で確かめるためにも、「藤本こども相談室」の実現に期待してしまうのは事実だけれど、それ以上に、えりりんの回での、ボクが思わず萌え転がってしまうような熱い演出を、是非とも期待したい。番組スタッフさん、頼みまっせ!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ちなみに、「どうしたらさゆみんみたく人気者になれますか?」という子供の質問に対し、道重さゆみんときたら自信満々に、「必殺技の「うさちゃんピース」をやれば人気者になれる!」なんてことを言っていたのだけれど、きっと、それは、ウソだと思う。
内容自体は読んで字のごとくで、道重さゆみんが子供の質問や悩みに受け答えをするだけ。その子供の質問というのが、実に他愛なくくだらないもので、「好きな人が2人もいるのだけど、どうすればどっちとも結婚できるんですか?」などといったもの。
これがもし藤本美貴ティであったら、ちょっと半ギレの笑顔で、「どっちとも結婚することは出来ないんだよ。」などと答えてしまいそうな質問にもかかわらず、道重さゆみんは質問した子供のことを思って、すっからかんの頭をフル回転して、一生懸命答えてあげようとしている。さゆみん激萌えの瞬間だ。
この質問に対して、出したさゆみんの答えというのは、「3人で結婚しちゃえ!」というもの。仲良く3人で結婚だなんて、とてもメルヘンチックですばらしい。子供を傷つけまいと一生懸命考えたさゆみんの苦労がよく伝わってくる良回答だ。にもかかわららず、この子憎たらしい子供達ときたら、「それは出来ない。」などと、実に現実的な反応を示す。まったくもってかわいくない。
しかしながら、藤本美貴ティであったら、「はぁ?」とかって言って完全にブチ切れてしまうようなこんなシチュエーションであるにもかかわらず、道重さゆみんときたら、「そうですね。うまくまとめようと思ったけど…。」などと、なぜか子供に対して敬語まで使うという、実に奥ゆかしい態度と気配りを見せ付けるのだ。さゆみん、すばらし過ぎる!さゆみん超激萌えの瞬間だ!
結局この質問に対する最終的な回答が、「大きくなって、どっちか一人をいっぱい好きになってね!」という、まあそれなりに無難な回答だったのだけど、すでに子供達は飽きてしまったのか、さゆみんの答えを聞かずに喋りだしてしまっている。こんなマジクソガキ、きっと藤本美貴ティであったら、とりあえず一発キックしていると思うのだけど、こんな気が狂いそうな状況下で、さゆみんはとても大人な振る舞いを見せているのだ。思ったよりもさゆみんは大人である。
このコーナーが、さゆみんを子供達と共演させ、その子供達の相談にのることで落差を表現し、この意外なさゆみんの大人な一面を見せることが目的なのだとしたら、この番組の製作者は、なかなかにしてすばらしい思考をお持ちでいらっしゃる、とても頼もしい存在であると思う。なんだかこの番組には期待できそうだ。
これから放送されるのであろう、えりりんの回には、一体どんなシチュエーションが待っているのか。美貴ティの華麗なるキックをこの目で確かめるためにも、「藤本こども相談室」の実現に期待してしまうのは事実だけれど、それ以上に、えりりんの回での、ボクが思わず萌え転がってしまうような熱い演出を、是非とも期待したい。番組スタッフさん、頼みまっせ!
ちなみに、「どうしたらさゆみんみたく人気者になれますか?」という子供の質問に対し、道重さゆみんときたら自信満々に、「必殺技の「うさちゃんピース」をやれば人気者になれる!」なんてことを言っていたのだけれど、きっと、それは、ウソだと思う。
(71)
▲ 矢口真里が提示した「矢口真里らしさ」
『モーニング娘。』リーダー「矢口真里」についての重要なお知らせ
帰宅後PCを立ち上げ、何気なくYAHOO!のトピックスに目をやると、そこには「モーニング娘。矢口が脱退」の文字が。あまりの驚きと衝撃で、ボクは混乱してしまい、何が起こったのか頭の中で整理するのにかなり時間がかかってしまったのだけれど、そんな中最終的に行き着いたのは、「やっぱりえりりんは、いつだってかわいい!」という、とてつもなくポジティブな結論だった。何があろうと、えりりんはいつだってかわいいのだ!
とまあ、そんなえりりんのかわいさは、今更言わなくともすでに皆さんご承知のことだろうし、今回はそんなことよりも、とにもかくにも矢口真里である。はっきり言ってこんな終わり方があるだなんて想像すらしていなかったし、ボクは思いっきりがっかりしてしまった。正直これは、最高にダサい終わり方だと思うし、こんなものとても支持なんて出来るものじゃない。本音を言ってしまうと、こんな脱退のし方をしておきながら、よく芸能界に残ることに決めたなあと、ボクはある意味感心をしてしまった程だ。一体どのツラ下げて番組に出演するつもりなのか。
当然これは、こんなダサイ辞め方をしたことに対して言っているわけであり、何も、矢口真里が熱愛スクープされたことに対して言っているのではないし、当然、熱愛そのものに対して言っているのでもない。熱愛をスクープされたくらいで、突然脱退してしまうだなんて、そんなのどう考えたっておかしい。それに対してボクは言っているのだ。こんなの、常識的にありえない。絶対にありえない。ありえない。ありえない。ありえない。……ありえない??
そう、こんな事態は普通に考えてありえないのだ。前代未聞。たかだか熱愛スクープ発覚というだけで、突然の脱退だなんて、少なくともボクはそんなもの、今までに見たことも聞いたこともない。にも拘らずである。熱愛スクープ発覚による、矢口真里突然のモーニング娘。脱退は紛れもない事実なのだ。どう考えてもここには、間違いなく「何か」が存在しているはず。
矢口真里のしたたかさ。
実はこれを考えれば答えは自ずと見えてくるわけで。
そもそも、よく考えてみてほしい。結果的に今回の一件で一番得をしたのは、矢口真里本人なのだ。モーニング娘。という低年齢化の進むグループ内で、飯田圭織の卒業後明らかに浮いてしまう存在となり、毎日毎日会話もうまくかみ合わないような、年齢差のあるメンバーに囲まれている。心落ち着く暇もなく、精神的につらい上に、これからはモーニング娘。リーダーという「一歩引いた」立場に徹底しなければならないというおまけつき。モーニング娘。一出たがりで目立ちたがりな矢口には、これはあまりにも耐え難く、屈辱的な状況である。
最早今となっては、矢口が娘。にいつまでも残っていることに、矢口にとってのメリットは一切存在していないのだ。
したたかな矢口真里は考えた。モーニング娘。を辞めるためには一体どうしたらいいのかと。どうせ脱退するならば、その後のソロ活動も、自分のやりたいように、羽を伸ばした状態で満喫したい。そんな私欲に胸をときめかす矢口が思いついたのが、あの松浦亜弥の熱愛スクープだった。
アイドルである自分が熱愛だなんて許されない!しかも自分はモーニング娘。のリーダー!普段からしっかりと自覚を持ち、軽率な行為は厳に慎まなければならない!でも、そうわかっていながら…、これからの娘。を引っ張っていく身として、いつもそう気をつけていながら…、残念ながらそれが出来なかった私…。責任をとって辞めさせていただきます!
モーニング娘。リーダー矢口真里の描く青写真は、完璧なシナリオだ。これで、めんどくさい上に、まったくもっておいしくないポジションであるリーダーという呪縛から開放されるし、わけのわからないガキどものお守りはしなくてすむし、「アイドル」という肩書きも自らの意志で脱ぎ捨てることで、これからは心置きなく、わんさかと恋愛も出来るのだ。なんせ、矢口真里ソロ活動の原点が、熱愛スクープなのだから。熱愛こそが、タレント矢口真里誕生のきっかけなのだから。モーニング娘。脱退の先には、思わずよだれが滴り落ちてしまうほど、おいしいことばかりが待っている。
矢口真里は最後まで、見事に矢口真里だった。したたかなるモーニング娘。の3代目リーダーは、最後の最後までそのしたたかさを失わず、見事にその任務をまっとうしたのだと思う。これからがタレント矢口真里の本当の意味でのスタート。「今までお疲れ様。」だなんて、そんなしけた言葉なんて必要ない。矢口真里は、やっぱりボクら以上に、「矢口真里」という人物のことをよく理解していたのだ。
近い将来、「恋多き女 矢口真里」として写真週刊誌を賑わすのかもしれない。でも、それはそれでいいじゃないか。それが紛れもない矢口真里らしさであり、ボクらの知っている、そしてボクらの愛する矢口真里そのものなのだから。
でも、矢口さん!矢口さん!矢口さん!ボク、割りとリアルにへこんでます!
帰宅後PCを立ち上げ、何気なくYAHOO!のトピックスに目をやると、そこには「モーニング娘。矢口が脱退」の文字が。あまりの驚きと衝撃で、ボクは混乱してしまい、何が起こったのか頭の中で整理するのにかなり時間がかかってしまったのだけれど、そんな中最終的に行き着いたのは、「やっぱりえりりんは、いつだってかわいい!」という、とてつもなくポジティブな結論だった。何があろうと、えりりんはいつだってかわいいのだ!
とまあ、そんなえりりんのかわいさは、今更言わなくともすでに皆さんご承知のことだろうし、今回はそんなことよりも、とにもかくにも矢口真里である。はっきり言ってこんな終わり方があるだなんて想像すらしていなかったし、ボクは思いっきりがっかりしてしまった。正直これは、最高にダサい終わり方だと思うし、こんなものとても支持なんて出来るものじゃない。本音を言ってしまうと、こんな脱退のし方をしておきながら、よく芸能界に残ることに決めたなあと、ボクはある意味感心をしてしまった程だ。一体どのツラ下げて番組に出演するつもりなのか。
当然これは、こんなダサイ辞め方をしたことに対して言っているわけであり、何も、矢口真里が熱愛スクープされたことに対して言っているのではないし、当然、熱愛そのものに対して言っているのでもない。熱愛をスクープされたくらいで、突然脱退してしまうだなんて、そんなのどう考えたっておかしい。それに対してボクは言っているのだ。こんなの、常識的にありえない。絶対にありえない。ありえない。ありえない。ありえない。……ありえない??
そう、こんな事態は普通に考えてありえないのだ。前代未聞。たかだか熱愛スクープ発覚というだけで、突然の脱退だなんて、少なくともボクはそんなもの、今までに見たことも聞いたこともない。にも拘らずである。熱愛スクープ発覚による、矢口真里突然のモーニング娘。脱退は紛れもない事実なのだ。どう考えてもここには、間違いなく「何か」が存在しているはず。
矢口真里のしたたかさ。
実はこれを考えれば答えは自ずと見えてくるわけで。
そもそも、よく考えてみてほしい。結果的に今回の一件で一番得をしたのは、矢口真里本人なのだ。モーニング娘。という低年齢化の進むグループ内で、飯田圭織の卒業後明らかに浮いてしまう存在となり、毎日毎日会話もうまくかみ合わないような、年齢差のあるメンバーに囲まれている。心落ち着く暇もなく、精神的につらい上に、これからはモーニング娘。リーダーという「一歩引いた」立場に徹底しなければならないというおまけつき。モーニング娘。一出たがりで目立ちたがりな矢口には、これはあまりにも耐え難く、屈辱的な状況である。
最早今となっては、矢口が娘。にいつまでも残っていることに、矢口にとってのメリットは一切存在していないのだ。
したたかな矢口真里は考えた。モーニング娘。を辞めるためには一体どうしたらいいのかと。どうせ脱退するならば、その後のソロ活動も、自分のやりたいように、羽を伸ばした状態で満喫したい。そんな私欲に胸をときめかす矢口が思いついたのが、あの松浦亜弥の熱愛スクープだった。
アイドルである自分が熱愛だなんて許されない!しかも自分はモーニング娘。のリーダー!普段からしっかりと自覚を持ち、軽率な行為は厳に慎まなければならない!でも、そうわかっていながら…、これからの娘。を引っ張っていく身として、いつもそう気をつけていながら…、残念ながらそれが出来なかった私…。責任をとって辞めさせていただきます!
モーニング娘。リーダー矢口真里の描く青写真は、完璧なシナリオだ。これで、めんどくさい上に、まったくもっておいしくないポジションであるリーダーという呪縛から開放されるし、わけのわからないガキどものお守りはしなくてすむし、「アイドル」という肩書きも自らの意志で脱ぎ捨てることで、これからは心置きなく、わんさかと恋愛も出来るのだ。なんせ、矢口真里ソロ活動の原点が、熱愛スクープなのだから。熱愛こそが、タレント矢口真里誕生のきっかけなのだから。モーニング娘。脱退の先には、思わずよだれが滴り落ちてしまうほど、おいしいことばかりが待っている。
矢口真里は最後まで、見事に矢口真里だった。したたかなるモーニング娘。の3代目リーダーは、最後の最後までそのしたたかさを失わず、見事にその任務をまっとうしたのだと思う。これからがタレント矢口真里の本当の意味でのスタート。「今までお疲れ様。」だなんて、そんなしけた言葉なんて必要ない。矢口真里は、やっぱりボクら以上に、「矢口真里」という人物のことをよく理解していたのだ。
近い将来、「恋多き女 矢口真里」として写真週刊誌を賑わすのかもしれない。でも、それはそれでいいじゃないか。それが紛れもない矢口真里らしさであり、ボクらの知っている、そしてボクらの愛する矢口真里そのものなのだから。
でも、矢口さん!矢口さん!矢口さん!ボク、割りとリアルにへこんでます!
(72)
▲ 「自分で築き上げたもの」という意識の差
前回の皮肉たっぷりな更新から、あれこれと色々考えていたのだけれど、やっぱりだめだ。どうしても納得がいかない。
別にボクは、矢口がモーニング娘。を辞めてしまうことに対して、何も言うつもりはない。そもそも自分の意思でやろうと思ったモーニング娘。なのだから、それを辞める時であったって、自分の意思で止めよう思うのは当然のこと。前回も言ったとおり、ボクが納得いかないのは、その辞め方である。
「アイドルとしての自分を裏切ったと思う。」という言葉は、矢口の真面目さ、モーニング娘。での全ての活動に真剣に取り組んでいたひたむきさがよく表れた言葉で、ボクは正直に言って立派な言葉だと思う。ここまで真剣に「アイドル」というものを考えている人間なんて、後にも先にも矢口一人なんじゃないか とすら思ってしまうほどの言葉である。ともすれば「バカじゃないの?」と世間からあざ笑われかねない言葉だけれども、これが矢口のコメントだからこそ、少なくとも世間よりは矢口をよくわかっているボクらには、切実な彼女の言葉として良く伝わってくる言葉なのだと思う。
だけれども、突然の脱退、その発表も紙面だけでの発表にとどまり、まるで逃げるようにモーニング娘。から去ることで、全てをいっぺんに終わらせてしまおうと思っているんじゃないのか?と受け取られても仕方がない今回のやり方では、せっかくのこの言葉がまるで生きてこない。これでははっきり言って夜逃げと一緒だ。苦悩して出した決断であることは痛いほど良くわかるけれど、結果的に逃げ去るような行為を、残念ながらボクは肯定することは出来ない。
何故こうなってしまったのか。これが彼女なりのけじめ?これが彼女にとっての最良の手段?
ボクはそれに対して頷くことなんか出来やしない。
とんでもない深読みなのかもしれないのだけれど、彼女が残した公式コメントの中に、実は気になる一文がある。
神様の贈り物?モーニング娘。のメンバーであり、アイドルと呼ばれ、沢山のファンの前に立てることが、神様からの贈り物?違うよ、矢口さん。違うんだよ、矢口さん。
それらは全てあなた自身が築き上げたもの。決して神様からの贈り物を享受していたわけではない。そういったきっかけを与えてくれたのは、神様がくれたチャンスだったのかもしれない。だけれども、そのチャンスをモノにし、多くのファンに愛され、そして立派にアイドルとしてこれまで活動してきたことは全て、矢口さん、あなた自身の実力と努力の賜物なんだよ。何故こんなにまで、あなたは卑屈になるのですか。
矢口が残したこの言葉に、ウソ偽りがないのであるならば、結局は矢口が、モーニング娘。矢口真里として、そしてアイドル矢口真里として活動してきたことは全て、ボクらが想像している以上に、実に漠然とした、全く手応えのないものだったのかもしれない。それはあたかも神様が、自分自身に与えてくれた、ひと時の幸せであるかのように…。まるで自分ではない、他の「矢口真里」が受け賜わってきた夢の中での出来事であるかのように…。
だからこそ、それを結果的に「投げ出す」ような形になってしまっても、彼女には大きな罪の意識は無かった。これは、今まで一方的に受け取ってきた幸せを被る行為を、返上することこそが、彼女なりのけじめということなのだろうか。いずれにせよ今のボクには、彼女のとった行動は間違えているとしか思えないのは、覆しようの無い事実だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午後の紅茶のCMで、着実に大人のタレントへとステップアップしているあゃゃを見た。
約一ヶ月ほど前、今回の矢口と同じような状況に立たされた彼女にも拘らず、彼女がとった行動は、「辞める」でも、一からやり直すといった「リセット」でもない。現状を全て認め、大勢のファンの眼前で、自らの口により発表することで、その全てをファンに受け入れてもらうことだった。この、松浦亜弥と矢口真里との取った行動の歴然たる差は、自分自身が行ってきた芸能活動は全て、自分自身で築きあげたものであり、これこそが自分自身の居場所、自分自身の城なのだ といったことに対する、明確なる意識の差なのだとボクは思う。
今回、矢口がとった行動が唯一納得出来てしまうのは、すでに多くの人間がうすうす勘付いている「事態」が発表されたその時。ただそれは、22才の一個人としての矢口真里にとっては、この上なく幸せなことであろうにもかかわらず、事務所お墨付きのタレント性を有する、今後のタレント矢口真里にとってはあまりにも酷であるがだけに、実に皮肉な事態だと思う。
アイドルってやっぱり、色々な意味で大変な職業なんだと、今回の一件でつくづくボクはそう思った。(未来の7期メンバーに捧ぐ)
別にボクは、矢口がモーニング娘。を辞めてしまうことに対して、何も言うつもりはない。そもそも自分の意思でやろうと思ったモーニング娘。なのだから、それを辞める時であったって、自分の意思で止めよう思うのは当然のこと。前回も言ったとおり、ボクが納得いかないのは、その辞め方である。
「アイドルとしての自分を裏切ったと思う。」という言葉は、矢口の真面目さ、モーニング娘。での全ての活動に真剣に取り組んでいたひたむきさがよく表れた言葉で、ボクは正直に言って立派な言葉だと思う。ここまで真剣に「アイドル」というものを考えている人間なんて、後にも先にも矢口一人なんじゃないか とすら思ってしまうほどの言葉である。ともすれば「バカじゃないの?」と世間からあざ笑われかねない言葉だけれども、これが矢口のコメントだからこそ、少なくとも世間よりは矢口をよくわかっているボクらには、切実な彼女の言葉として良く伝わってくる言葉なのだと思う。
だけれども、突然の脱退、その発表も紙面だけでの発表にとどまり、まるで逃げるようにモーニング娘。から去ることで、全てをいっぺんに終わらせてしまおうと思っているんじゃないのか?と受け取られても仕方がない今回のやり方では、せっかくのこの言葉がまるで生きてこない。これでははっきり言って夜逃げと一緒だ。苦悩して出した決断であることは痛いほど良くわかるけれど、結果的に逃げ去るような行為を、残念ながらボクは肯定することは出来ない。
何故こうなってしまったのか。これが彼女なりのけじめ?これが彼女にとっての最良の手段?
ボクはそれに対して頷くことなんか出来やしない。
とんでもない深読みなのかもしれないのだけれど、彼女が残した公式コメントの中に、実は気になる一文がある。
『モーニング娘。』のメンバーであること。「アイドル」と呼ばれること。沢山のファンの皆さんの前に立てること・・・。全てが私の誇りであり、神様の贈り物だと思っていました。
神様の贈り物?モーニング娘。のメンバーであり、アイドルと呼ばれ、沢山のファンの前に立てることが、神様からの贈り物?違うよ、矢口さん。違うんだよ、矢口さん。
それらは全てあなた自身が築き上げたもの。決して神様からの贈り物を享受していたわけではない。そういったきっかけを与えてくれたのは、神様がくれたチャンスだったのかもしれない。だけれども、そのチャンスをモノにし、多くのファンに愛され、そして立派にアイドルとしてこれまで活動してきたことは全て、矢口さん、あなた自身の実力と努力の賜物なんだよ。何故こんなにまで、あなたは卑屈になるのですか。
矢口が残したこの言葉に、ウソ偽りがないのであるならば、結局は矢口が、モーニング娘。矢口真里として、そしてアイドル矢口真里として活動してきたことは全て、ボクらが想像している以上に、実に漠然とした、全く手応えのないものだったのかもしれない。それはあたかも神様が、自分自身に与えてくれた、ひと時の幸せであるかのように…。まるで自分ではない、他の「矢口真里」が受け賜わってきた夢の中での出来事であるかのように…。
だからこそ、それを結果的に「投げ出す」ような形になってしまっても、彼女には大きな罪の意識は無かった。これは、今まで一方的に受け取ってきた幸せを被る行為を、返上することこそが、彼女なりのけじめということなのだろうか。いずれにせよ今のボクには、彼女のとった行動は間違えているとしか思えないのは、覆しようの無い事実だ。
午後の紅茶のCMで、着実に大人のタレントへとステップアップしているあゃゃを見た。
約一ヶ月ほど前、今回の矢口と同じような状況に立たされた彼女にも拘らず、彼女がとった行動は、「辞める」でも、一からやり直すといった「リセット」でもない。現状を全て認め、大勢のファンの眼前で、自らの口により発表することで、その全てをファンに受け入れてもらうことだった。この、松浦亜弥と矢口真里との取った行動の歴然たる差は、自分自身が行ってきた芸能活動は全て、自分自身で築きあげたものであり、これこそが自分自身の居場所、自分自身の城なのだ といったことに対する、明確なる意識の差なのだとボクは思う。
今回、矢口がとった行動が唯一納得出来てしまうのは、すでに多くの人間がうすうす勘付いている「事態」が発表されたその時。ただそれは、22才の一個人としての矢口真里にとっては、この上なく幸せなことであろうにもかかわらず、事務所お墨付きのタレント性を有する、今後のタレント矢口真里にとってはあまりにも酷であるがだけに、実に皮肉な事態だと思う。
アイドルってやっぱり、色々な意味で大変な職業なんだと、今回の一件でつくづくボクはそう思った。(未来の7期メンバーに捧ぐ)
(73)
▲ 合宿オーディションと6期帝国
5期メンバーオーディション「LOVEオーディション21」の特番を何気なく見直していた。実はこの番組、ボクがしっかりと通しで見たのは、当時放送されていたリアルタイムの一回のみ。個人的に非常に面白かった6期メンバーのオーディションは、何度も何度も繰り返し見ているというのに、何故かこのオーディションは再び見てみようという気持ちが起こらない。実際この番組に対して、取り立てていい印象も残っていなく、モーニング娘。になりたいと思っている女の子達が、ただ必死に歌・踊りのレッスンに勤しむだけの、実につまらない番組。これがボクの5期メンバーオーディション番組に対する感想だったのだ。ところが、今回改めてこの番組を見直してみて、ボクは非常に驚かされることになる。
こいつら、みんなマジじゃねーか。
そう。この番組で映し出されているオーディションには、笑いなどは一切存在しない。番組中を覆うギスギスした雰囲気。誰もが全てに対して真剣そのものであり、ちょっとでもついてこれない奴らは蹴落とされて当たり前。いくつ用意されているかもわからないモーニング娘。の席をめぐって、合宿参加メンバー達は鎬を削る。そんな精神的に追い詰められてしまうような世界が、延々と2時間繰り広げられているのだ。
参加者のレベルも異常に高い。同じモーニング娘。になるためのオーディションでありながら、6期メン、そして先日行われた幻の7期メンオーディションと比較した場合、比べ物にならないほど参加者の歌・踊りのレベルは高いものになっている。ボイストレーナーの菅井先生、ダンストレーナーの夏先生の言葉にも、子憎たらしいほどにまで大きな声で「はい!」なんて即座に反応し、私が絶対にモーニング娘。になるのよ!アピールが番組視聴者にもビシビシと伝わってくる。全員が全員マジであり、一瞬たりとも気を抜けない世界。6期メンオーディションに慣れ親しんでいるボクとしては、非常に驚かされると同時に、あまりの驚きで言葉を失ってしまった。
その中でも、現娘。メンバーの高橋さん小川さんの実力は群を抜いていて、まさに選ばれるべくして選ばれたメンバーがこの二人だ。何事に対しても前向きであり、歌もしっかり歌え、ダンスの呑み込みも抜群に早い。同じオーディション終了時のこの二人と6期とを比べたら、はっきり言って後者は、お子ちゃまのお遊戯みたいなもの。どちらも、それぞれの環境で真剣に取り組んできた結果なのだろうけど、両者の差はあまりにも大きい。
何故こんなに大きな差が出てしまったのか。実を言うとそれは、これら二つ、同じオーディション番組と謳っておきながら、番組そのものの趣旨がまるで違うからなのだ。
5期メンバーのオーディションは、モーニング娘。というプロの集団になるための実力を有しているかどうかを判断するための、紛れも無い「オーディション番組」であったのに対し、6期メンバーオーディションは、これからモーニング娘。になることがすでに決定しているメンバーの、娘。入りする前段階での「プロモーション番組」。だからこそ、5期メンバーオーディションが、参加者の歌の実力・ダンスの実力等を大きくクローズアップしているのに対し、6期メンバーオーディションは、歌の実力・ダンスの実力ではなく、もっと違った部分、彼女達の心の部分などをクローズアップし、視聴者側が感情移入しやすい番組構成になっている。ボクが冒頭で述べた、「5期メンバーオーディションはつまらないから見ていない。6期メンバーオーディションは何度も繰り返し見た。」という言葉は、番組の趣旨を考えた場合、あながち間違った言葉ではなかったのだ。
そんなそれぞれの経緯で娘。入りを果たした5期メンバーと6期メンバーを比較した場合、一体どちらに華があり、一体どちらがモーニング娘。のメンバーとしてうまく機能していると思うだろうか。ここには、とても大きな個人的感情が介入されてはいるけれど、ボクの答えは断然6期メンバーである。って、あれ?ちょっと待って。これっておかしいとは思わないだろうか。メンバー入りする前の段階から、あれほどにまで歌が歌えて、あれほどにまでダンスの呑み込みも早い、超優等生の5期メンバーよりも、歌・ダンスとも確実に見劣りするはずの劣等生6期メンバーの方が華があるだなんて、そんなのおかしいと思わないだろうか。
そう、結局のところ、モーニング娘。という集団にとって、今となっては歌・ダンスの実力は副次的なものであり、求められているのはその個人のキャラクターや愛くるしさ。歌・踊りとも、それなりに形になってさえいれば、それ以上は必要の無いものであり、もとよりモーニング娘。は、優等生などは必要としていないグループだ。モーニング娘。と、歌・ダンスともバリバリの優等生が寄り集まったそこいらのアイドルグループとの決定的な違いがまさにここにある。5期メンバーオーディションでの最大の失敗は、モーニング娘。の中心を担える優等生を探し出すことに、つんく♂を始めとして、あまりにも真剣になりすぎたことなのだとボクは思う。
先日のハロモニにて、7期メンバーオーディションに合宿は無いということをつんく♂は明言した。それは結局、5期メンバーオーディションのような真剣なオーディションは、やったところでその後の彼女達の活動に、特に大きなメリットはないということを、彼ら自身が良くわかっているからこそ。合宿が執り行われることに意味を成すのは、合宿特番がプロモーション番組である場合のみなのだ。
つんく♂が明言した、今回は合宿はやらないという事実。そのことから、今回加入する7期メンバーは、6期メンバーに比べ、歌が歌えて、踊りが踊れる優等生が加入するはず。そうでなければ、プロモーション番組として、合宿特番は組まれることの方が大きな効果があるのだから。ただ、先日のハロモニを見た限りでは、4次審査に残った人たちは、歌・ダンスともあまり期待できない感じがモロわかりで、最早これはかなり危機的な状況ではある。こんな体たらくじゃ、決して6期は超えられないというのは現時点で目に見えているし、5期メンバーですら超えることは出来やしない。少なくともボクの中では確実に。
やっぱり7期にはあまり期待はできないのだろうか。まだまだモーニング娘。6期帝国は揺ぎ無い。
こいつら、みんなマジじゃねーか。
そう。この番組で映し出されているオーディションには、笑いなどは一切存在しない。番組中を覆うギスギスした雰囲気。誰もが全てに対して真剣そのものであり、ちょっとでもついてこれない奴らは蹴落とされて当たり前。いくつ用意されているかもわからないモーニング娘。の席をめぐって、合宿参加メンバー達は鎬を削る。そんな精神的に追い詰められてしまうような世界が、延々と2時間繰り広げられているのだ。
参加者のレベルも異常に高い。同じモーニング娘。になるためのオーディションでありながら、6期メン、そして先日行われた幻の7期メンオーディションと比較した場合、比べ物にならないほど参加者の歌・踊りのレベルは高いものになっている。ボイストレーナーの菅井先生、ダンストレーナーの夏先生の言葉にも、子憎たらしいほどにまで大きな声で「はい!」なんて即座に反応し、私が絶対にモーニング娘。になるのよ!アピールが番組視聴者にもビシビシと伝わってくる。全員が全員マジであり、一瞬たりとも気を抜けない世界。6期メンオーディションに慣れ親しんでいるボクとしては、非常に驚かされると同時に、あまりの驚きで言葉を失ってしまった。
その中でも、現娘。メンバーの高橋さん小川さんの実力は群を抜いていて、まさに選ばれるべくして選ばれたメンバーがこの二人だ。何事に対しても前向きであり、歌もしっかり歌え、ダンスの呑み込みも抜群に早い。同じオーディション終了時のこの二人と6期とを比べたら、はっきり言って後者は、お子ちゃまのお遊戯みたいなもの。どちらも、それぞれの環境で真剣に取り組んできた結果なのだろうけど、両者の差はあまりにも大きい。
何故こんなに大きな差が出てしまったのか。実を言うとそれは、これら二つ、同じオーディション番組と謳っておきながら、番組そのものの趣旨がまるで違うからなのだ。
5期メンバーのオーディションは、モーニング娘。というプロの集団になるための実力を有しているかどうかを判断するための、紛れも無い「オーディション番組」であったのに対し、6期メンバーオーディションは、これからモーニング娘。になることがすでに決定しているメンバーの、娘。入りする前段階での「プロモーション番組」。だからこそ、5期メンバーオーディションが、参加者の歌の実力・ダンスの実力等を大きくクローズアップしているのに対し、6期メンバーオーディションは、歌の実力・ダンスの実力ではなく、もっと違った部分、彼女達の心の部分などをクローズアップし、視聴者側が感情移入しやすい番組構成になっている。ボクが冒頭で述べた、「5期メンバーオーディションはつまらないから見ていない。6期メンバーオーディションは何度も繰り返し見た。」という言葉は、番組の趣旨を考えた場合、あながち間違った言葉ではなかったのだ。
そんなそれぞれの経緯で娘。入りを果たした5期メンバーと6期メンバーを比較した場合、一体どちらに華があり、一体どちらがモーニング娘。のメンバーとしてうまく機能していると思うだろうか。ここには、とても大きな個人的感情が介入されてはいるけれど、ボクの答えは断然6期メンバーである。って、あれ?ちょっと待って。これっておかしいとは思わないだろうか。メンバー入りする前の段階から、あれほどにまで歌が歌えて、あれほどにまでダンスの呑み込みも早い、超優等生の5期メンバーよりも、歌・ダンスとも確実に見劣りするはずの劣等生6期メンバーの方が華があるだなんて、そんなのおかしいと思わないだろうか。
そう、結局のところ、モーニング娘。という集団にとって、今となっては歌・ダンスの実力は副次的なものであり、求められているのはその個人のキャラクターや愛くるしさ。歌・踊りとも、それなりに形になってさえいれば、それ以上は必要の無いものであり、もとよりモーニング娘。は、優等生などは必要としていないグループだ。モーニング娘。と、歌・ダンスともバリバリの優等生が寄り集まったそこいらのアイドルグループとの決定的な違いがまさにここにある。5期メンバーオーディションでの最大の失敗は、モーニング娘。の中心を担える優等生を探し出すことに、つんく♂を始めとして、あまりにも真剣になりすぎたことなのだとボクは思う。
先日のハロモニにて、7期メンバーオーディションに合宿は無いということをつんく♂は明言した。それは結局、5期メンバーオーディションのような真剣なオーディションは、やったところでその後の彼女達の活動に、特に大きなメリットはないということを、彼ら自身が良くわかっているからこそ。合宿が執り行われることに意味を成すのは、合宿特番がプロモーション番組である場合のみなのだ。
つんく♂が明言した、今回は合宿はやらないという事実。そのことから、今回加入する7期メンバーは、6期メンバーに比べ、歌が歌えて、踊りが踊れる優等生が加入するはず。そうでなければ、プロモーション番組として、合宿特番は組まれることの方が大きな効果があるのだから。ただ、先日のハロモニを見た限りでは、4次審査に残った人たちは、歌・ダンスともあまり期待できない感じがモロわかりで、最早これはかなり危機的な状況ではある。こんな体たらくじゃ、決して6期は超えられないというのは現時点で目に見えているし、5期メンバーですら超えることは出来やしない。少なくともボクの中では確実に。
やっぱり7期にはあまり期待はできないのだろうか。まだまだモーニング娘。6期帝国は揺ぎ無い。
(74)
▲ イメージと本質
ボクのネット生活の中に2chというものはほとんど無く、普段は一切見に行かないのだけれど、その2chで流出したワッチ音源を運の悪いことに聴いてしまった。この音源、ちょこちょこ話題になっているので、知っている人も多いのだとは思うのだけど、美貴ティこと藤本美貴さんが、ミュージカル中の楽屋で、石川さんのお世辞にも上手とはいえない演技に対して、ひどくバカにしたようにモノマネをしている音源である。非常に悪意あり、憎しみありな感じがじんわりとにじみ出ていて、なかなかにして不愉快にさせられてしまう音源であった。
人を小バカにしている「感じがする」、人を見下している「感じがする」というのは、紛れも無く藤本美貴ティに対する世間一般の認識であり、そのイメージにまさしくピッタンコであるこの音源は、「さすが美貴ティだよなあ。」といった一言で簡単に終わらせることも出来るのだけれど、このイメージは括弧書きの「感じがする」という部分がとりわけ重要なわけであり、「実は、そのイメージ通りでしたー。」となってしまうのは、全くもって褒められた事態ではないのだとボクは思う。
アイドルの、他のタレントと決定的に違う部分は、この人は歌が上手だからこの人の音楽が好きだとか、この人は演技が上手だからこの人が出演する映画が好きだとか、そういった芸能の能力によって多くの人間を魅了するのではなく、その人間そのものが多くの人間に好かれるというところにあって、そのアイドルのイメージがいいものであれ悪いものであれ、それは各人の多種多様な楽しみ方と、間違いなくその人間に存在する魅力さえあれば、人気そのものに大きな影響などは無い。イメージは、そのアイドルを見て、ファンが楽しむ上での一つの材料に過ぎないのだ。
ただこういった、いいイメージと悪いイメージのどちらにも共通して言えることというのは、その人間のイメージがどうであれ、「本質的にはいい子なんだよなあ。」といったことが、何気ない普段の会話や行動から、ファンにとって確かに感じ取れ、結果的に好感が持てるようになることにある。
藤本美貴ティに抱くイメージというのは、決して「いいイメージ」ではないことは明白で、そんな悪いイメージがありながらも、彼女のふとした行動から「いい子」であることが確かに感じ取れるからこそ、この悪いイメージとしてのアイドル藤本美貴が成立していたのだ。ところが、この悪いイメージの通り、やっぱり普段からも嫌な奴でしたーということがモロにわかってしまうというのは、彼女に対するイメージと本質とをいいように妄想することで成立していたはずの、以前までのアイドル藤本美貴構造が全て破綻することになる。アイドルに限らず、性悪である人間を肯定するのは正直言って難しい。
この音源がさらに具合が悪いのは、カメラ等が無い状況、つまりはアイドル営業の状況ではなく、かなり普段の彼女が出てきてしまっている状況における音源であるところ。カメラがありさえすれば、アイドル藤本美貴の構造そのものをよく表した状況であっても、カメラが無いだけで同じ状況がまるで違う結果をもたらす。人間そのものの好感度が重要であり、人間そのものが好かれなければならないアイドル業において、普段に近い状況での失態は、他のタレントとは比較にならないくらい大きなダメージが残る。その本人に対しても、そして、応援しているファンに対しても。
これまで、そのイメージ通りの数々の失言をしてきた藤本美貴ティであっても、それらは全てメディア上のアイドル営業状態での失言であり、むしろこれらは、藤本美貴ティを楽しむ上での恰好の材料であり肯定できる失言であった。しかし、今回のこの失態を肯定することは難しく、実際この音源によって受けたボクのダメージというのは、自分でもびっくりするぐらい大きなものである。これまでに何度か聴いてきた、他のメンバーの失言音源などとは比較にならないくらい大きなダメージ。
しかしここにきて、「この音源は、藤本美貴ティのイメージそのままを良く表した音源であって、別に驚くことなんか無いじゃないか。」などと開き直ってしまうことは、すなわち「藤本美貴ティはマジ性格悪過ぎ」ということを、ボク自身が認めてしまうことになるわけで、「美貴ティは性格悪そうなイメージはあるけど、実はすっげー性格いいんだぜ!」という固い信念を持つボクとしてみたら、こいつを受け入れるわけには絶対にいかない。
そこで考えに考えた挙句、この音源は該当するモノマネの部分を作為的に切り取られた節があり、その前後の状況が全くわからない音源となっていることを、うまいこと利用することにした。
結論:石川さん公認、石川さん主催の、石川さんモノマネ大会がこの後控えており、美貴ティはこっそりと楽屋でその練習をしていた。
そう。これがこのワッチ音源の正体であり、実はミュージカル終了後、石川さんが審査員の下、全メンバーでモノマネ大会が執り行われ、「美貴ちゃん、私そんなに声高くないよ〜」「え〜。梨華ちゃんこんな感じだよ〜。」といった具合に、実に微笑ましいモーニング娘。和気藹々振りが繰り広げられているのだ。素晴らしい。素晴らしすぎる。「決まってねーよ、別に。」という、今にも人を殺すんじゃないかと不安になってしまうほどの極悪っぷりがにじみ出た、美貴ティの最悪なとどめの一言はサクッと無視をしたけれど、モーニング娘。の和気藹々振りは素晴らしすぎるじゃないか。
そうだよ!そうに決まってるよ!本当は美貴ティはすっげー性格いいんだから!
人を小バカにしている「感じがする」、人を見下している「感じがする」というのは、紛れも無く藤本美貴ティに対する世間一般の認識であり、そのイメージにまさしくピッタンコであるこの音源は、「さすが美貴ティだよなあ。」といった一言で簡単に終わらせることも出来るのだけれど、このイメージは括弧書きの「感じがする」という部分がとりわけ重要なわけであり、「実は、そのイメージ通りでしたー。」となってしまうのは、全くもって褒められた事態ではないのだとボクは思う。
アイドルの、他のタレントと決定的に違う部分は、この人は歌が上手だからこの人の音楽が好きだとか、この人は演技が上手だからこの人が出演する映画が好きだとか、そういった芸能の能力によって多くの人間を魅了するのではなく、その人間そのものが多くの人間に好かれるというところにあって、そのアイドルのイメージがいいものであれ悪いものであれ、それは各人の多種多様な楽しみ方と、間違いなくその人間に存在する魅力さえあれば、人気そのものに大きな影響などは無い。イメージは、そのアイドルを見て、ファンが楽しむ上での一つの材料に過ぎないのだ。
ただこういった、いいイメージと悪いイメージのどちらにも共通して言えることというのは、その人間のイメージがどうであれ、「本質的にはいい子なんだよなあ。」といったことが、何気ない普段の会話や行動から、ファンにとって確かに感じ取れ、結果的に好感が持てるようになることにある。
藤本美貴ティに抱くイメージというのは、決して「いいイメージ」ではないことは明白で、そんな悪いイメージがありながらも、彼女のふとした行動から「いい子」であることが確かに感じ取れるからこそ、この悪いイメージとしてのアイドル藤本美貴が成立していたのだ。ところが、この悪いイメージの通り、やっぱり普段からも嫌な奴でしたーということがモロにわかってしまうというのは、彼女に対するイメージと本質とをいいように妄想することで成立していたはずの、以前までのアイドル藤本美貴構造が全て破綻することになる。アイドルに限らず、性悪である人間を肯定するのは正直言って難しい。
この音源がさらに具合が悪いのは、カメラ等が無い状況、つまりはアイドル営業の状況ではなく、かなり普段の彼女が出てきてしまっている状況における音源であるところ。カメラがありさえすれば、アイドル藤本美貴の構造そのものをよく表した状況であっても、カメラが無いだけで同じ状況がまるで違う結果をもたらす。人間そのものの好感度が重要であり、人間そのものが好かれなければならないアイドル業において、普段に近い状況での失態は、他のタレントとは比較にならないくらい大きなダメージが残る。その本人に対しても、そして、応援しているファンに対しても。
これまで、そのイメージ通りの数々の失言をしてきた藤本美貴ティであっても、それらは全てメディア上のアイドル営業状態での失言であり、むしろこれらは、藤本美貴ティを楽しむ上での恰好の材料であり肯定できる失言であった。しかし、今回のこの失態を肯定することは難しく、実際この音源によって受けたボクのダメージというのは、自分でもびっくりするぐらい大きなものである。これまでに何度か聴いてきた、他のメンバーの失言音源などとは比較にならないくらい大きなダメージ。
しかしここにきて、「この音源は、藤本美貴ティのイメージそのままを良く表した音源であって、別に驚くことなんか無いじゃないか。」などと開き直ってしまうことは、すなわち「藤本美貴ティはマジ性格悪過ぎ」ということを、ボク自身が認めてしまうことになるわけで、「美貴ティは性格悪そうなイメージはあるけど、実はすっげー性格いいんだぜ!」という固い信念を持つボクとしてみたら、こいつを受け入れるわけには絶対にいかない。
そこで考えに考えた挙句、この音源は該当するモノマネの部分を作為的に切り取られた節があり、その前後の状況が全くわからない音源となっていることを、うまいこと利用することにした。
結論:石川さん公認、石川さん主催の、石川さんモノマネ大会がこの後控えており、美貴ティはこっそりと楽屋でその練習をしていた。
そう。これがこのワッチ音源の正体であり、実はミュージカル終了後、石川さんが審査員の下、全メンバーでモノマネ大会が執り行われ、「美貴ちゃん、私そんなに声高くないよ〜」「え〜。梨華ちゃんこんな感じだよ〜。」といった具合に、実に微笑ましいモーニング娘。和気藹々振りが繰り広げられているのだ。素晴らしい。素晴らしすぎる。「決まってねーよ、別に。」という、今にも人を殺すんじゃないかと不安になってしまうほどの極悪っぷりがにじみ出た、美貴ティの最悪なとどめの一言はサクッと無視をしたけれど、モーニング娘。の和気藹々振りは素晴らしすぎるじゃないか。
そうだよ!そうに決まってるよ!本当は美貴ティはすっげー性格いいんだから!
(75)
▲ ピリリと効いたスパイス
シャッフルユニットという文字列を目にして、「うゎ〜なつかすぃ〜なあ〜。」だなんてボクは思ってしまったのだけれども、そう言えばそんな企画が、ほんの2年ほど前には、毎年恒例といった感じで当たり前のように行われていたのか。えらく昔に行われていた企画だったような気がする。
しかし今思えば、初代シャッフルユニット当時っていうのは、今のように、どのグループを見てもただただ面子が違うというだけで、特に代わり映えの無いグループばかりが存在している状況とは違って、それぞれ違う色を持っていたグループが多数存在し、「そんな個性的な面子がごちゃ混ぜになって新しいユニットを作ったら、一体どうなるのか?」といった明確な狙いがあったわけで、そういったコンセプトを考えた場合、この企画は当時としてはとても画期的な企画だったのだと思う。
今のようにハロープロジェクトという枠組もまだまだ不鮮明で、グループ間には、同じつんく♂プロデュースという共通点しかなく、そんなメンバー達が別々に分かれてユニットを結成し、それぞれ新曲をリリースする。実際、当時非ヲタであったボクでさえも、「面白いことを考えるものだなあ。」などと、思わず感心してしまったのを今でもはっきりと覚えている。
ところが、毎年恒例といったスタンスを取ることで、次第にそれらはつまらないルーチンワークへと成り下がり、現在のようにグループ間の枠を超えた一時的なユニットが頻繁に企画され、なおかつコンサートですらも、まるでカラオケのように他のグループの曲を歌うのが当たり前になりつつある状況において、最早シャッフルユニットなどと銘打ってわざわざユニットを結成すること自体に、全く意味を感じなくなってしまっている。冒頭で述べたように、ボクが「なつかしい。」などと、この企画自体をすでに過去のものと捉えてしまうのは、間違いなくこの辺が原因なのだと思う。そもそも、H.P.オールスターズに参加した46名のメンバーを3つに分けるとなると、平均で15名以上のグループが誕生するわけで、娘。の最大人数時よりも多いじゃねーかよなんだよそれバカにしてんのかよそれいい加減にしろよそれ、などとボクが悪態をついてしまっても、これはしょうがないというものだ。
なんてことを勝手に思っていたら、今回は実はほんの少しだけひねってきたようで、その46名の中から数名をピックアップした厳選されたメンバーで、3つのシャッフルユニットが結成されるらしい。おお、なるほど。そいつはなかなか楽しみじゃないか。つんく♂もまだまだいけるじゃないか。つんく♂もまだまだやれば出来るじゃないか。なんてことを思い、ボクがハッピーになってしまったのかと言うと、実は全くの逆。厳選されたメンツと、そのユニット名を目にしたとき、ボクは思わず「つんく♂も焼きが回ったな。」などと、なんだか物悲しい気持ちになってしまったのだった。
それは、「プリプリピンク」というユニット名と、それを構成するメンバーが、稲葉貴子さん、保田圭さん、中澤裕子さん、飯田圭織さんの4名だというのがわかった時。
ハロプロ所属メンバーの中で、プリプリピンクというユニット名に最もミスマッチなのは、確かにこの4名なのかもしれない。特にこれまでのシャッフルユニットにおいて、「プリプリ」だとか「ピンク」といったコンセプトを持つユニットを担当してきたのは、若くてキャピキャピのメンバーだっただけに、つんく♂なりに裏をかいてきた結果が、今回のこのメンバー構成なのだとは思う。それは確かに良くわかる。それは痛いほど良くわかる。
だけれども、よくよく考えてみてほしい。ここまで100%純粋な裏であれば、期待されるべく効果というのは、100%表狙いのベタベタなメンバー構成とさして変わらないのだ。これは、あまりにも単純に裏を狙いすぎてきているわけであり、この純度100%の裏狙いは、はっきり言って面白みに欠けてしまう。つんく♂は、一体いつからこんな単純な発想しか出来なくなってしまったのか。昔のつんく♂は、「おいおい、そこを突いてくるのかよ!」と、企画発表の段階から思わず唸ってしまうような、ピリリとスパイスの効いた隠し味を随所に盛り込んできてくれたものだ。スパイスが足りねーんだよ。つんく♂さん、スパイスが足りねーんだよ。
シャッフルユニットというすでにルーチンと化してしまった企画のうえ、つんく♂自身の狙い自体もここまで単純なものならば、頼みの綱は最早楽曲の良さしかないわけであり、結果的にその頼みの綱の楽曲でさえも凡庸な出来でしかないとなれば、はっきり言って今回のシャッフルユニットは、「ちょっとウンコ出そう。」って感じなのだと思う。こいつはもう、はにかみながら小声で、「ちょっとウンコ出そう。」って感じなのだと思う。
ボクとしてみたら、このプリプリピンク構成メンバーの中に、道重さゆみさんを加える。これこそがプリプリピンクの、延いてはシャッフルユニット全体の命運を司る隠し味なわけであり、これ以上のスパイスは最早考えられないのだと思う。
この4名を従えて「今日もプリプリです!」だなんてさゆみんがプリプリに応えているところを、是非とも想像してみてほしい。ほらね。なんか、「プリプリピンク最強!」とかって叫びたくなったでしょ。
しかし今思えば、初代シャッフルユニット当時っていうのは、今のように、どのグループを見てもただただ面子が違うというだけで、特に代わり映えの無いグループばかりが存在している状況とは違って、それぞれ違う色を持っていたグループが多数存在し、「そんな個性的な面子がごちゃ混ぜになって新しいユニットを作ったら、一体どうなるのか?」といった明確な狙いがあったわけで、そういったコンセプトを考えた場合、この企画は当時としてはとても画期的な企画だったのだと思う。
今のようにハロープロジェクトという枠組もまだまだ不鮮明で、グループ間には、同じつんく♂プロデュースという共通点しかなく、そんなメンバー達が別々に分かれてユニットを結成し、それぞれ新曲をリリースする。実際、当時非ヲタであったボクでさえも、「面白いことを考えるものだなあ。」などと、思わず感心してしまったのを今でもはっきりと覚えている。
ところが、毎年恒例といったスタンスを取ることで、次第にそれらはつまらないルーチンワークへと成り下がり、現在のようにグループ間の枠を超えた一時的なユニットが頻繁に企画され、なおかつコンサートですらも、まるでカラオケのように他のグループの曲を歌うのが当たり前になりつつある状況において、最早シャッフルユニットなどと銘打ってわざわざユニットを結成すること自体に、全く意味を感じなくなってしまっている。冒頭で述べたように、ボクが「なつかしい。」などと、この企画自体をすでに過去のものと捉えてしまうのは、間違いなくこの辺が原因なのだと思う。そもそも、H.P.オールスターズに参加した46名のメンバーを3つに分けるとなると、平均で15名以上のグループが誕生するわけで、娘。の最大人数時よりも多いじゃねーかよなんだよそれバカにしてんのかよそれいい加減にしろよそれ、などとボクが悪態をついてしまっても、これはしょうがないというものだ。
なんてことを勝手に思っていたら、今回は実はほんの少しだけひねってきたようで、その46名の中から数名をピックアップした厳選されたメンバーで、3つのシャッフルユニットが結成されるらしい。おお、なるほど。そいつはなかなか楽しみじゃないか。つんく♂もまだまだいけるじゃないか。つんく♂もまだまだやれば出来るじゃないか。なんてことを思い、ボクがハッピーになってしまったのかと言うと、実は全くの逆。厳選されたメンツと、そのユニット名を目にしたとき、ボクは思わず「つんく♂も焼きが回ったな。」などと、なんだか物悲しい気持ちになってしまったのだった。
それは、「プリプリピンク」というユニット名と、それを構成するメンバーが、稲葉貴子さん、保田圭さん、中澤裕子さん、飯田圭織さんの4名だというのがわかった時。
ハロプロ所属メンバーの中で、プリプリピンクというユニット名に最もミスマッチなのは、確かにこの4名なのかもしれない。特にこれまでのシャッフルユニットにおいて、「プリプリ」だとか「ピンク」といったコンセプトを持つユニットを担当してきたのは、若くてキャピキャピのメンバーだっただけに、つんく♂なりに裏をかいてきた結果が、今回のこのメンバー構成なのだとは思う。それは確かに良くわかる。それは痛いほど良くわかる。
だけれども、よくよく考えてみてほしい。ここまで100%純粋な裏であれば、期待されるべく効果というのは、100%表狙いのベタベタなメンバー構成とさして変わらないのだ。これは、あまりにも単純に裏を狙いすぎてきているわけであり、この純度100%の裏狙いは、はっきり言って面白みに欠けてしまう。つんく♂は、一体いつからこんな単純な発想しか出来なくなってしまったのか。昔のつんく♂は、「おいおい、そこを突いてくるのかよ!」と、企画発表の段階から思わず唸ってしまうような、ピリリとスパイスの効いた隠し味を随所に盛り込んできてくれたものだ。スパイスが足りねーんだよ。つんく♂さん、スパイスが足りねーんだよ。
シャッフルユニットというすでにルーチンと化してしまった企画のうえ、つんく♂自身の狙い自体もここまで単純なものならば、頼みの綱は最早楽曲の良さしかないわけであり、結果的にその頼みの綱の楽曲でさえも凡庸な出来でしかないとなれば、はっきり言って今回のシャッフルユニットは、「ちょっとウンコ出そう。」って感じなのだと思う。こいつはもう、はにかみながら小声で、「ちょっとウンコ出そう。」って感じなのだと思う。
ボクとしてみたら、このプリプリピンク構成メンバーの中に、道重さゆみさんを加える。これこそがプリプリピンクの、延いてはシャッフルユニット全体の命運を司る隠し味なわけであり、これ以上のスパイスは最早考えられないのだと思う。
この4名を従えて「今日もプリプリです!」だなんてさゆみんがプリプリに応えているところを、是非とも想像してみてほしい。ほらね。なんか、「プリプリピンク最強!」とかって叫びたくなったでしょ。
(76)
▲ 「かわいい」という言葉だけでできている人
今週のハロモニは、先週放送された「ハロモニ5周年SP」の続き。
沖縄&北海道プレゼント探しの旅ということで、二組に分かれたメンバーが、視聴者プレゼント用に沖縄と北海道にてカンカラ三線やガラス細工製作などをしていたのだけど、はっきり言ってここまではただの前座であり前フリである。この2週にわたって放送されたハロモニ5周年SPの最大の見所は、あの5年前に放送されたハワイスペシャルの時以来の「寝起きどっきり」であることは言うまでもない。
ターゲットとなるメンバーの部屋の鍵を開錠し、ドアを開ける瞬間のドキドキ感。テレビを見ているだけのはずなのに、何故かボクまで息を潜めてしまう。ガタッ!だなんて音を立てようものなら、思わず声を潜めながら「音立てるなよ!」などと口にしてしまう。期待感で胸が膨らみ、ワンカットも見逃すものかと画面に食い入り、そして、そんな高まる興奮の中、ついに映し出されたのが道重さゆみんの寝起き顔だ!
ナンデスカ!このキュートな寝起き顔は!ナンナンデスカ!ボクのこの興奮度は!
続いて登場したのは田中れいなたん!
ナンデスカ!この日曜の真昼間からの胸の高まりは!こんな素敵なものを見せてどうするつもりなのデスカ、アナタ達は!
そしてもちろん大トリは亀井えりりんその人である!
だああぁぁ――――――!!殺すつもりデスカ!もしやあなた達はポックンを殺すつもりデスカ!!
赤チェックのパジャマに絶大なる信頼を寄せているらしいえりりんは、その勝負パジャマともいえる赤チェックパジャマを身にまとい、いつものあのうわずった声でパニック状態。そんな様子を見るたびに、ボクの方までフヒャー!ハヒャー!へヒャー!ってな具合にパニック状態に陥ってしまったのであった!フヒャ――――!!
そんなえりりんの大サービスぶりは止まるところを知らず、なんと、ことさら貴重なメガネっ娘コスまで、番組視聴者にご披露してくれたのである!いやんいやん!えりりんやり過ぎだよ!いやんいやん!
「デコ出しのえりりん」のキューティーぶりが世間で伝説となったのは、いつだかのハロモニで、えりりんがおでこを出しながら、超ベリーキュートに縦笛を吹いていたあの時だったのだと思うのだけど、今週のハロモニにて、「メガネっ娘のえりりん」のミラクルキューティーぶりが、これまた新たな伝説を生み出した。普段から最強の名をほしいままにするこのえりりんのキューティーぶりは、メガネ装着によりガチコーン!と数百倍にレベルアップされ、名実ともに最強なキューティーエンジェルが見事ここに誕生した。まさに無敵。向かうところ敵無し。完全無欠のキューティーエンジェル。
パニックに陥る様子もかわいいし、赤チェックのパジャマに絶対的な信頼を寄せているという、突拍子も無いその自信もかわいいし、発するコメントのどれもこれもかわいいし、ボサボサ髪にメガネっ娘な姿もかわいいし、これって…、これって…、かわいくないところがどこにも無いじゃないか!かわいくないところがどこにも無いじゃないかよ!どーなってんだよ!「かわいい」という形容詞をぎゅっと凝縮して、そのまま人間の形を模ったものがえりりんそのものじゃないか!どーなってんだよそれ!そんなことありえるのかよ!そんなことがありえるのかよ!
ありえる。えりりんなら。
いやはや、今週のハロモニのこのどっきり企画は実に素晴らしい出来だったと思う。ここは一つ、脳機能が正常に機能しなくなるほどにまで、狂ったように繰り返し見てみようと思う。皆も是非ともそうした方がいい。
ちなみに、藤本美貴ティがどっきりされる側に選ばれなかったのは、収録後金属バットでカメラマンを殴打。その気絶したカメラマンからカメラを奪い取り、そのままホテルの窓からぶん投げてしまうからだろ とボクは思った。
沖縄&北海道プレゼント探しの旅ということで、二組に分かれたメンバーが、視聴者プレゼント用に沖縄と北海道にてカンカラ三線やガラス細工製作などをしていたのだけど、はっきり言ってここまではただの前座であり前フリである。この2週にわたって放送されたハロモニ5周年SPの最大の見所は、あの5年前に放送されたハワイスペシャルの時以来の「寝起きどっきり」であることは言うまでもない。
ターゲットとなるメンバーの部屋の鍵を開錠し、ドアを開ける瞬間のドキドキ感。テレビを見ているだけのはずなのに、何故かボクまで息を潜めてしまう。ガタッ!だなんて音を立てようものなら、思わず声を潜めながら「音立てるなよ!」などと口にしてしまう。期待感で胸が膨らみ、ワンカットも見逃すものかと画面に食い入り、そして、そんな高まる興奮の中、ついに映し出されたのが道重さゆみんの寝起き顔だ!
ナンデスカ!このキュートな寝起き顔は!ナンナンデスカ!ボクのこの興奮度は!
続いて登場したのは田中れいなたん!
ナンデスカ!この日曜の真昼間からの胸の高まりは!こんな素敵なものを見せてどうするつもりなのデスカ、アナタ達は!
そしてもちろん大トリは亀井えりりんその人である!
だああぁぁ――――――!!殺すつもりデスカ!もしやあなた達はポックンを殺すつもりデスカ!!
赤チェックのパジャマに絶大なる信頼を寄せているらしいえりりんは、その勝負パジャマともいえる赤チェックパジャマを身にまとい、いつものあのうわずった声でパニック状態。そんな様子を見るたびに、ボクの方までフヒャー!ハヒャー!へヒャー!ってな具合にパニック状態に陥ってしまったのであった!フヒャ――――!!
そんなえりりんの大サービスぶりは止まるところを知らず、なんと、ことさら貴重なメガネっ娘コスまで、番組視聴者にご披露してくれたのである!いやんいやん!えりりんやり過ぎだよ!いやんいやん!
「デコ出しのえりりん」のキューティーぶりが世間で伝説となったのは、いつだかのハロモニで、えりりんがおでこを出しながら、超ベリーキュートに縦笛を吹いていたあの時だったのだと思うのだけど、今週のハロモニにて、「メガネっ娘のえりりん」のミラクルキューティーぶりが、これまた新たな伝説を生み出した。普段から最強の名をほしいままにするこのえりりんのキューティーぶりは、メガネ装着によりガチコーン!と数百倍にレベルアップされ、名実ともに最強なキューティーエンジェルが見事ここに誕生した。まさに無敵。向かうところ敵無し。完全無欠のキューティーエンジェル。
パニックに陥る様子もかわいいし、赤チェックのパジャマに絶対的な信頼を寄せているという、突拍子も無いその自信もかわいいし、発するコメントのどれもこれもかわいいし、ボサボサ髪にメガネっ娘な姿もかわいいし、これって…、これって…、かわいくないところがどこにも無いじゃないか!かわいくないところがどこにも無いじゃないかよ!どーなってんだよ!「かわいい」という形容詞をぎゅっと凝縮して、そのまま人間の形を模ったものがえりりんそのものじゃないか!どーなってんだよそれ!そんなことありえるのかよ!そんなことがありえるのかよ!
ありえる。えりりんなら。
いやはや、今週のハロモニのこのどっきり企画は実に素晴らしい出来だったと思う。ここは一つ、脳機能が正常に機能しなくなるほどにまで、狂ったように繰り返し見てみようと思う。皆も是非ともそうした方がいい。
ちなみに、藤本美貴ティがどっきりされる側に選ばれなかったのは、収録後金属バットでカメラマンを殴打。その気絶したカメラマンからカメラを奪い取り、そのままホテルの窓からぶん投げてしまうからだろ とボクは思った。
(77)
▲ 楽曲カバーに伴うリスク
モーニング娘。を卒業したはずの石川さんが、一週の間隔もあけずにすぐに新司会者の座につき、以前と何も変わらない感じでハロモニに出演しているのを見ると、卒業って一体何なんだろうね?と不思議になってきてしまう。別にハロモニに出演すること自体なんの問題も無いのだけれど、こうやって卒業前、卒業後と番組視聴者側にとっても何ら変わらない様子を見せ付けられてしまうと、彼女達のあの卒業コンサ涙のフィナーレに、全く意味を感じなくなってきてしまう。
もっとも、彼女達の場合、レコーディングやダンスレッスン、そしてコンサートツアーと、卒業とともに仕事の大半が別々になってしまうのは事実だし、そういったことを考えればあの涙にもそれなりの意味を見出すことは出来るけれども、ボクらとしてみたら卒業というものには喪失感だとか、言葉では言い表せない物悲しさというか、そういったものが必ずあるもので、こうやって以前と何も変わらない様子をいきなり見せ付けられてしまうのは、なんだかアホらしい気持ちになってしまう。
ただ、こうやってヲタは、卒業を単なる定期的なイベントにしようとしている彼ら裏方の人間の思惑に、少しずつはまっていってしまうのだろう。ヲタって悲しいね。
ところで、そんな石川さんが率いる美勇伝のファーストコンサートツアーが現在執り行われているようで、このアルバムリリースがないという状況でのコンサートツアーは、誰もが予想していた通りのカラオケコンサートに落ち着き、それはもう何の脈絡も無く、美勇伝にとっては縁もゆかりも無い曲のオンパレードとなっている。これは、どこぞの誰かが、「よ〜し!セットリスト考えちゃうぞ〜!」なんて言いながら、「あははは!さすがにこれは無いだろう!あははは!」だなんて半ばふざけながら、最もありえなさそうなセットリストを考えたものが、なんとそのまま実際のセットリストになってしまいましたー!てな感じなのが、このツアーのセットリストそのもので、その中でも最も衝撃的なのが、石川さんソロによる「100回のKISS」。ボクはこの文字列を目にした瞬間、あまりの衝撃に卒倒してしまった。おい!なんだよこれ!いいのか悪いのかって、こんなのいいわけねーだろ、あんた!
こういった他人の歌を違う人間で歌い、それを商品としてしまうという動きは、FC限定のDVDベストショットが皮切りとなっていて、こういったことがコンサートで堂々と行われるようになったのは、今年の正月ハロコンからだと思うのだけど、この加速度的に急速に進むカラオケ化は最早歯止めの利かないところまできてしまっており、今となっては、たまたま一番最初に歌う権利を得た人がCDとして発売しているだけ、といった感すら漂ってくる。発売した後は誰の歌でもない、唯一言えるとしたら曲を作った人間であるつんく♂の歌。なんだかつんく♂が、「こいつらは誰の歌でもない!全部俺の歌やー!」と言っているのが目に浮かぶ。まあ確かにあんたの歌なんだけど。
しかし、これは完全にあゃゃと、この「100回のKISS」という歌に思い入れのあるファンに対する冒涜である。こんなことが許されるはずが無い。以前に後藤さんが、越路吹雪さんの「サントワ・マミー」という昔ながらの名曲を歌った際に、当時の越路吹雪さんの歌声を知っている年配の方々は、実に不愉快な思いをしたという話を良く聞くけれど、こういった楽曲に対する「思い入れ」というのは、何もヲタ特有の気持ちの悪い感情によるものではなく、どんな人にだって必ずあるもの。つんく♂には、昔の歌をハローのメンバーで再現しちゃおう!といった考えが少なからずあるようなのだけど、他人の歌を歌うということには、それなりのリスクが伴うのだ。そしてこれは、同じハローのメンバーにおける他人の曲を歌うということにも同様に当てはまることなのだと思う。
平井堅さんが、故坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」をカバーした際、「九さんファンや天国にいる九さんが怒らないように一生懸命歌いました。」とコメントしていたとおり、本来カバーをする際は、そのオリジナル曲に対する歌い手や多くのファンの気持ちを厳粛に受け止め、オリジナル曲を汚さないようにと細心の注意を払うべきなのだけど、つんく♂は、曲を一つのエンターテイメントと捉える傾向が強いのか、そういった曲に対する敬いやら配慮というものが、決定的に欠けているように思える。つんく♂がこの様に、曲をただのエンターテイメントの一つといった側面でしか捉えることが出来ないのであれば、彼はいつまで経っても音楽家として世に認められる存在にはなれないのだと思うし、エンターテイナーとしても、そして音楽家としても、彼は類まれなる天才だと思っているボクとしては、これは実に残念なことである。
ただ、実際に歌っている石川さん、後藤さんには何の罪も無い。彼女達は彼女達なりに出来る精一杯の歌声を観客に聴いてもらおうと一生懸命になっているのだろうし、誰に罪があるのかといえば、もちろん、この辺のことを何も考えずに、彼女達に他人の歌を歌わせようとしているつんく♂なのだ。ハローのメンバーによる自分達のコンサートでのカバーが何かと厄介なのが、この、実際に歌っているものと歌わせているものとが別であるということなのだと思う。しかも、コンサートという、どちらかと言うと内側向きの場でのカバーとなればなお更だ。
とにもかくにも、ボクは今回の美勇伝のコンサートツアーには参加するつもりはないし、このセットリストを見て、DVDの購入も見送ることにした。100回のKISSを始め、他人の曲オンパレードのコンサを見て、オリジナルの楽曲に対する思い入れを上書きされるのはまっぴら御免だし、ボクとしては、そういったことで犠牲になってしまう楽曲は、道重さんがベストショットで歌った「せんこう花火」だけで充分なのだ。
もっとも、彼女達の場合、レコーディングやダンスレッスン、そしてコンサートツアーと、卒業とともに仕事の大半が別々になってしまうのは事実だし、そういったことを考えればあの涙にもそれなりの意味を見出すことは出来るけれども、ボクらとしてみたら卒業というものには喪失感だとか、言葉では言い表せない物悲しさというか、そういったものが必ずあるもので、こうやって以前と何も変わらない様子をいきなり見せ付けられてしまうのは、なんだかアホらしい気持ちになってしまう。
ただ、こうやってヲタは、卒業を単なる定期的なイベントにしようとしている彼ら裏方の人間の思惑に、少しずつはまっていってしまうのだろう。ヲタって悲しいね。
ところで、そんな石川さんが率いる美勇伝のファーストコンサートツアーが現在執り行われているようで、このアルバムリリースがないという状況でのコンサートツアーは、誰もが予想していた通りのカラオケコンサートに落ち着き、それはもう何の脈絡も無く、美勇伝にとっては縁もゆかりも無い曲のオンパレードとなっている。これは、どこぞの誰かが、「よ〜し!セットリスト考えちゃうぞ〜!」なんて言いながら、「あははは!さすがにこれは無いだろう!あははは!」だなんて半ばふざけながら、最もありえなさそうなセットリストを考えたものが、なんとそのまま実際のセットリストになってしまいましたー!てな感じなのが、このツアーのセットリストそのもので、その中でも最も衝撃的なのが、石川さんソロによる「100回のKISS」。ボクはこの文字列を目にした瞬間、あまりの衝撃に卒倒してしまった。おい!なんだよこれ!いいのか悪いのかって、こんなのいいわけねーだろ、あんた!
こういった他人の歌を違う人間で歌い、それを商品としてしまうという動きは、FC限定のDVDベストショットが皮切りとなっていて、こういったことがコンサートで堂々と行われるようになったのは、今年の正月ハロコンからだと思うのだけど、この加速度的に急速に進むカラオケ化は最早歯止めの利かないところまできてしまっており、今となっては、たまたま一番最初に歌う権利を得た人がCDとして発売しているだけ、といった感すら漂ってくる。発売した後は誰の歌でもない、唯一言えるとしたら曲を作った人間であるつんく♂の歌。なんだかつんく♂が、「こいつらは誰の歌でもない!全部俺の歌やー!」と言っているのが目に浮かぶ。まあ確かにあんたの歌なんだけど。
しかし、これは完全にあゃゃと、この「100回のKISS」という歌に思い入れのあるファンに対する冒涜である。こんなことが許されるはずが無い。以前に後藤さんが、越路吹雪さんの「サントワ・マミー」という昔ながらの名曲を歌った際に、当時の越路吹雪さんの歌声を知っている年配の方々は、実に不愉快な思いをしたという話を良く聞くけれど、こういった楽曲に対する「思い入れ」というのは、何もヲタ特有の気持ちの悪い感情によるものではなく、どんな人にだって必ずあるもの。つんく♂には、昔の歌をハローのメンバーで再現しちゃおう!といった考えが少なからずあるようなのだけど、他人の歌を歌うということには、それなりのリスクが伴うのだ。そしてこれは、同じハローのメンバーにおける他人の曲を歌うということにも同様に当てはまることなのだと思う。
平井堅さんが、故坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」をカバーした際、「九さんファンや天国にいる九さんが怒らないように一生懸命歌いました。」とコメントしていたとおり、本来カバーをする際は、そのオリジナル曲に対する歌い手や多くのファンの気持ちを厳粛に受け止め、オリジナル曲を汚さないようにと細心の注意を払うべきなのだけど、つんく♂は、曲を一つのエンターテイメントと捉える傾向が強いのか、そういった曲に対する敬いやら配慮というものが、決定的に欠けているように思える。つんく♂がこの様に、曲をただのエンターテイメントの一つといった側面でしか捉えることが出来ないのであれば、彼はいつまで経っても音楽家として世に認められる存在にはなれないのだと思うし、エンターテイナーとしても、そして音楽家としても、彼は類まれなる天才だと思っているボクとしては、これは実に残念なことである。
ただ、実際に歌っている石川さん、後藤さんには何の罪も無い。彼女達は彼女達なりに出来る精一杯の歌声を観客に聴いてもらおうと一生懸命になっているのだろうし、誰に罪があるのかといえば、もちろん、この辺のことを何も考えずに、彼女達に他人の歌を歌わせようとしているつんく♂なのだ。ハローのメンバーによる自分達のコンサートでのカバーが何かと厄介なのが、この、実際に歌っているものと歌わせているものとが別であるということなのだと思う。しかも、コンサートという、どちらかと言うと内側向きの場でのカバーとなればなお更だ。
とにもかくにも、ボクは今回の美勇伝のコンサートツアーには参加するつもりはないし、このセットリストを見て、DVDの購入も見送ることにした。100回のKISSを始め、他人の曲オンパレードのコンサを見て、オリジナルの楽曲に対する思い入れを上書きされるのはまっぴら御免だし、ボクとしては、そういったことで犠牲になってしまう楽曲は、道重さんがベストショットで歌った「せんこう花火」だけで充分なのだ。
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▲ ラ・マンチャの英雄
「平成教育2005予備校」という番組に、ボクのだいっすきな矢口さんが出演していたので、ボクは思わずチャンネルを換えてしまいました!矢口さんごめんなさい!
というのはまあ冗談で、「やぐたんかわいいな〜。」だなんて、お茶目な感想を漏らしながらボクは鑑賞していたのだけれど、なんと言うか、この番組におけるやぐたんのポジションと言うか、位置付けと言うか、そういったものがボクが思っていた以前までのモーニング娘。矢口真里とは違ったものとなっていて、少々違和感を感じてしまった。
というのも、モーニング娘。という圧倒的なるパープリン集団の中においては、どちらかと言うと常識人的な位置付けにいたはずのやぐたんが、こういった娘。という枠外の、なおかつ頭を使うような番組に出演するとなると、たちまちパープリンキャラクターになってしまうわけで、周りの人間も何一つ疑問なく「バカなアイドルの代表」としてやぐたんを見ているのである。まったくもって失礼極まりないと思う。そもそもやぐたんは、もうすでにアイドルを卒業しているわけであり、ここにきて未だにやぐたんに対して「アイドル」というワードを使用してしまうこと自体が大きな間違い。よって、先ほどの「バカなアイドルの代表」というのは訂正し、ここは是非とも「バカな代表」とはっきり言っていただきたい。って、もっと失礼じゃないか!バカヤロウ!
ただ、今後もやぐたんがこういった番組に出演するのであれば、どうしても今までと同様にアイドルといった見方をされてしまうわけで、もちろん本人もそのつもりで出演しているのだとは思うのだけど、こういったポジションでやぐたんが生き抜いていくことの難しさは、このポジションにおけるアイドルが世の中にごまんと存在していることにあるのだと思う。アイドルというのは基本的に「バカでかわいい」というのが通常ステータスとなっていて、バカでかわいいということは、アイドルという枠組みにカテゴライズされてしまう人であれば等しく有する特性。そんな多数のライバルの中でやぐたんが頭一つ抜きん出るためには、一際きらめくバカっぷりを発揮するか、他のものを寄せ付けないほどのかわいさを身に着けなければならない。
だけれども、同番組において一緒に出演していたヒラリーこと平山あやさんには、その可愛らしさも、そのバカっぷりも全く及んでいなかったのだから、こいつはボクのだいっすきなやぐたんにとっては、のっけからいきなりのピンチである。
モーニング娘。在籍時のやぐたんは、もちろんアイドル「歌手」といった肩書きを持っていて、こういった番組に出演するにおいても、あくまでも本業はモーニング娘。、今の仕事は副業です!といった体のいい逃げ口があったのだけど、今となってはこういった番組に出演することがやぐたんの本業そのもの。これは、今までの娘。時代と同じような感覚で出演しているわけにはいかないわけで、これからは娘。という小さな小さな枠組みとは比較にならないくらい大きな枠組みでのライバル達との戦いに勝ち抜いていかなければならない。当然そんなことはボクがわざわざ言わなくとも、やぐたん本人が一番良くわかっていることだろうし、モーニング娘。を辞めると決意したその瞬間から、間違いなくやぐたん自身に芽生えている決意だとは思うのだけど、今のやぐたんが平山あやさんと全く同じ土俵でもって勝負をしなければならないという厳然たる事実は、はっきり言って勝ち目の見えない勝負に挑みにかかっている、あたかも現代のドン=キホーテのごとくボクには映ってしまったのだった。
不思議少女に、バカアイドル。私、河童を見たことがあるんです!私、妖精を見たことがあるんです!私、宇宙人にさらわれたことだってあるんです!やぐたんが今立っている土俵には、数々の不思議体験を真顔で平然と口にし、番組司会者に最高の突っ込みどころと、お茶の間に最高の笑いを提供することが出来るトップアイドル達がひしめいている。そんな人達とやぐたんを比べてみたら、やっぱりやぐたんはいたって普通の人。今回の番組を例にとってみたら、言葉は少々悪いけれども、特にこれといって特徴もない「ただのバカ」に成り下がっていた。
娘。の中でも立ち振る舞いがうまく、番組側にしてみてもある程度計算の出来るキャラクターとして、ソロスタートを切ったばかりの現在のやぐたんには、それなりに仕事が舞い込んでいるようだけど、これからこの世界で生き抜いていくためには、他のアイドル達を寄せ付けない、突拍子も無くはじけるような「何か」を持たなければ、正直言って先行きは暗いのだと思う。本業が歌手であった娘。時代に培った自身のアイドルっぷりを引っさげ敢然と立ち向かうドン=キホーテであれば、正統派パープリンアイドル達には勝てっこなどないのだ。
ただ皆さん、これだけは忘れないでいただきたい。ドン=キホーテという架空の人物は、ラ・マンチャの、そしてスペイン全土にとっての誇りであり、全世界で愛されている英雄でもある。残念ながらやぐたんが、正統派パープリンアイドルとして戦い抜くことが出来ないのであれば、現実を無視し猪突猛進するドン=キホーテ型の代表として活躍し、そしてそれをこれからのやぐたん自身の一つの個性として磨いていけば、それはそれで、なんか、いいんじゃないの?(ハナクソほじくりながら)
というのはまあ冗談で、「やぐたんかわいいな〜。」だなんて、お茶目な感想を漏らしながらボクは鑑賞していたのだけれど、なんと言うか、この番組におけるやぐたんのポジションと言うか、位置付けと言うか、そういったものがボクが思っていた以前までのモーニング娘。矢口真里とは違ったものとなっていて、少々違和感を感じてしまった。
というのも、モーニング娘。という圧倒的なるパープリン集団の中においては、どちらかと言うと常識人的な位置付けにいたはずのやぐたんが、こういった娘。という枠外の、なおかつ頭を使うような番組に出演するとなると、たちまちパープリンキャラクターになってしまうわけで、周りの人間も何一つ疑問なく「バカなアイドルの代表」としてやぐたんを見ているのである。まったくもって失礼極まりないと思う。そもそもやぐたんは、もうすでにアイドルを卒業しているわけであり、ここにきて未だにやぐたんに対して「アイドル」というワードを使用してしまうこと自体が大きな間違い。よって、先ほどの「バカなアイドルの代表」というのは訂正し、ここは是非とも「バカな代表」とはっきり言っていただきたい。って、もっと失礼じゃないか!バカヤロウ!
ただ、今後もやぐたんがこういった番組に出演するのであれば、どうしても今までと同様にアイドルといった見方をされてしまうわけで、もちろん本人もそのつもりで出演しているのだとは思うのだけど、こういったポジションでやぐたんが生き抜いていくことの難しさは、このポジションにおけるアイドルが世の中にごまんと存在していることにあるのだと思う。アイドルというのは基本的に「バカでかわいい」というのが通常ステータスとなっていて、バカでかわいいということは、アイドルという枠組みにカテゴライズされてしまう人であれば等しく有する特性。そんな多数のライバルの中でやぐたんが頭一つ抜きん出るためには、一際きらめくバカっぷりを発揮するか、他のものを寄せ付けないほどのかわいさを身に着けなければならない。
だけれども、同番組において一緒に出演していたヒラリーこと平山あやさんには、その可愛らしさも、そのバカっぷりも全く及んでいなかったのだから、こいつはボクのだいっすきなやぐたんにとっては、のっけからいきなりのピンチである。
モーニング娘。在籍時のやぐたんは、もちろんアイドル「歌手」といった肩書きを持っていて、こういった番組に出演するにおいても、あくまでも本業はモーニング娘。、今の仕事は副業です!といった体のいい逃げ口があったのだけど、今となってはこういった番組に出演することがやぐたんの本業そのもの。これは、今までの娘。時代と同じような感覚で出演しているわけにはいかないわけで、これからは娘。という小さな小さな枠組みとは比較にならないくらい大きな枠組みでのライバル達との戦いに勝ち抜いていかなければならない。当然そんなことはボクがわざわざ言わなくとも、やぐたん本人が一番良くわかっていることだろうし、モーニング娘。を辞めると決意したその瞬間から、間違いなくやぐたん自身に芽生えている決意だとは思うのだけど、今のやぐたんが平山あやさんと全く同じ土俵でもって勝負をしなければならないという厳然たる事実は、はっきり言って勝ち目の見えない勝負に挑みにかかっている、あたかも現代のドン=キホーテのごとくボクには映ってしまったのだった。
不思議少女に、バカアイドル。私、河童を見たことがあるんです!私、妖精を見たことがあるんです!私、宇宙人にさらわれたことだってあるんです!やぐたんが今立っている土俵には、数々の不思議体験を真顔で平然と口にし、番組司会者に最高の突っ込みどころと、お茶の間に最高の笑いを提供することが出来るトップアイドル達がひしめいている。そんな人達とやぐたんを比べてみたら、やっぱりやぐたんはいたって普通の人。今回の番組を例にとってみたら、言葉は少々悪いけれども、特にこれといって特徴もない「ただのバカ」に成り下がっていた。
娘。の中でも立ち振る舞いがうまく、番組側にしてみてもある程度計算の出来るキャラクターとして、ソロスタートを切ったばかりの現在のやぐたんには、それなりに仕事が舞い込んでいるようだけど、これからこの世界で生き抜いていくためには、他のアイドル達を寄せ付けない、突拍子も無くはじけるような「何か」を持たなければ、正直言って先行きは暗いのだと思う。本業が歌手であった娘。時代に培った自身のアイドルっぷりを引っさげ敢然と立ち向かうドン=キホーテであれば、正統派パープリンアイドル達には勝てっこなどないのだ。
ただ皆さん、これだけは忘れないでいただきたい。ドン=キホーテという架空の人物は、ラ・マンチャの、そしてスペイン全土にとっての誇りであり、全世界で愛されている英雄でもある。残念ながらやぐたんが、正統派パープリンアイドルとして戦い抜くことが出来ないのであれば、現実を無視し猪突猛進するドン=キホーテ型の代表として活躍し、そしてそれをこれからのやぐたん自身の一つの個性として磨いていけば、それはそれで、なんか、いいんじゃないの?(ハナクソほじくりながら)
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▲ ハローの終わりが見えてきた
Berryz工房さん達以外のキッズの人たちを寄せ集めて、「℃-ute」とかっていうユニットが出来ちゃいましたー!って情報をどこぞかのサイトで見つけたのは、確か先週末のことだっただろうか。ボクにとってこれは、まことにもって興味のわかない情報であり、実にどうでもいい情報だっただけに、「あっそ。」てな具合に今まで一蹴していたのだけど、そんな知らぬ顔が出来なくなってしまったのは、ボクの眼前でこの「℃-ute」とかっていうユニットの人たちが、ピリリと行こうぜイェイイェイイェイなどと突然狂ったように口パク踊りをし出したことが全ての原因である。
「安倍なつみ 歌とトークのふれあいコンサート 」などという、今までのコンサートとは明らかに違った雰囲気を醸しだす、このミステリアなツアータイトルを持つ今回のコンサートの本当にミステリアスな部分は、「開幕と同時になっちがいない。」というところにあったとは、さすがのボクもこいつにはやられてしまったね!こんな奇抜な発想思いつかないもの!つんく♂さんは、本当に面白いことを考える人だなあ。あははは。つんく♂さんってすっごーい!だなんて、思うわけねーだろ。
初っ端からなっちがいない状況で、ピリリと行こうぜイェイイェイイェイなどという口パクダンスのお遊戯会を見せ付けられて、一体どうすれと?なっちのコンサのスタートをキッズが担当するなどという、キッズの人達には全く興味がなく、キッズの人達を見ることを全く目的としていない人間を逆なでするような演出をしておいて、まさか、「やっべ!℃-uteって名前のとおり、超キュートだよね!これからは応援しちゃおう!」だなんて思うとでも思ったのだろうか?逆にこの℃-uteとかってキッズのユニットに対し、お前ら引っ込めよ!と思ってしまうのは、いたって自然。明らかにゲスト出演させるコンサの選択を誤っているし、それ以上に出演させるタイミングがお話にならない。会場が暗くなって立ち上がって、開幕と同時に座るコンサって、それどんなコンサだよ!
「つんく♂のやろう!一体何を考えていやがるんだ!」と憤慨したボクは、きゃつのサイトをF5アタックするべく、「つんく♂オフィシャルウェブサイト」に乗り込んだのだけど、そこには、最早自分自身の胡散臭いセクシーさにしか興味のない、ナルキッソスつんく♂の姿が。お金を払ってコンサを見に行って、見たくもないものを最低の演出で見せ付けられ、非常に気分を害しているお客である自分と、それを仕掛けた元凶ながら、お菓子と一緒にハイチーズ!などと、ものすごーく楽しそうにしているプロデューサーつんく♂という構図を考えたら、すさまじく頭にきたのだけど、きゃつのこのアホ面を目にした途端、なんかもうどうでもよくなってきたし、諦めがついた。もう、あんたの好きにやってくれ。
しかし、ハロー!プロジェクトとハロー!プロジェクト・キッズとは、全くの別物として考えるべきであり、無理に絡ませる必要なんてどこにもない。そんなことは誰もがわかっていることであるはずなのに、どうしてこんなことが行われてしまうのだろうか。今回の「安倍なつみ 歌とトークのふれあいコンサート 」を見て、℃-uteというユニットに対し、露骨に負の感情を抱いた人間は少なくとも会場の中で一人(ボク)はいるわけだし、今後の℃-uteにとっても、こういったことがプラスになるとは考えられない。満面の笑顔でお弁当とツーショットの男には、こんなことは伝わるはずもないかもしれないけれど。
ハローの活動の全ては、間違いなくつんく♂の双肩にかかっている。彼の発想やアイデアにこそ、ハローの今後の活動の希望があったはずなのだけど、今となってはかえってそれが仇となってしまっているとは。何ら気分を害することなくハローを肯定するには、真性盲目つんく♂ヲタという狂人でなければ、最早叶わないことなのかもしれない。
んなもんムリに決まっておろうが。
「安倍なつみ 歌とトークのふれあいコンサート 」などという、今までのコンサートとは明らかに違った雰囲気を醸しだす、このミステリアなツアータイトルを持つ今回のコンサートの本当にミステリアスな部分は、「開幕と同時になっちがいない。」というところにあったとは、さすがのボクもこいつにはやられてしまったね!こんな奇抜な発想思いつかないもの!つんく♂さんは、本当に面白いことを考える人だなあ。あははは。つんく♂さんってすっごーい!だなんて、思うわけねーだろ。
初っ端からなっちがいない状況で、ピリリと行こうぜイェイイェイイェイなどという口パクダンスのお遊戯会を見せ付けられて、一体どうすれと?なっちのコンサのスタートをキッズが担当するなどという、キッズの人達には全く興味がなく、キッズの人達を見ることを全く目的としていない人間を逆なでするような演出をしておいて、まさか、「やっべ!℃-uteって名前のとおり、超キュートだよね!これからは応援しちゃおう!」だなんて思うとでも思ったのだろうか?逆にこの℃-uteとかってキッズのユニットに対し、お前ら引っ込めよ!と思ってしまうのは、いたって自然。明らかにゲスト出演させるコンサの選択を誤っているし、それ以上に出演させるタイミングがお話にならない。会場が暗くなって立ち上がって、開幕と同時に座るコンサって、それどんなコンサだよ!
「つんく♂のやろう!一体何を考えていやがるんだ!」と憤慨したボクは、きゃつのサイトをF5アタックするべく、「つんく♂オフィシャルウェブサイト」に乗り込んだのだけど、そこには、最早自分自身の胡散臭いセクシーさにしか興味のない、ナルキッソスつんく♂の姿が。お金を払ってコンサを見に行って、見たくもないものを最低の演出で見せ付けられ、非常に気分を害しているお客である自分と、それを仕掛けた元凶ながら、お菓子と一緒にハイチーズ!などと、ものすごーく楽しそうにしているプロデューサーつんく♂という構図を考えたら、すさまじく頭にきたのだけど、きゃつのこのアホ面を目にした途端、なんかもうどうでもよくなってきたし、諦めがついた。もう、あんたの好きにやってくれ。
しかし、ハロー!プロジェクトとハロー!プロジェクト・キッズとは、全くの別物として考えるべきであり、無理に絡ませる必要なんてどこにもない。そんなことは誰もがわかっていることであるはずなのに、どうしてこんなことが行われてしまうのだろうか。今回の「安倍なつみ 歌とトークのふれあいコンサート 」を見て、℃-uteというユニットに対し、露骨に負の感情を抱いた人間は少なくとも会場の中で一人(ボク)はいるわけだし、今後の℃-uteにとっても、こういったことがプラスになるとは考えられない。満面の笑顔でお弁当とツーショットの男には、こんなことは伝わるはずもないかもしれないけれど。
ハローの活動の全ては、間違いなくつんく♂の双肩にかかっている。彼の発想やアイデアにこそ、ハローの今後の活動の希望があったはずなのだけど、今となってはかえってそれが仇となってしまっているとは。何ら気分を害することなくハローを肯定するには、真性盲目つんく♂ヲタという狂人でなければ、最早叶わないことなのかもしれない。
んなもんムリに決まっておろうが。
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