過去ログ#121〜#130


ウィキペディアから見る世界のモーヲタ
インターネット利用者参加型オープンコンテント方式のフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』における記事は、ヲタクが嗜む記事であればあるほどその内容は濃く、実にマニアックな出来になっていて、我らヲタクのアイドルモーニング娘。さんたちの記事も、一般人にはちょいと付いていけないくらい濃い内容の記事が書かれている。これは誰でも自由に編集できるというシステム上の特徴から、ただ一人の視点のみならず、様々なヲタクの視点が加わったため。もちろんその結果、「多分に主観が入っているのでは?」といった疑わしい内容も一部確かに存在し、信憑性自体は個人の判断に依存はするものの、おおむね良く出来た記事であり、モーニング娘。の歴史を簡単に知ろうと思えば、その役を担うには十分過ぎるほどの内容になっていると思う。

とは言え、誰でも参加できるというこのシステムは、利点でもあり欠点でもあり、自分よがりの主観をそのまま記事内容に反映させてしまう例もたびたび見受けられる。田中れいなさんの記事編集にて、『合格時、つんくに「モーニング娘。の理想型に一番近い」美少女と評された。』という、ある編集者の主観の入った記事を、『合格時、つんくに「モーニング娘。の理想型に一番近い」と評された。』と別の人間が「美少女」というキーワードを削除して編集しなおせば、再び「美少女」の言葉が加えられ、さらにその後「美少女」が削除され…と、不毛で無益な編集合戦が繰り広げられているのは、その良い例。まったくもってアホかと思う。

ボク自身これまでは、何かを調べようとググった際、検索上位にウィキペディアが引っかかれば見に行く程度だったのだけど、今回初めてサイトメインページを見てみたら、実は多言語百科事典だったらしく、世界各国の言語によるウィキペディアが存在するらしい。こいつは面白いとばかりに、ためしに英語版ウィキペディアから、モーニング娘。の記事を読んでみたのだけど、さすがに日本語版と比較するとその記事内容は薄く、一般人が見る程度なら十分でも、ボクら生粋のモーヲタが読めばえらく物足りない内容となっている。

ところが、内容の濃さという面ではなく、他国の人の視点から編集されたモーニング娘。という面では実に興味深く、これは海外のモーヲタの方々が一生懸命編集したのだろうか?と想像すれば、なにやら人類みな兄弟という気がしなくも無い。

マニアックな内容は無いとは言え、押さえるところはしっかりと押さえていて、モーニング娘。最大の特徴でもある卒業に関する記事については、福田明日香、石黒彩までの卒業を、「left」といった、グループから「去った」という意味合いの表記を用い、市井紗耶香の卒業から、「graduate」という正規の「卒業」という表記を用いるところなど、実に心憎い気配りを見せている。ちなみに矢口さんに関しては「retire」。完璧です。

この卒業がらみの内容で唯一気になった点といえば、石黒さんの卒業に関して。

「服飾デザイナーとして第2の人生を歩む」と言うのが、石黒さんの正式な卒業理由であるはずで、少なくとも日本人のモーヲタは、誰もがそう信じていることになっているはずなのだけど、外国人モーヲタの方は、この大人の事情と言うものをあまり理解していないようであり、
「In 2000, Aya Ishiguro left the group to marry Shinya, drummer of J-Rock band LUNA SEA.」
などと、あろうことかストライクゾーンど真ん中に、何の躊躇いも無く直球をぶち込んでしまっている。この全くもってオブラートに包もうとしない直球表現は、決して日本語版で編集されることはなく、日本人の奥ゆかしさを垣間見た気がした。

また、市井さんのCUBIC-CROSS結成から結婚までに関する記事で、
「She became vocalist in Japanese group Cubic Cross and later married fellow group member Naoki Yoshizawa, no relation to Hitomi Yoshizawa.」
などと、「吉澤直樹さんと吉澤ひとみさんは無関係です。」という注釈を最後にわざわざ加えているところもまた面白い。日本語版であれば、当たり前すぎて恐らくは書かれることの無い記事であり、むしろ書かれる時は関係がある時だと思うのだけど、注釈無しでは、苗字が一緒なのだから親戚だと思ってしまうのも、文化の違いによるものだろうか。

ところで、この英語版ウィキペディアでは、後半は何故か畳み掛けるように矢口さんに関する記事が羅列されており、それは、「この記事を編集した人はヤグヲタですか?」と思わせるほど。外国人モーヲタの方であることから、これはさしずめYagu Wotaと言ったところだろうか。さらにその上、矢口さんのニックネームに対する記事「Nicknamed Marippe」という部分からも、これはかなり古参のYagu Wotaとボクは推測した。

このYagu Wotaの方は、去年のドリームモーニングの紅白に関して、
「The performance was Yaguchi's first since leaving Morning Musume eight and a half months earlier.」
といった記事を編集し、「モーニング娘。」の項目内容としては明らかに相応しくない表記をしてしまっているのだけど、これは、本人の強い意志が思わず出てしまった結果なのだと思う。「久住さんの最初の紅白だった。」などと言ったくだりは皆無の中、「8.5ヶ月ぶりの矢口真里のステージパフォーマンスだった。」といった表記を最終部に持ってくるって、あんたどれだけYagu Wotaなんだよ!って話。

ただ、こんな記事を見せ付けられると、「やぐたんはグローバルに活躍しているんだなあ。」とも思い、とてもほのぼのとした気持ちになったのだけど、「編集者がペドだったら嫌だなあ。」と、すぐに思い直し、何だかとても暗い気分になった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

グローバルに活躍するモーニング娘。の記事は、英語版のみならず他の言語においても編集されているようで、ボクが発見したのはとりあえずこの5つ。

⇒ [ドイツ語版ウィキペディア]
⇒ [スペイン語版ウィキペディア]
⇒ [オランダ語版ウィキペディア]
⇒ [中国語版ウィキペディア]
⇒ [ルクセンブルグ語版ウィキペディア]

他にもあるとは思うのだけど、途中で探すのがめんどくさくなっちゃいました。
(121)

たった一本のバージニアスリム
まったくもっておかしな話である。

日本国内において、「未成年者の喫煙はいけないこと」と判断されるその拠り所は、「未成年者喫煙禁止法」に他ならないわけで、この法律の罰則対象は、未成年者にたばこを販売した販売業者と、未成年者の喫煙を制止しなかった親または親の代理人となる者である。未成年者の喫煙は禁止されているため、喫煙した未成年者である本人は、たばこと喫煙のための器具類を没収され、強制的に喫煙できない状況にされる。これが法律として規定されている事実である。

未成年でありながら喫煙をしてしまった者に対しては、その後、未成年の喫煙が法律上禁止されていることを教育し、再び同じ過ちを犯さないよう、保護者となるものが指導しなければならない。人間が社会生活をする上でのルールである法律を犯してしまうような不適合が発生すれば、しっかりと法律を理解したうえで、その行為のどこに違法性があったのかを判断し、是正処置をとることが重要であり、今回の場合、その義務を課せられるのは保護者である成人者となる。これは、加護に対して、両親やまわりの大人達が、未成年者の喫煙はいけないことであることを十分に教え込み、加護がそれを理解し、再び同じ過ちを繰り返さなければ、丸く収まる問題である。

モラルとして違法性を謳い、「未成年者の喫煙は違法だ!」と声高らかに発するのであるならば、徹底的に弾圧すべきは、この場に同席していたにもかかわらず、加護の喫煙を制止しなかった”チョイワル系”中年男性であり、それが筋と言うもの。「未成年のくせにたばこなんか吸ってんじゃねー!クソヤロー!」ではなく、「未成年者がたばこを吸っているのに、それを放っておいてんじゃねー!クソヤロー!」と言うのが筋なのだ。法律を盾に取り、違法性を訴えるのであれば尚のこと。「加護は、えらく大変なことをしてくれたものだ!」と、随分と大層な批判を目にするけれども、そもそもこの法律自体、喫煙した未成年者に罰則を与え、罪を償わせることを目的とした法律ではない。どうも違法性の観点を見誤っているような気がしてならない。

そうであれば結局のところ、加護本人に対して批判をする人間の意見は、「18歳の女の子がたばこを吸う」という行為に対する、単なる自身の中の邪悪なイメージがその原因となった感情論に過ぎず、これは、「子供は子供らしくあるべきだ」という、大人の一方的な意見と何ら違いは無い。しかし、その一方的な意見を押し付けるのであるならば、その一方的な意見を正当化出来るだけの行いを常日頃から心がけ、全てにおいて完璧である真人間で無ければならない。そんな人間はいるはずも無く、未成年であり、まだ未熟だからこそ犯してしまう過ちは当然あるのだということを汲み取ることすら出来ずに、18歳の少女に対して、法に関する過ちを批判するその行為は、このゴシップ記事の編集者・その他関係者とまったくもって同等であり、低俗極まりなく恥ずかしい行為であるとすら思う。

自分の中でのイメージで善悪を判断するのは勝手だけど、違法性の観点から加護本人に対して批判することは、筋違いもいいところである。

ところで、勘違いしないで頂きたいのだけど、ボク自身は今回の件に関して、擁護することも無ければ、もちろん正当化するつもりもない。しかし、それと同時に、当然加護本人に対して批判する立場も取らない。多くの人間にとって、たばこを吸うというイメージは決していいものではないのは事実であり、そのような事実の中、自分の立場を考えずに、公共の場で、人目を憚ることも無く喫煙をしたという落ち度に対する多少なりの批判はあれど、これとて十分容認できることだと思っている。

加護本人が批判されるべきは、再び同じ過ちを繰り返してしまったその時だ。仮にそのようなことが起これば、平気で法を犯す人間として批判されようとも、弁明の余地は無いのだと思う。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

てか、今回の記事で最も深刻なのは、「あのね、いまCDが売れないのね。だから、ライブのギャラでなんとかしてるって感じなんだ…」って発言だろ。これ、一本のたばこなんかより、よっぽど注目すべき、加護ちゃんの深刻な心の訴えだよ。
(122)

解決策を見つけ出せ!
今週のハロモニが、マジックレストラン総集編などという、それこそ慌てて編集しただけのクソつまらい内容で放送されていて、「うへー、こいつはつまらなすぎて、逆に笑えるなあー。」とかなんとか無理矢理ポジティブに考えたりもしたのだけど、あまりに酷い内容だったものだからこいつは埒が明かないってわけで、こうなったらえりりんだけをずーっと見ておくことにしようと、そう思い立った。

お目めをつぶって笑いを堪えるえりりん

モノマネ芸人ホリさんの、これまでに多くの人間が幾度となく目にしてきた、何ら変わり映えのないモノマネ芸を前に、何故かえりりんはネタが始まる前から必死に笑いをこらえていて、これは最早、芸が面白いがために笑いをこらえているわけではなく、笑ってはいけませんというシチュエーションにより、「笑ってはいけない。笑ってはいけない。」といった自身に対する暗示が、逆に笑いを誘うという、葬式などで何故か意味もなく無性に笑いがこみ上げてくるというのと、ちょっと近い状況にいるのだろうなあ なんて思いながら見ていたのだけど、やっぱり笑いをこらえている表情のえりりんも飛びっきりかわいくって、上のキャプ画のお目めをつぶって笑いを堪える姿とか、マジで半端ない萌えパワー。

お目めをつぶっているだけで、ここまでものごっつい萌えパワーを出力するだなんて、その気になったらこのパワーで地球をぶっ壊す事だって出来ちゃうんじゃないかしら?なんてことを思いながら、ずーっとえりりんロックオン状態でハロモニを鑑賞し、先週末からのちょいと感傷的な現実をさりげなく逃避気味に、実にハイテクな一人遊びに興じていた。

しかし、そんな感じで一人遊びに興じていたところ、しばらくして、先週末のこの出来事の当事者が、仮にえりりんだった場合は、自分は一体どうなるのだろう?といった、実に恐ろしい仮想が、ふと頭に浮かんでしまった。今回の場合、かかる当事者が、いわゆる自分にとっての推しという存在ではなかった加護ちゃんだったが故に、前回のような内容に至ったのだけど、これがえりりんだったなんてことになれば、随分と話は変わってくる。もちろん完全擁護という立場を取るのは言うまでもないのだけど、どのような結論に持っていくのか、それが一番の問題だ。

論述としては前回の内容と同じとしても、結論部分で「だからえりりんは、何も悪くないんだ!」とすることは、すなわち、「法律なんて守る必要はないのだ!」というのと同義なわけで、もちろんそんなことは微塵も思っていないわけだし、こいつはかなり分が悪い。結局のところ、「黙りやがれ!お前らパンピーのクソどもが、崇高なるえりりんの言動・行動に対して口出しなんて出来ねーんだよ!わかったか!チンカス野郎ども!」って具合の、子供の駄々とさして違いのない結論にしか持っていくことは出来ないのだろうかと思うと、一人の女の子を助けることも出来ない自分自身の不甲斐なさに情けなくなると同時に、所詮は一般人とタレントという超えられるはずもない壁の存在を改めて見せ付けられ、実にセンチメンタルにもなってしまう。

しかし、何とかせねばならない。微力ながら何とかせねばならない。襲い来るゴシップと言う魔の手から、えりりんを守らなければならない。それがヲタというものだ。

要は、今回の件は、成年、未成年といった範疇を超えた、喫煙に対するそもそもの世間が抱くイメージの問題であって、そういった悪いイメージの存在が、破廉恥極まりない行為をやってしまったのだという世間の認識を生み出しているのだと思う。これは何も喫煙だけに対して当てはまることではなく、こういった悪いイメージは、かかる当事者が誰であるのか?という事に強く依存し、その者に純真無垢なイメージがあればあるほど、そのギャップから、こと更イメージも悪くなってしまう。それゆえ、仮にえりりんが当事者であった場合、ボクは、そのギャップに打ちひしがれ、想像を絶するショックに、恐らくは寝込むのである。きっと冬篭りをするのである。

ただ、こういったギャップの存在というものを考えると、要はそのギャップが存在しなければいいという結論に至ることにもなる。

ここで、美貴ティが喫煙をしている様子を想像してみたところ、そのギャップは全く存在しないような気もするし、あの、時折ドキっとさせるような目線で、セッターメンソールあたりをふかしている光景は、むしろ想像すればするほどどんどんはまっていく。こういった、世間が破廉恥と認識するはずの行為を、まったくもって破廉恥とさせないってのは、ひとえに美貴ティのキャラクターによる効果であり、その結果、「やっぱり、何だかんだ言って、みきたんは最強のアイドルなんだよな。」といった結論に帰着すると同時に、みんな美貴ティを見習って、美貴ティのようなキャラクターになってしまえばいいんだー!解決策が見つかったー!といった、ありえない答えが見事に算出されてしまったので、ボクの脳みそはぶっ飛んでしまえばいいと思う。
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ボクほどベテランのモーヲタになると
まあ、ボクほどベテランのモーヲタになると、モーニング娘。7thアルバム「レインボー7」は、発売された2日後くらいには購入に至っているわけであって、ボクほどベテランのモーヲタになると、恥ずかしくがっつくなんてこともないから、購入してからこのアルバムは、まだまだ10回程度しか聴いていないのである。つまり、ボクほどベテランのモーヲタになると、割かし心にゆとりもあるというわけだ。

さらにその上、ボクほどベテランのモーヲタになると、これまでに多種多様なハロプロ楽曲を耳にし、最早ハロプロ楽曲には精通しているわけで、少しばかり楽曲として面白いものがあったとしても、簡単に諸手を挙げて喜ぶなんて事はしない。つまり、ボクほどベテランのモーヲタになると、割かしハロプロの楽曲に対して、耳も慣れてきてしまっているというわけだ。

そんなベテランのモーヲタのボクからみた今回のアルバム。はっきり言って、「レインボーピンク」のようなわっかりやすいベッタベタ路線の楽曲などには、これと言って特に心躍るなんてことはない。むしろ、こはっピンクの最後のセリフ、「きゃっきゃっきゃっきゃってなっちゃうから」って部分に対し、「「きゃんきゃんきゃんってなっちゃうから」といった、か弱い子犬の鳴き声を想起させるようなセリフにすれば、こはっピンクへの萌え度は百万倍だったのにさー。愚か者ですよねー。」てな具合に、軽い毒舌を吐いてしまうほど。ボクほどベテランのモーヲタになると、それぐらい萌えに対してもベテランなのである。

そうであればやっぱり、「HOW DO YOU LIKE JAPAN?〜日本はどんな感じでっか?〜」のような本格ロックに心躍るのかといえば、実はそうではない。こういった曲調に対してもすでに十分免疫は付いている。ボクほどベテランのモーヲタになると、「BABY CRY」を初めて聴いたときの方がよっぽど衝撃は強かったわけであり、これと比較をすれば、「HOW DO YOU LIKE JAPAN?〜日本はどんな感じでっか?〜」から受けた衝撃ってのは高が知れている。

そんな辛口である、ボクほどベテランのモーヲタになると、今回のアルバム収録曲で最も衝撃を受けたのは、実は、何を隠そう、「青空がいつまでも続くような未来であれ!」であったわけで、実にベテランらしからぬ感想を抱いたものだと、自分でもそう思う。

曲そのものはものすっごく単調で、オールユニゾンのパート割からは、かなりいい感じに安っぽさを感じる。ただ、つんく♂氏の作り上げたメロディーが、ボクほどベテランのモーヲタになるとガチコーン!来てしまったわけで、Bメロのつなぎ部の多少の違和感はあれど、「やっべ!やっべ!やっべ!」と、一人ベテランらしからぬ狼狽ぶりを露呈し、「久しぶりにつんく♂ちゃん、いい曲作ったんじゃないの!」と、つんく♂氏の仕事っぷりに大喜びし、しまいにゃ、「青空がいつまでも続くような未来だったらいいですよね!ボクもそう思ってました!」などと、完全にタイトルに同調してしまっていた。

まあ、要は、この曲の持つ爽やかさが、ボクのキャラとモロかぶりだったってのが全ての原因。ボクほどベテランな爽やかモーヲタボーイになると、ベテランゆえにぐるーっと一回りして来て、こういった単純な爽やか娘。ソングには、めっぽう弱くなっているみたい。
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ブリブリ レインボーピンク
「レインボーピンク」という楽曲の面白さは、一見するとブリブリの台詞とブリブリの歌詞で構成されながらも、実は極々細かなところで、それとは対照的な演出が施されており、何かそういったギミックが潜んでいるところにあるのだ とは、ボクがアルバム「レインボー7」の収録曲に、重ピンク・こはっピンクによるこの「レインボーピンク」という曲がラインナップされているのを知ったときから、勝手に思い込んでいたこと。ところが、アルバムを購入し、いざこの曲を聴いてみても、そこには驚くほどに素直なピンクワールドが構築されているのみで、音源から期待をしていたギミックを感じ取ることは、残念ながら出来なかった。

しかし、まさかあのつんく♂氏が、何のひねりもなくこんなに単純かつ素直なヘッポコストレートを投げては来るまい。恐らくは、音源だけでは決して汲み取ることの出来ないカラクリが、ダンスの振り付けや衣装など、ライブでの演出の方に潜んでいるに違いないのだ。

ボクはそう思い直すと、意気揚々とツアー初日の座間に乗り込み、重ピンク・こはっピンクの出番を今や遅しと待ちかねていたのだけど、いざ出てきた重ピンクとこはっピンクの衣装は、ブリブリかつピンクワールドそのもの。その上おまけに、ダンスの振り付けに関しても、そのまま何の捻りもないオールブリブリピンクワールドの一部を担うだけであり、どんなに目をこしらえ細部まで注視しようとも、まったくもって最後までギミックを見抜くことはかなわなかったのである。と同時に、ボクの中でこの「レインボーピンク」という曲は、何の捻りもない、何の面白みもない、正真正銘単なるロリ萌え楽曲であるということになってしまったのだった。

この何一つ仕掛けのないブリブリな演出と、それに狂喜する会場という構図は、何やら地下アイドルと、それを追っているアイドルオタクという構図そのものであり、現在のモーニング娘。を、単なるアイドルとしては捉えていないボクとしては、実に違和感のある空間がそこには出来上がってしまっていた。

確かに、至福の笑顔でブリブリに踊る重ピンクと、何となくぎこちない動きながら、一生懸命ブリブリっぷりを出そうとしているこはっピンクは、どちらも思ったとおりの重ピンクぶりとこはっピンクぶりを演じており、とても微笑ましいものではあったのだけど、この楽曲の中に、ここまで100%ブリブリピンクの世界しか存在しないというのは、何だか製作サイドの人間にバカにされているような気がしてしまい、とかく捻くれ者のボクとしては、これはあまり喜ばしい光景ではなかったというのが正直なところ。

どんな些細なことでもいいから、何か一つ驚くようなギミックが潜んでさえいれば。見事に期待を裏切られ、実に口惜しい思いをした「レインボーピンク」初視聴であった。
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認知的不協和
モーニング娘。コンサートツアー2006春『レインボーセブン』は、もしかしたらこの後モーヲタを二分し、結果的にファンを減らしてしまうような、そんなコンサートなのかもしれないとは、今日までに同コンサートを3公演見てきたボクの感想なのだけど、それは当然このコンサートに対する評価そのものが、ファンの中で二分するであろうことが原因。「つまらない」と思った人間と、「面白い!」と思った人間と。

今回のツアーは、恐らくこの温度差が今までにないくらい大きいものなのではないだろうかとボク個人としては勝手に感じているのだけど、それは前ツアーである『バリバリ教室〜小春ちゃんいらっしゃい〜』が、誰にとっても等しく面白いものだったと認知されていたからに他ならない。その直後である今回のツアーには、当然多くの人間が、前ツアーを超えるようなものをと過剰に期待していたに違いないのだ。そしてこの過剰な期待の下に起こる相対的評価において、結論は二分することになる。

過剰な期待をしていたにも拘らず、今回はそれに見合わなかったと残念がる人間にとって、今回のツアーを「最高だ!」と評価するものの気持ちは理解できない。なぜこのツアーが面白いと言えるのか。そういった強い違和感は、次第にツアーそのものに対する評価自体を著しく低下させ、ますます不愉快な気持ち、つまり、認知的不協和は増大することになる。

結果的に期待を裏切られた形になった人間の、この認知的不協和を解決する上でとる行動は二つ。一つには、違和感のある空間からは距離を置く、つまり「こんなにつまらないコンサートを最高だ!とのたまう空間は気に食わない」と、その後ツアーに極力足を運ばないようにすることで、この違和感とのバランスを保つこと。この距離を置くという行動は、温度差の度合いが強ければ強いほどより顕著に現れることになり、そしてこれは、言わずもがな冒頭でボクが「もしかしたらファンが減ってしまうのでは」と懸念した元凶そのものでもある。

そしてもう一つの行動が、自身の中のハードル、つまりツアーに対する期待感を大幅に下げることで、今回のツアーに対し「面白い」と再評価をすること。「前回のツアーがあまりにも面白かっただけで、今回もそこまで期待してしまうのは虫が良すぎるよね。」という考えを持つことで、結果的に面白いという評価側と見かけ上同じ位置に立ち、バランスを保とうとする。

しかし、やっかいなのは、どちらの行動を取るにせよ、あくまでもこれは、前ツアーと比較した場合の相対的評価により生じた不協和であるということ。「面白かった」のか「面白くなかった」のかを、絶対的な評価の下判断すれば、同じものを好んで嗜好する人間同士で、そうそう大きく評価の食い違いはないはずなのだけど、前ツアーとの比較となれば、少々話は違ってくる。強い期待をすればするほど、期待はずれ感は当然強くなるし、端から大きな期待をしていなければ、それなりに面白いと思えるのも当然のこと。過剰な期待と、相対的評価が、結果的にこの認知的不協和を生み出す。

これが、前ツアーの出来の良さが引き起こした不協和なのであれば、正直、これほど皮肉なことはないと思う。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

ところで、ボク個人がどうなのかと言えば、前回ツアーと比較すれば「面白くない」という評価になるのだけど、3ツアー前の『The BEST of JAPAN』と比較すれば「面白い」という評価になり、限りなく絶対的評価に近い評価を下すことで、何とかバランスを保っているというのが正直なところ。つまり、上述の二つ目の行動をモロにとっているのがボクということにもなってしまう。

とは言っても、ちょっと近くの席で観戦してしまえば、たちまち「最高!」の評価を下してしまうような、とても素直な素敵モーヲタであるボクちゃんなので、当選が決まっている神奈川県民は、とりあえず最前引き当てちゃおっかな〜なんて、本気で思っている。張り切って思っている。今から真剣に念じている。そして間違いなく、えりりんはいつでもかわいい。
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すんごくおんっもしろ〜い
うぇうぇすんごくおんもしろ〜い モームスの新曲すんごくおんもしろいなあ〜 うぇうぇって言ってるのすんごくおんもしろ〜い ちまたでうわさのセクシすんごくおんもしろ〜い おんっもしろいなあ〜 ず〜っと一定のリズムなのもおんっもしろいなあ〜 せくしーうぇうぇって適当に言っててもばっちり合っちゃうのとかもおんっもしろいな〜 ちまたでうわさのセクシすんごくおんっもしろいなあ〜 おんっもしろいな〜 すんごくおんっもしろいなあ〜 あ〜おんっもしろいなあ〜

って、とりあえずアホっぽくおんもしろ〜いおんもしろ〜いって言ってたら、この曲が本当におもしろく感じられるかなあと思ったのだけど、やっぱり無理みたい。シングルV購入までは映像を見るつもりはないから、実際には分からないのだけど、PVはすんげ〜娘。達がかわいいらしいし、確かにかわいけりゃ〜もう他はどうでもいいよね。なんてったってアイドルである以上、かわいいのが一番だし、最近は秋葉原で萌え〜萌え〜って言っているのが、真のかわいらしさなんだって風潮らしいし、どっちかっつーとそっち系に近いこの曲を歌ってうぇうぇ言っている娘。達は、時代を先取るアイドルなのかもしれないものね。

すんごくおんっもしろいなあ〜

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

ここ最近、随分と自分好みではないシングルばかり娘。はリリースしているなあ などと嘆きながら、一体これっていつ以来なのだろうかと、リリースされたシングルをさかのぼっていったところ、なんと浪漫までさかのぼってしまった。わお!ここ最近どころか、これってもう2年も昔から既に起こっていた事象だったとは!わお!てことは、娘。のシングルに自分好みのものを期待していることが、そもそも間違ってるって事なんだ。今気が付いたよわお!完全に間違っているような気もするけど、こうやって考えたらすこぶる気持ちが楽になった。

そんな中、ここ数日「恋はひっぱりだこ」ばっかり聴いている。こんなにいい曲を歌っているってのに、娘。と違って、歌っているグループの方には全くもって興味が持てないってところが、すんごくすんごくすんごくおんっもしろ〜いなあ〜って感じ。
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メトロ・ラビッツに宿るエンターテイメント性
メトロ・ラビッツ「キックベースが面白い!キックベースが面白い!」という文字列は以前からよく目にしてはいたのだけど、キックベースをやるにせよフットサルをやるにせよ、そこには大きな違いなどあるはずはなく、要は本来あるべき活動とはかけ離れた活動に勤しむ彼女達の姿を見る事自体に大きな違和感を抱いていたボクとしては、キックベースなんざ、それこそハナクソ級に興味が湧かないことだったわけで。そんな漢らしい理由から、これまで娘DOKYU!は見事にスルー。決して、ただ単に眠くて起きていられないからという理由なのではなく、この様な実に漢らしい理由から見事にスルー。ボクは、娘。が出演する番組はとりあえず全て目を通さないと!などといった、気持ちの悪い思考などは一切持たない、自由気ままな漢なのだ。

などと言いつつもだ。そんな雲のジュウザを髣髴とさせる程に気ままな漢らしいボクであってもだ。キャラクターなら、どちらかと言うとトキにモロかぶりなボクであってもだ。そりゃあ、どんなもんなのか、ほんのちょびっとだけ、ほんのちょびっとだけ気になってしまうってのが本音なわけ。んで、さっきとりあえずチラッと覗く程度に、娘DOKYU!を見てみたのだけど、すんげー楽しいの!キックベース、すんげー楽しいの!いや、キックベースが楽しいのではなくって、キックベースをやりながら戯れている娘。さんたちを見るのが、すんげー楽しいの!それこそ美女が入浴する場に、ザッバーンと乱入した時の、あのジュウザと同じくらい胸が高まるの!

いや、しかしおかしい。それはおかしい。冷静に考えると、そんなはずはないわけであって、彼女達の本来業務と受け取ることの出来ない活動に対して、ボクは今まで興味を持てなかったわけであり、だからこそフットサルをやっている彼女たちには全く興味が持てなかったのだ。なにもフットサルが嫌いで、キックベースなら好き等といった、変なこだわりをボク自身が持っているというわけではない。にも拘らずだ。そうやって考え直してもだ。すんげー楽しい!キックベースをやっている姿を見るのはすんげー楽しい!思わず顔が綻んでしまう!

得点シーンで大はしゃぎんで、どうしてかなあーって色々考えてみたのだけど、一つはメンツ。フットサルにはえりりんがいない、さゆみんもいない、久住さんもいない。そしてなんてったって、マコがいない。だけどキックベースにはいるのだ。これ。間違いなく面白い要素の一つはこれ。で、実はそれ以上に、ボク自身見ていて面白いと思える要素として重要なのは、キックベースのメンバーは、ヘタッピなのに楽しんでやっているってこと。ここすごく重要。「楽しんでやっている」ってキーワードとそれがよく伝わってくるということ。これが殊更重要。

フットサルは、スポーツ振興という垣根を越えて、あまりにもガチで真剣になっているものだから、エンターテイメント性に欠けてしまっていて、かわいくないと思ってしまうどころか、正直、見ていてかなり引いてしまう。仮にえりりんがフットサルメンバーに選ばれていたとして、「うぉぉぉぉーー!唸れタイガーショットォォーーー!!」なんつって、獲物を喰らうトラの絵を背景に、荒れ狂う海に向かって日夜必殺シュートを開発していたりしたものなら、今頃ボクは、そんな光景を忘却するために岩石に脳天を打ちつけて、事と場合によっては最早この世にはいなかったのかもしれない。そうやって考えると、ホッと胸をなでおろすわけだけど、要はフットサルは限度を超えて真剣にやり過ぎなのだ。だからかわいくないのだ。

アウトひとつで大興奮それに比べて、キックベースの方にはそんなガチンコっぷりはなく、その光景は、あたかも仲良しな女の子達が昼休みに校庭で、キャッキャ言いながら球遊びをしているかのよう。そんな光景であれば、かわいいに決まっているし、じーっと見ていれば、それだけで自然に心が踊るに決まっている。決して大したプレーではなくっても、ちょっと成功すれば、みんなで輪になってキャッキャと飛び跳ねながら喜ぶその姿。これこそが、アイドルが行うスポーツとしての正しい姿であるわけで、実は今回面白いと思ったのは、そんな姿を見るのが大好物という人間としては、いたって自然な感情なのだ。

今週末19日のスポフェスでは、キックベースチーム「メトロ・ラビッツ」初お披露目らしく、こいつはちょいと楽しみだなあとは思う。真剣にやらないというわけではなく、真剣にやっているのだけど、そんな中にも、とてもほのぼのしてしまうような光景。ボクはそんな光景を楽しみに、19日のスポフェス観戦に臨みたい。

ただ、これまでの練習風景を見るに、ここに来て突然スポフェス当日、予期せぬほど真剣な面持ちで、まったくもってほのぼのすることもなく、思いっきりドン引きしてしまうような唸りを上げるタイガーショットを、ビシビシと炸裂させていようものならば、ほのぼのとした光景を待ち望んでいたはずのこのボクは、儚い希望が見事に打ち砕かれたことに一人落胆し、「そいつはないぜぇぇぇーーい!!!小春ちゃんそいつはないぜぇぇぇーーい!!!」と大声で叫びながら、SSAの400レベルから飛び降りようと思います。さようなら。
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取りとめのない話
モームスの新曲を買ってきた!モームスの新曲を買ってきたっは―――っしゃ――――!!

だなんて大げさに喜んで見せたのだけど、実に気に入らないことに、昨日発売されたシングルを今日買いに行って、何故かもう初回版が売り切れていたのだ。どうなっているのだ。なんで昨日発売で、初回版が一日足らずで売り切れているのだ。モームスだぞ?これモームスのシングルだぞ?そんなもの、冷静に考えて売り切れるわけがない。何が起こっているというのだ。最近世の中では何が起こっているというのだ。

そういえば今思い出したのだけど、バリバリ教室のDVDが発売された時も、発売日3日後に意気揚々と買いに行ったら、なぜか棚には鎮座しておらず、訝しく思いながら店員に確認したところ、「すいません。売り切れです。」などといったありえないコメントをもらったため、あまりのショックにその場で膝から崩れ落ちるという苦い経験をしたのであった。あの時といい、今回といい、一体世の中では何がどうしたというのか。超常現象なのか、ポルターガイストの仕業なのか。いずれにせよあまりの恐ろしさに、ボクは思わず、せくしーうぇうぇの振りを3回も練習してしまった。

まあ、売り切れているものはしょうがない。ボクは通常版を一枚購入して帰宅。とりあえず先ほど一通り聴いてみたのだけど、どうもそれ以降2回目を聴く気が起きないのだから不思議だ。まあ、そのうち突然聴きたくなるかもしれないし、今はそっとそのまま置いておくことにしようと思う。そのままそっと…。そのままそっと…。

しかしこの曲、モーニング娘。が歌っていなかったら絶対買ってないんだろうな、なんて事を思ったら、改めて「すっげ!モームスってすっげ!」なんて思っちゃったりもして、一瞬ウキウキ気分になったのだけど、やっぱりそれはモームスがすごいんじゃなくて、モームスのシングルだからって理由で買っちゃうボクがすごいんだな って思い直した。

そんなことより、この「SEXY BOY〜そよ風に寄り添って〜」のオフィシャルアンケートの4番目の質問に対する娘。達の回答。何故か最後のコメントが誰のコメントなのか記載されていないのだけど、これは当然久住さんのコメントであるわけで、オフィシャルのくせに名前を記載しないだなんて実に腹立たしい。こいつはまったくもって実に腹立たしい。

これに気が付いてしまったボクは、「久住さんのせっかくの回答だってのに、なんで名前を書かねーんだよ!お前ら、なんで名前を書き忘れるんだよ!」などと、どうもイライラしてしまったので、こうイライラしているとお肌にもきっと悪いのだろうなあと思った。お肌のイライラはとても重要問題なので、とりあえずせくしーうぇうぇの振りを3回程練習してみたのだけど、これじゃあますますイライラしてしまうなあ とすぐに思った。
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アイドルが行う運動会
毎年の事ながら、スポフェスって覚えてない。変に細かいところは覚えているのだけど、全体的にあんまり覚えてない。多分イベント時間が長すぎるから、全体的にボヤーっと見ていたりだとか、トイレがやたら遠くにあるもんだから、トイレに行ってそのついでに喫煙コーナーでタバコを吸って、戻ってきたら競技が一つ終わっていたりだとか、そういったことが原因なのだろうけど、とりあえずあんまり覚えていない。普段のライブでも、終わった瞬間にセットリストを忘れているような人間なので、尚更なのかもしれない。

まあ、内容を覚えていない分には、後でDVDを購入して確認すればいいだけなのだけど、キックベースとかフットサルとか、「アイドルが行う運動会」という枠を超えて行っている競技に関しては、見ていて退屈だったってことだけは、妙に覚えている。とは言っても、キックベースの方は、どのメンバーもまだルールを理解していないというレベルで、とにかくアウト一つ取ること、ヒット一本を打つことに全力を尽くしている感じが伝わってきて、見方によっては「アイドルが行う運動会」そのものであり、それなりに面白おかしかったりもしたのだけど、以前にも言ったとおり、フットサルにはそういった面白おかしさってのは皆無で、アイドルがガチでスポーツを行っている事自体に全く興味が湧かないボクとしては、思ったとおり退屈でつまらない時間だった。

北澤さんは、試合終了後「お前ら声援が足りねーじゃねーかよー!」みたいなことを言っていたのだけど、まあ確かに、フットサル活動に興味が無いボクですらも、「何だか皆さん静かですね。」なんて思ってしまうほど周りからは大した声援もなく、キッズの子達が対戦していた時なんか、相手チームのほんの数十名のファンの声援がSSA中に響き渡ってるなんて始末。そんな様子にボクは、「すげーなー。あそこにいる人達はすげーなー。」だなんて、その数十名のファンの人達を4階から見下ろしながら思っていたのだけど、何がすごいって、6時間以上もイベントがあるのに、あの人達はこのフットサルの時以外はどうしてるんだろう?って、そこがすごい。退屈じゃねーのかなー?って。そこがすごい。

その後試合を行った、本家本元のフットサルお姉さんチームには、さすがにそれなりに声援はあったのだけど、アイドル性を一切合財切り捨てて、純スポーツでもって会場中を沸かせるためには、やっぱりそれ相応の技術が必要となってくるわけで。当然今の彼女たちにそんな技術があるはずもなく、それでいてアイドルっぽさまで無くしてしまっているならば、酷な言い方をすればどれもこれも中途半端。 ボクのような人間が「面白いなあー!」なんて思える要素など、これっぽちも無かったってのが正直なところ。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

WBCに出場した日本代表が、それこそ普段は野球になんか見向きもしない人間まで、バカみたいに熱狂させてしまうのは、やっぱり彼らが卓越した技術を持った一流の選手であり、その技術で多くの人間を魅了してしまうからなのだと思う。もちろん、彼ら世界のトップに立ったアスリートと比較すること自体がナンセンスなのはよく分かっているけれど、絶対的な技術レベルの差はあるにせよ、結局のところ純スポーツで会場全体を沸かせるなんてことは、アイドル業の片手間仕事として行っているスポーツなどでは一生かなわないって事。

ハローのライブが面白いのは、彼女たちが毎回一流のステージパフォーマンスを見せてくれるからこそ。そんな一流のパフォーマンスが無いならば、その代替として、一流のアイドルっぷりを前面に押し出さなければ、結局会場全体が沸くはずも無く、そんな中でも支持する人間ってのは、いわゆる「推し」といった、各メンバーのファンが主体となる狭い範囲に限られてしまうわけで。ボクが実際にフットサルの試合を目にしても、それに何ら心惹かれることは無かったってことと、北澤さんが「声援が足りない!」と憤慨していたことと、こうやって考えてみたら、何も不思議なことなどは無い、いたって自然の結果だった気もする。

とまあ、実に冷めた見方の数々だけど、元々ボクは、アイドルヲタク気質を持っていない人間なもんでね。スミマセンでした。
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