過去ログ#111〜#120


俺は魚を逃さない
「17日の消印まで有効」という文字列を目にしたのが、先月の16日。翌日あわててポストに投函し、ぎりぎりセーフ。あとはえりりんが我が家に届くのを、ただただゴロゴロ寝て待つだけ。

先週までのボクは、上述のごとくえらく余裕をぶっかましていたのだけれど、先週末あたりからデカデカとしたモーニング娘。さん達のお名前が印刷されている細長い段ボール箱の写真を、ご自慢のごとく自サイトにアップしては、実にご満悦な方々を目にするたびに、自分のところにはいつまで経っても届く気配の無いことに地団太を踏み、不公平な世の中を恨み、外は相変わらず寒いものだから、本当にゴロゴロとベッドの中で不貞寝をしていたら、なんと、佐川急便さんが持ってきてくれたのだった!えりりん等身大ポスターを!佐川急便さんが持ってきてくれたのだった!えりりん等身大ポスターをいやっほ―――い!!

やったぜい!やったぜい!ボクはあまりの興奮にその場で小躍りをしたくなったのだけど、モーニング娘。のポスターを手に取り、その場で踊り出す姿を佐川急便のおっさんに見られるのは、やっぱかっこ悪いよなとすぐに思い、小躍りするのを踏みとどまった。今思えば、これは実に大人な振る舞いだったと思う。

部屋に戻り、すぐさま開封しようとも思ったのだけど、しばらくはそのまま空けることなく置いておくことにする。それは、すぐに開封したりなどしたら、いかにもがっついている気持ちの悪いヲタだと思ったからだ。かっこいい。これは実に厳かな振る舞いだったと思う。

さてと、厳かな態度ももう十分だし、「そろそろ空けちゃおっかなー等身大ポスター?美貴ちゃん等身大ポスター空けてもいい?」などと、美貴ティの小粋なモノマネなどしつつ、いざ開封。そして、まずボクが行ったこととは、生まれて初めて手にした等身大ポスターだったために、どれくらいの大きさなのかをよく確認するため、まあいたって普通の行為なのだけど、床に広げてみることだった。

・・・えりりんがいる。

こいつはいい。しかし、あまり近くでマジマジと見たところで、その大きさを実感することなど出来やしない。せっかくの等身大ポスターなのだからと、ボクは、ちょっと遠くの方から、眺めるように見てみることにした。

・・・えりりんがいるっ!

これはもう遠くから眺めて見るだけでは飽き足らず、ちょっと高いところから見てみよう!もうちょっと高いところから眺めてみよう!とボクは思い、すぐさま椅子の上に立ち上がり、広げられたポスターを腕組しながら見下ろしてみる。

えりりんがいるぅぅ!!

椅子から降り、高まる興奮を抑え、最後の最後に本当に等身大なのかを検証するために、ポスターを両手で持ち、そのポスターの最下部を床にあわせてみたところで、そっと目線を上げてみる。

えりりんがいるぅぅぅぅ――!!!目の前にえりりんがいるぅぅぅぅ――!!!

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

高々5分程度で、ここまで楽しい一人遊びを提供してくれる等身大ポスターは、実に素敵な究極マテリアルだ。「直感2を買って良かったな。」って、生まれて初めて思った。
(111)

つんく♂びっくり企画発動 in 紅白
紅白歌合戦においてハロープロジェクト勢が世間様にお披露目する曲目は、『気がつけば好きすぎて♪盛り上がって♪LOVEマシーン!』ということらしく、別枠で参加するはずの松浦亜弥&DEF.DIVAとドリームモーニング娘。が、何故か同じ曲目として発表されているのだけど、一体なんだというのだこれは。君たち、人をバカにするのもいい加減にしたまえ。一体全体なんだって言うんだこれは。

「モーニング娘。さん達が大好きだー!」などと普段から言っておきながら、実はあまりモームスのこととかよく分からないボクであっても、この曲目の意味することはよく理解しているつもりである。これは大が100個くらい付くほどの大問題であり、まったくもってけしからん。

その大問題は、全てこの曲目に明確に現れている。

まず、この曲目の「気がつけば」という部分は、恐らく「気がつけば あなた」を指しているわけであり、なるほど、これは松浦亜弥嬢の持ち歌であることがわかる。その次に続く「好きすぎて」という部分は、恐らく「好きすぎて バカみたい」を指しているわけであり、これは、DEF.DIVAの持ち歌なわけだ。どちらも、松浦亜弥&DEF.DIVAとして参加することがすでに決まっている以上、各人の持ち歌が披露されるのは当然であり、何も不思議なことはない。そしてもちろん、最後の「LOVEマシーン!」と言う部分は、モーニング娘。さん達が誇る唯一無二の大ヒット曲「LOVEマシーン」を指しているわけであり、これとて何もおかしなことは一つもない。

問題となるべくは、その間に存在する「盛り上がって♪」という部分にある。

上述の文からも、この曲目は、複数の曲の一部を組み合わせて作られた曲目であることは想像に難しくないのだけど、『気がつけば好きすぎて♪盛り上がって♪LOVEマシーン!』という曲目において、すでに紅白出場が決まっているメンバーの曲は、この時点ですでに出尽くした。「盛り上がって♪」という部分が未だ残っている状況でありながら、すでに松浦亜弥&DEF.DIVAとドリームモーニング娘。の2組の曲は、曲目の中に全て出てしまっているのだ。それであれば、「盛り上がって♪」というのは何の曲を指して言っているんだよ!ということになるのだけど、問題はそこである。

そう。ここの部分は、どう考えても、「さあ、早速盛り上げていこか〜!!」を指しているとしか思えないのだ。最早ボクにはそれ以外思い付かないのだ。

皆さんご承知の通り、この曲はメロン記念日さんの持ち歌である。しかし、そのメロン記念日さんは、残念ながら紅白には出場しない。それの意味することは何か?つまるところこれは、「2005年は、紅白でもやっぱりハロプロはカラオケをやっちゃうぞ〜!」ということなのである。これは大が100個くらい付くほどの大問題だ。

思い起こせば、2005年のスタートは、正月ハロコンにおけるカラオケコンサートであった。そんな2005年を締めくくる紅白歌合戦においても、やはりカラオケを披露する予定とは、何が何でも2005年のハロプロのキーワードは「カラオケ」にしたいらしい。ここで、つんく♂が自サイトにて、今年の1月1日に血迷って口走った戯言、「すでにみんながびっくりするような企画をいっぱい計画たててありますからね〜。」を思い出したのだけど、この言葉が、「紅白にて、「さあ、早速盛り上げていこか〜!!」を、松浦亜弥&DEF.DIVAとドリームモーニング娘。で歌っちゃう!」という、ぶったまげるほどのカラオケ企画のことを指して言っていたとは、ボクはこれまで想像だにしていなかった。はっきり言って恐れ入る。

しかし、12月31日のカラオケ披露まで、何もせずに指をくわえて待っているわけにはいかない。発表された曲目に使われている「盛り上がって♪」というキーワードから、あれこれ考え抜いた挙句、ボクは、「盛り上がるしかないでしょ!」をごっちんが一人で歌ってしまえば、見事にカラオケ披露を阻止することが出来る!という妙案を考え付くことに成功した。微力ながら、ボクは是非ともこのカラオケ防止案を推進していこうと思う。

ただ、ここにきて気がついてしまったのだけど、「さあ、早速盛り上げていこか〜!!」にせよ、「盛り上がるしかないでしょ!」にせよ、この2曲であれば、どちらにせよダイチ先生マジックからは逃れることが出来ないという、新たな問題に直面してしまったのだった。

こいつは、さらに大が800個くらい付くほどの大問題だ――!!
(112)

可愛さ無限増殖中
本日12月23日は、亀井絵里さんがご生誕なされた日であるということは、皆さん当然お分かりだとは思うのだけど、「めでたいなあ。こいつは本当にめでたいなあ。」などと思いながらテレビを見ていたら、笑福亭鶴瓶の誕生日という文字列を目にした。若手芸人たちがなにやら鶴瓶の誕生日を番組上で祝っているようで、気になりついでに調べてみたところ、どうやら本日12月23日は笑福亭鶴瓶氏の誕生日でもあるらしい。

亀井えりりんと同じ日に誕生日を祝うことが出来るとは、なんてうらやましい奴なんだ鶴瓶は。亀井えりりんと誕生日が同じという、たったその一点の理由のみで、鶴瓶になりたいなあとボクは思ったりもしたのだけど、すぐに考え直した。てか、そんなことより、何ゆえにこの芸人たちは、亀井えりりん生誕の日に、鶴瓶を祝っておるのだ。おかしいだろそんなの。亀井えりりんを差し置いて、何ゆえに鶴瓶を祝っているというのか。全くもって理解に苦しむ。

とは言え、本日は亀井えりりんの17回目の誕生日であり、日本一めでたい日であるのだから、そんなお馬鹿な芸人さんたちも、ボクは広い心でもって許してあげようと思う。

16歳の亀井えりりんは無数の奇跡を起こした、まさに奇跡の年だったのだと思う。ボク自身、今年一年を振り返ってみると、実に亀井三昧な一年であった。

17歳のえりりんも、このままグングンと素敵な女性に成長遂げるのだろうし、何一つ懸念すべきことは無い。唯一の懸念事項といえば、日を追うごとにどんどん可愛らしくなっていくので、一体どこまで可愛くなるつもりんなんだよ!といった、可愛さ無限増殖状態であること。いや、これは笑い事じゃなくて、かなり真剣に気がかりな部分である。えりりん、一体どこまで可愛くなれば気が済むんだよ!

とまあ、キモイ話はこれぐらいにしておいて、亀井絵里さん17歳の誕生日おめでとうございます。この1年間も、そのとびっきりの可愛らしさに更なる磨きをかけて、是非ともボクを気狂いさせてくださいな!きゃは!
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2005年度裏名言大賞
2005年度も残すところわずか1日となってしまった。去年と比べると今年の1年は随分と早く終わってしまったような気がする。これは私生活が充実していたが故なのか、もしくはヲタ活動が充実していたが故なのか。そのどちらも充実していたからというのが、今の自分にとっては最も幸せなことのような気もするのだけど、とにかく今年一年の締めくくりには、この一年間を振り返るという意味においても、やっぱりこれはやっておこうと思った。隆盛極まるハロー!プロジェクトだからこその、2005年度裏名言大賞。
【第3位】 『ちょっとウンコが出そう』 [藤本美貴]
『ちょっとウンコが出そう』(画像はイメージ)こんな名言は聞いたことがない。
はにかみながらも赤裸々な告白をする美貴たんの、その声の艶といい、テンポといい、そして絶妙なるタイミングといい、完璧すぎて最早文句の付け所が無い。ここまで完璧な振りとオチを、わずか10秒で実現してしまうその手腕には感服の一言。
もし仮にこれが、「ちょっとウンコが出た。」という、すでに終了してしまった行為に対する結果報告であれば、間違いなく、ぶっちぎりの第1位だったのだと思う。



【第2位】 『近くにおいらいてあげるからさ、言ってごらん。』 [矢口真里]
『近くにおいらいてあげるからさ、言ってごらん。』(画像はイメージ)これはもうやぐたん。これはもう、右から見ても左から見ても前から見ても後ろから見ても上から見ても下から見ても、360度どこから見ても完璧にやぐたん。これこそがやぐたん。やぐたんだからこそ成せる名言中の名言。
テレビであろうが、ライブであろうが、例えオフの状態であろうが、いつでもどこでもやぐたんはやぐたん。やぐたんはどんな時であったって、ボク達の期待を裏切ることの無い、正真正銘のプロフェッショナルエンターテイナーなのだ!といった真実を伝えてくれた名言。



【第1位】 『さわるなよごるぅぅぁぁ!!』 [藤本美貴]
『さわるなよごるぅぅぁぁ!!』(画像はイメージ)出だしはビックリするくらいに上機嫌で、「お!いつになく美貴たん上機嫌だね!」などと思わせておきながら、二言目には突然の美貴たん節炸裂。そのまま畳み掛けるように言葉攻めをした後に、「さわるなよごるぅぅぁぁ!!」の決め台詞。同時にボディーに一発キックしているのだろうなあと思わせるほどにまで臨場感も抜群。まさに美貴たんに死角無し。
ボクとしてみたら、握手サーキット前日にこれを聞いてしまって、「握手の直前にこの台詞を言われてしまったら、ど、ど、ど、どどうしよ〜オロオロオロオロ…」と、美貴たんと握手をするのがとても恐ろしくなってしまった思い出の名言でもある。2005年度のベスト名言は、やっぱりこれなのだろう。
結果的に美貴たんとやぐたんしか選ばれなかったのだけど、これはやっぱりこの御二方が、裏名言という点において、現時点で頭一つ抜きん出ている証拠なのだと思う。来年は是非とも愛ちゅんやれいなたん辺りにも、聞いて思わず絶句してしまうような裏名言を残し、この偉大なる先輩方を脅かすような存在にまで成長していただきたい。

今年の最後にこんな更新だなんて、最低ですよね。はは。
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過去の栄光という名の鎖
はいはい、のにゅのにゅ。ってな感じで、今年も一発目から超クソネガティブな内容のテキストでお贈りするつもりなのだけど、それは、ワンダフルハーツの内容の酷さだとか、エルダークラブの内容の酷さなのではなくって、紅白。ここに来ていきなり去年の話。ワンダフル・エルダーの酷さなんて、はなっから分かっていたし、今更言及することなど何もない。ここまでハードルを落とすのもどうかと思うけど、ソロコンさえ楽しければもう何も言うまい。そう思わされたコンサだったわけで、言うことがないというよりも、言う気力も起きないというのが正直なところ。

とまあ、そんなどうでもいいことよりも、紅白。正確には紅白ではなく、年明けの1月2日に放送された「すべて見せます!紅白の舞台裏」における、夏先生の言葉のことなのだけど、揃いも揃って皆さん「良かった」「感動した」って、当事者でもないのに実におめでたい話ばかり。あの映像を見て感動が出来るだなんて、うらやましいにも程があるのだけど、果たしてあの内容はそんなに感動できる内容なのだろうか。完全無欠の懐古主義者と言うならばまだわかるのだけど、ここまで揃って感動した人しか存在しないってことは、今残っているヲタはみーんな懐古主義で、「昔のモームスの方がよっぽど良かったのに、あ〜残念だなあ〜。」って思っているってことなのだろうか。これははっきり言って腑に落ちない。

ボク自身は懐古主義でもなんでもないし、どちらかと言うと今の娘。の方こそが最高だと思っている派なので、あの夏先生の言葉は、理解こそ出来るものの、およそ感動できるような内容ではなかった。

「今日の日があるっていうことは、この19人の中の一人でも欠けてたら無いんだよ。」

この言葉は、結成当時から娘。を陰で支えてきた夏先生の言葉として、当事者である娘。達にはよく伝わる重い言葉だったのだと思うし、ボク自身この言葉には思うところもあった。ところが、このように、一見すると新旧関係なく、19人の娘。全体をフラットに扱うような言い回しを使っておきながら、その実この言葉以外にフラットと受け取れるような言葉は一切なく、どれもこれも旧娘。勢寄りの言葉の羅列だったわけで、ボクが素直に感動できなかった原因はまさにそこにある。

夏先生は、娘。の歴史を追いながらメンバー一人ひとりの名前を挙げていく。「中澤と飯田と安倍が作り上げなかったらなかった」「途中で、矢口や保田や後藤が支えなかったら…」「辻加護と石川と吉澤がさらにそれを続けていかなかったら…」。しかしこのように、当たり前のことを当たり前のように羅列するのであるならば、当たり前のように「今年久住が入り、それを続けていなかったら…」という最後の言葉まで続けなければならない。そうでなければ、「今日という日は、この19人の中の一人でも欠けていたら無かった。」という、新旧娘。メンバー全員に捧げたはずの言葉の意味が薄れてしまう。なぜ最後のこの言葉まで続けなかったのか。

夏まゆみ先生は、結成当時から娘。と苦楽をともにし、クリエイターとしてよりいいものを作ろうと、娘。達と一緒になってがむしゃらになって走り続けてきた人間であり、今でこそ娘。の新曲振り付け担当をしていないにせよ、未だ娘。にとっては多大なる影響力をもつ人間である。19人全員の輪の中心で、全員がその一言一言を余すことなく聞き入るというシチュエーションであれば、尚のこと最後のその言葉までしっかりと「言葉として」発する必要が立場的にあったのだ。どんなに当たり前のことだろうと、どんなに些細なことだろうと、言葉は口に出さなければ伝わらない。

紅白終了後のステージ裏にて、藤本、紺野という現娘。メンバーが夏先生の下へ駆け寄る。ところが、当の夏先生の目線は、すでにその後ろから来た中澤ら旧娘勢の方にあり、結果的に抱擁を交わすのは旧娘勢。その後、夏先生を囲んでいるのも旧娘勢であり、現娘勢といえばその輪の外に。人間誰しも思い入れはあるもので、モーニング娘。が好きという一言を取ってみても、どの時期に一番の思い入れがあるのかは人それぞれ違うのだと思う。夏先生にとって、一番思い入れ深いのが、オリジナルがいた頃の娘。であるというのは、彼女と娘。の経緯から考えても至極当たり前のことであり、結局のところ、 「今日の日があるっていうことは、この19人の中の一人でも欠けてたら無いんだよ。」という夏先生本人の言葉は、19人全員に対する「過去の重みの再認識」に他ならない。

ボクは、過去の重みなどを現娘。メンバーがしょったところで、何一つ生み出されるものは無いと思っている。それは、自分たちに出来る最高のパフォーマンスを届けようと、ひたむきに努力を重ねることは、今も昔も変わらず全てのメンバーが行っていることであり、昔の方がより優れていたなどとは一切思っていないからだ。むしろ、過去に売れていたという事実と、アイドルとしては異例とも言える長期間の活動による世間の飽きから、「下火になった」「もうモームスは終わり」「誰が誰だかわからない」などと揶揄され、自身の努力と、旧メンバーを上回るほどにまで身に着けたはずの実力が、全く報われることのない現メンバーこそ不憫だとすら思っている。だからこそ、常にこういった負い目を感じながらも、めげることなく、しっかりと前を見据え、地道に努力し、確実に進化を遂げている現娘。の方にこそ、ボクはエールを送り、価値を見出したい。

今回の紅白の舞台裏を見て、どんな気持ちで言ったのかは分からないけれども、「感動した」という言葉を使う人は、懐古主義者以外の何者でもないとボクは思うし、あの映像から考えても、当然これらを理解した上で、皆が皆「感動した」という言葉を発しているのだとは思う。ただ、その結果、現存するヲタの中でさえも、旧娘。勢に対する思い入れの方が強いヲタばかりという状況は、はっきり言って面白くない状況であり、比較すれば、綺麗さっぱり娘。のことは忘れ、Berryz工房などの新ユニットに鞍替えした旧モーヲタ勢の方がよっぽど潔く気持ちいいとすら思う。

同じ言葉であっても、使用するシチュエーションによって当然その意味合いは変わってくる。「感動した」「最高だった」と、賞賛の言葉だけをただただ羅列しておけば優良なファンと言えるのだろうか。ボクはそうは思わない。
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「すべて見せます!」ってとんでもないウソ
ハロプロテインにて、『ちゃんちゃか★チャーミー』という石川さんのラジオの書き起こしを目にした。書き起こし自体はほんの一部であったのだけど、その内容があの紅白の舞台裏における夏先生の言葉についての部分だったため、ボク自身少々気になってしまい、該当箇所を実際に視聴してみた。なるほど。このラジオを聞く限りにおいては、夏先生はあの紅白の舞台裏にて、「7期の久住が入ってそれを続けていなかったら無かった」という最後の言葉まで、しっかりと「言葉として」発していたのだという。これはつまり、「すべて見せます!紅白の舞台裏」における夏先生の言葉の中途半端さは、編集にてカットをされてしまった結果であるということだ。これを聞いて少しばかり安心した。

「19人の中の一人でも欠けていたら無かった」とまで言い放ち、尚且つ19人の輪の中心に居たあのシチュエーションにて、夏先生が4期までの言及に留まることにはとても違和感があり、最後まで言及することの方がよっぽど自然である。6期メンバーのオーディション合宿にて、最終的に6期の3名と一緒に涙を流したはずの夏先生が、何故4期までの言及で終わりにしていたのか、どうも納得がいかないと思っていたのだけど、諸悪の根源は全てこのNHKの不要なる編集にあったのだ。そもそもあの大事な場面にナレーションを被せ、最も重要なはずの夏先生の言葉を聞き取りにくくさせる編集をしていたばかりか、その重要な言葉を途中でカットするなどという非常識極まりない行為を平然とやってのけるとは、NHKは一体何を考えていたのか。まさしく伏魔殿と呼ぶに相応しいとすら思う。腹立たしいことこの上ない。

とまあ実は、そんなことはこれっぽっちも思ってもいないのだけど。

というのも、NHK側からしてみたら、「スキウタ」や「ドリームモーニング」の企画は、単なる視聴率奪取のための一手段に過ぎないわけで、舞台裏のドキュメントだってそんな紅白に彩を与えるパーツに過ぎない。そんなパーツの中の更にほんの一部に過ぎないドリームモーニングの舞台裏も、限られた尺の中での構成を考えれば、復活する旧メンバーと、新人である久住さんにのみ焦点を絞り、他の部分は切り捨てるという選択をするのは至って自然であり、おかしなことは何もないのだ。これら全てはNHKサイドの欲求を満たすための単なる企画。

もっとも、問題はそれら企画をどのような視点でもって演出するのかということなのだと思う。

サブカル的な要素を多分に含む現在のモーニング娘。を、一般人からの視点のみで演出することは非常に危険であり、少なからずファン側の視点を意識した上で演出を考えなければならないというのがボクの意見。今回の「すべて見せます!紅白の舞台裏」における編集は、そのファン側の視点に対する配慮が皆無であった結果なのだと思う。「5期が全然映ってなかったよ!」「6期の扱いはゼロだったよ!」などといった、一部ファンのエゴなんてものは一切合財無視をしたって一向に構わないのだけど、何よりも最も重要であり、今回の企画に最も意味を持たせていたはずの夏先生の言葉を、編集にて途中でカットしてしまうというのは、そういった配慮に対する完全なる欠落を意味し、これであれば、「一体全体、NHKは誰に対して紅白の舞台裏を全て見せるつもりだったのだろう?」といった疑問すら起こってしまう。

もちろん、NHKサイドとしてのコンセプトは、先ほども述べたとおり、復活する旧メンバーと新人久住さんのピックアップであるのだから、そのコンセプトに見合った編集をただ行ったまでであり、それ以外のことは何一つ考えていなかったと言うのが答えなのだろう。ただ、こういったコンセプトを満たすために行われた編集が、今回のような重要な部分のカットに繋がり、結果的に誤解を生むような事態を招いたのだとしたら、これは期せずして行われた情報操作でもあり、ただ一点の配慮に対する欠落がこの情報操作の元凶であれば、メディアとしてその罪は重い。

モーニング娘。にとっての卒業、そしてその卒業したメンバーが一堂に会すること。これらの意味を、NHKが少しでも理解し配慮していたとしたら、決して今回と同じ結果にはならなかったのだと思うし、誰もが素直に感動できる内容になっていたのだとボクは思う。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

ちなみに、前回のテキストに対して、
だったら モーニング娘という 名前捨てて活動すればいい 過去背負わないというならば
ってメール。これは論外なんで、マジで勘弁してください…。何をどう読めばこんな結論に至るのか…。眩暈がしました…。
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久住小春のミラクルぶり
久住小春ミラクルこと久住小春さんがモーニング娘。入りして早8ヶ月あまり。つんく♂の一言から突如彼女に命名されたこのミラクルという称号は、単なるつんく♂の思いつきという枠を超え、大々的な宣伝文句にまで発展したことで、デビュー当初は胡散臭さがほのかに漂っていたというのが正直なところ。

ところが、加入当初から現在に至るまでの彼女自身の頑張りと、あまり普段は表に出さない負けん気の強さによって、この訝しさは、「もしかしたら、なんとなくミラクルなのかも」といった淡い期待を抱くまでに成長し、今後の彼女の成長ぶりに大いに希望が持てるまでに至った。もとより、彼女自身の生まれ付いての素質である、人目を引く目鼻立ちの良さと顔面偏差値の高さは、彼女が一般人とは一線を画する特別な存在であることの動かしがたい証拠であり、それを納得させるには十分すぎるほどの要素でもある。

そんな久住さんがデビュー当時から口にしていた特技にバレーボールがあるのは、すでに多くの人が認知していることだとは思うのだけど、先週からのハロモニの放送にて、そんな久住さんも参加するバレーボール企画が始まったのだ。「村のバレーボールチームでキャプテンをしていた。」とは、久住さんの父上が、愛娘の娘。入りを願い、つんく♂のおっさんにアピールした口説き文句でもあり、そこから想像しうる久住さんのバレーボールの実力は相当なもののはず。誰もが感心してしまうほど、久住さんはバレーボール娘であり、アッタクナンバーワン少女に違いないのだ。

「ハロモニバレーボール部」より「ハロモニバレーボール部」より

「ところがどっこい」と言うのが正解なのか、「やっぱり思ったとおり」と言うのが正解なのか、あろうことか試合前の練習段階において、すでに久住さんのバレーボールの実力はヘッポコそのもので、キャプテンはおろか、4年間のバレーボール歴そのものを疑いたくなってしまうほど素人丸出し。単なる下手の横好きだったのか、そして、そんなひたむきさが買われてキャプテンに任命されただけだったのか、とにかく目を疑ってしまうほどのこの下手っぴっぷりは見るに耐えなく、ひょろひょろとボールを追う姿には、ミラクルの片鱗をうかがうことなど到底出来やしない。「やっぱり久住さんは、ミラクルでもなんでもないんじゃないのか…!?」といった超ネガティブ思考に一度は取り巻かれてしまったものの、製作サイドの「一度落としておいて、実はこんなにすごいんです!」というアップダウンの演出があることに儚い希望を抱き、今週のハロモニでの試合の放送をじっと待ったのである。

「ハロモニバレーボール部」より「ハロモニバレーボール部」より

と、ここでまたもや「ところがどっこい」。今週の放送でいざ試合が始まったものの、「久住さんはバリバリのバレーボール少女」というボク自身の勝手な妄想は、本当に勝手な妄想に終始し、何のアピールも無いまま試合も惨敗。ビシビシと強烈なスパイクを打ち込む吉澤さんとは裏腹に、当の久住さんと言えば、取り立てて見せ場を作れないどころか、アタックボールをレシーブせずに思わず逃げてしまうなどと言う珍事まで引き起こした。これは、ある意味においてはミラクルと言えることなのかもしれないけれど、ほのかに期待していたバレーボールの実力でミラクルを起こすことは最後まで実現しなかったのである。

「ハロモニバレーボール部」より「ハロモニバレーボール部」より

ところで、現時点において久住さんから垣間見られるミラクルの片鱗とは、彼女のダンスや歌唱のスキルアップによるものなのではなくて、見た目の華やかさや、「13歳なのに…」「たった一人で娘に加入して…」といったシチュエーションが生み出す副次的な要素に強く依存しているのだと思う。へたっぴだけど笑顔を絶やさずに、一生懸命スポーツに取り組むという構図は、一般アイドルであれば文句無しの100点満点なのだけど、それだけでは飽き足らず、心の底から「すごい!」と直接的に彼女自身に言える何かがはっきりと見えてこないものかと、まだまだ加入して8ヶ月足らずの少女に過剰な期待をかけてしまうのは、ひとえに彼女が単なるアイドルではなく、「ミラクル」という言葉に相応しいだけの何かを秘めているのではないかと思わせてくれるからなのだと思う。

この期待が、それこそ勝手な妄想に終わらないことを願わずにはいられないのだけど、つんく♂の言うところのミラクルは、自分にとっても等しくミラクルだと思ってやまない100%つんく♂チルドレンのボクとしては、割と楽観的に彼女の成長ぶりを見守っていたり。何はともあれ、今後も久住さんからは目が離せない。
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「らしさ」の出ないプロデュース
中野サンプラザのエルダーコンで初めて聴いたときの後藤真希最新シングル「今にきっと… In My LIFE」に対するボクの感想というのは、絶妙にイマイチな曲。そんな絶妙にイマイチな曲が、今週のハロモニのスタジオライブにて披露されたのだけど、残念なことにその思いは払拭されることは無く、むしろライブでの視聴時よりも、より強固なものとなってしまった。そもそも、この期に及んで、何故後藤真希がこんな楽曲をリリースするのか。その理由がまったくもって理解出来ない。もっとも、これは楽曲そのものの良し悪しの話なのではなくって、曲調やこの曲のコンセプトに対する話なのだけど。

ハロモニスタジオライブよりこの曲、久しぶりにつんく♂が作詞作曲を手がけたシングルであり、つんく♂と言えば、本来他のクリエイターと比較しても、最もよく後藤真希を知っている人物であるはず。そんなつんく♂が、何故二十歳となり本格的な歌い手として成長し続ける後藤に対し、その魅力を半減してしまうような楽曲をあてがうのか。現在の後藤真希から想像しうるイメージとはあまりにもかけ離れた楽曲。それがこの「今にきっと… In My LIFE」なのだと思う。

つんく♂は後藤に対して、「与えられた楽曲を自分なりのカタチに変えていくのが後藤の歌なんだよ。」といった趣旨のことを、以前にアドバイスしたことがあるそうなのだけど(「モーニング娘。×つんく♂2 後藤真希」参照)、カタチを変えるにも限度というものがある。後藤らしくかっこよく歌おうにも、フリフリのラメ衣装を身に纏ってかっこよさもへったくれも無い。デビュー当時の十代の頃ならばまだしも、デビュー後すでに5年も経ち、本格的アーティストという目標に向かって活動を続ける後藤真希という人材を考えるに、これはあまりにもミスマッチな一曲だ。

ハロモニスタジオライブよりハロモニスタジオライブより

この曲を考えるに、つんく♂には後藤真希という素材を熟知し、それを汲み取り、より良いものへと還元するだけのプロデュース力が無いのだと言わざるを得ない。その結果が、「自分なりにカタチを変えるんだよ」という、ともすれば投げっぱなしとも受け取れる言葉に繋がっているのではないか。カタチを変えることを前提としているならば、ガチガチにイメージが塗り固められてしまうようなものではなく、カタチを変えやすい楽曲を提供すべき。以前から感じていたことではあるけれど、どうもそういったつんく♂のちぐはぐさというのは、後藤真希のプロデュースに対してより顕著である。

後藤真希は、モーニング娘。卒業以降、自分自身どうしたいのか、どうしたらより良くなるのかといったことを、最もよく考え活動し、少しずつでも自主的に進化をしてきた一人なのだと思う。つんく♂の強制力が、この後藤真希の自主性を押さえ込み、自分でも違和感の残るような活動をさせられてしまうのであるならば、後藤自身のためにも、さっさとつんく♂の元は離れるべきだし、手放してあげるべきなのだと思う。

幸いなことに、つんく♂以外の人間が手がけた曲は、つんく♂が手がける楽曲のような製作者側の色が強くは出ない、比較的自分なりのカタチに変化させやすい楽曲であり、後藤自らが考えカタチを変えるにはより適していると言える。個人的には、はたけの作る、メロディアスで聴かせる曲の方が後藤には合っていると思っているし、後藤の自主性や、今後の活動のことを考えるに、これこそがより良い選択肢なのではないか。確かに、「ごっちんキャワ!」の一言で済ませてしまうのであれば、こんなこと考えもしないのだけど。

要は、いつまでもつんく♂が、つんく♂自身のアイデアの下、全てのハローのメンバーを手がけるという状況は、とても得策とは思えないということ。娘。メンバーの入れ替え、新規オーディションの開催など、ハロー!プロジェクトの外的な部分の変化ではなく、そろそろ内的な部分の変化も本格的に乗り出す必要があるのでは?と、この曲を聴いてほんの少しだけ思うようになってしまった。
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小川麻琴と久住小春
娘DOKYU!より教育係の道重さんを差し置いて、小川さんが久住さんにダンスの振り付け指導をするという、どことなくきな臭い様子が先週の娘DOKYU!にて放送されていた。
「小川麻琴と久住小春」と聞いても、どちらもモーニング娘。のメンバーという共通点以外見つからず、これと言って大した繋がりなどは無いと思っていたのだけど、考えてみたらこの二人、どちらも出身地が新潟県と、それなりの共通点を持っていたのだった。それが何ゆえにダンスの指導に繋がったのかは定かではないのだけど、ともかく小川さんが久住さんに浪漫の振り付けを教えてあげているのである。

久住さんの繰り出す浪漫の振り付けは、超がつくほど滑稽なもので、それは、見ていて思わず笑ってしまうのも憚かられるほど。上手になろうと一生懸命になっているのは痛いほど良く分かるのだけど、そんな懸命ぶりが、皮肉なことにことさら滑稽ぶりを際立たせる。こいつはまったくもっていかんともし難い。

娘DOKYU!よりしかし、そんな久住さんの小川さんに対する感謝の気持ちは尋常ではなく、何か質問したことに答えてくれてもらう度に、間髪いれずに毎回「ありがとうございます!」という感謝の言葉。久住「ここってどうなるんですか?」→小川「ここはこうだよ。」→久住「ありがとうございます!」→小川「いえ。」番組中、この流れを繰り返す様子が何度も映されていたのだけど、正直なところ、さすがにこれはウザったい。たとえ感謝の気持ちとは言え、ここまで毎回「ありがとうございます!」と言われてしまうのもどうか。これ、相手が小川さんだったから、毎回会釈をしながら「いえ。」などと反応してくれたものの、仮に藤本美貴ティが相手だったりした場合、すでにこの時点で久住さんの命は無かったのかもしれない。そのように考えると、久住さんは命拾いしたなと思うと同時に、「麻琴すげー良いやつ!!」とも思うわけで、小川さんはこの一件で、うまい具合に自分の好感度を上げたのだと思う。

実際、小川さんのダンスレベルは、久住さんと比較すると雲泥の差で、さすがは加入オーディション当時からキレのあるダンスを武器にしていた小川さんだけはある。久住さんの横に並べば、顔立ちやお顔のサイズ、プロポーションのよさなど、全てにおいて完膚なきまでに負けてはいたけれども、小川麻琴の良い人ぶりと、かっこいいダンサーぶりは良く表れていたのだと思う。考えようによってはこの番組、さりげなく小川さんをフィーチャーしていたのかもしれない。

娘DOKYU!よりただ、稽古中の久住さんは滑稽でぎこちないダンスを披露し、完全なるダサダサ娘なのだけど、ひとたびステージ衣装を身に纏えば、たちまち華やかなオーラを放ってしまうのだから恐れ入る。このステージ栄えする華やかさは先天的な才能であり、生まれながらにして持っている資質である。つんく♂のおっさんが、一次オーディションにて、あのお世辞にもうまいとは言えない歌唱力で、華原朋美の「as A person」を歌う久住さんを一目拝見し、この先天的な華やかさをすぐさま見抜いていたのだとしたら、やっぱりこのおっさんは天才だなって、改めてそう思う。

実に悔しいけれども、またしてもこのおっさんに完敗だ。
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萌えッッッシャーーーーー!!!
本日突如ボクの脳裏をよぎったのが、えりりん扮する中国針の達人ラオチュウのかわいらしさだったので、一年程前になるハロモニをあさり、先ほど当該部分を改めて見てみたのだけど、やはりこのえりりんは、何度見てみても期待を裏切らないかわいらしさをビンビンに発信していて、これはもう、世界で一番かわいい中国針の達人ラオチュウなのだと思う。「中国針の達人ラオチュウです。」をえりりんに言わせたら、右に出るものはいない!って、今頃になって一年前のことを言うのもおかしいのだけど。

ただ、この可愛らしさには「萌え」などと言う言葉では飽き足らず、腹の底から大声で「萌えッッッシャーーーーー!!!」などと叫びたい気持ちになってしまう。「これが真の漢の萌ゑなのか、久しぶりに漢に戻ることが出来たわい。わっはっは!」などと実にご満悦に何度も繰り返して見ていたら、同日の放送にて、お化け屋敷でワーキャーとわめき散らす矢口さんのクソうるささや、クソうざさもぜーんぶ許すことが出来たし、もう、何もかもが良いこと尽くめで、中国針の達人ラオチュウの偉大さには改めて恐れ入った。まあ、今頃になってこんなこと言うのは、とてつもなくおかしなことなのだけど。

何度も何度もこの場面を見て、「萌えッッッシャーーーーー!!!」と漢らしく叫び続ける生活にどっぷりと浸りたいのはやまやまなのだけど、さすがにこの場面だけをずーっと見続けながら生きていくには、萌ゑに対する相当な忍耐力が必要と思われるし、そこまで贅沢極まりない萌ゑ生活は他人にねたまれてしまう恐れもある。ボクはしょうがなくその代替として、自分自身でかわいらし〜く中国針の達人ラオチュウのモノマネをしようと思いたち、ひたすら言い続けてみたのだけど、どんなにかわいらし〜く「中国針の達人ラオチュウです。」を言ってみても、やっぱりえりりんみたいにかわいらしく言うことができない。

「あいた〜!やっぱ、えりりんにはかなわないなッ!(おでこを叩きながら)」などと、おどけて見せたボクは、本日起こったスウィートメモリーなお話を皆さんにおすそ分けする、実に気前のいい漢なのであった。

って、何ですか?この内容は。

【追記】
書き忘れたけど、この「中国針の達人ラオチュウです。」って台詞のすごいところは、そのかわいらしさもさることながら、完璧に自分のイメージの中の中国人に成りきっているえりりんの演技力ね。演技力。念のため。
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