▲ [column] 後藤真希紅白出場に思うこと / 2003.11.27
後藤真希が紅白出場を決めた。

昨今の後藤に対する評価は、確かに急上昇中だ。
コンサに参戦した人間は誰もが絶賛をしているということからも、後藤は娘。卒業後着実に成長をしているようであり、これはとても喜ばしいことではないだろうか。娘。時代は学芸会のようなものだったと語っている通り、後藤本人も自身の成長をしっかりと感じているようでもあり、それがより一層の自信へと繋がっているのだろう。

しかし、ちょっと待って欲しい。
この評価はあくまでもヲタの中だけの評価のはずだ。果たして一般層も後藤に対しこれらと同様な評価を下しているのだろうか。いや、それは到底考えられない。
こういった評価が、そのまま今回の紅白出場に結び付いたというのであるならば、なんとも解せない気分でいっぱいだ。

確かに現在の紅白に対する世間の位置付けなどは高が知れている。
一昔前のように紅白出場が夢だったと語る人間も減ったものだ。事実、知名度の低い人間も多数出場するし、過去の栄光のみで出場を続けている大御所もいる。紅白出場の条件が、CDの売上には全く依存していないことは最早明白である。

しかし、そうは言っても、腐っても紅白。一年に一度の歌の祭典であり、出場しようと思って誰もが出場できる場ではないのは事実だ。無論ヲタを楽しませることを目的としたものでもない。
そこに実際出場を果たすのであるならば、何よりもヲタ以外の一般層が納得出来るだけの明確なる理由が存在せねばならないというのが、偽らざる私の本心だ。

果たして今年の後藤の出場は、誰もが納得出来るような出場だと言えるのだろうか。
一般層に全くと言っていいほどその歌が届いていない時点で、出場するにふさわしいなどとは言えるはずも無いだろう。

知名度としては申し分ない。出場歌手一覧を見てみても、後藤があのメンツの中に加わっていることに全く違和感はなく、知名度的には若手の中でも頭一つ飛び抜けていると言ってもいい。しかし、だからこそ逆に、後藤にはその知名度にふさわしい明確なる出場理由が必要なのだと私は思う。

事務所のNHKとの繋がり、去年出場した藤本の枠が空いたという事実。
邪推をすればいくらでも出場に至った理由を探すことは出来るが、それらは全て外的な力によるものであり、後藤本人によるものではないのだ。

所詮後藤真希とは、こんなものに甘んじる存在だったのか。

もしハロプロ出場枠なるものが本当に存在するのだとしたら、その枠を自分用にもう一枠増やすぐらいの事が出来なければ、真の意味で娘。卒業からソロで成功したとは言えないのではないだろうか。くだらない邪推をされてしまう時点で、真の意味でのソロ成功とは到底言い難い。

ただ、勘違いをしないで欲しい。
私は後藤の紅白出場は素直に嬉しいのだ。全く興味の湧かない人間に出場されることよりも、ソロで初の紅白出場を飾るその後藤のステージを目にすることが出来るというだけで、私としても紅白を見る楽しみが単純に増えるのだから。

しかし、そういった気持ちがあるのは確かだが、それ以上にやはり私としては、後藤には、ヲタだけではなく視聴者の誰もが納得いくだけの結果を残したうえで、改めて紅白出場を果たしてもらいたいと思う。
何ら邪推をする余地もない、完膚なきまでに明確なる出場理由をひっさげて。

ただ、こう言ってしまっては何だが、すでに得てしまっている現在の知名度からも、これから再び世間の目を引くというのは並大抵の事ではないのだろう。
ヲタによるコンサの出来でしか評価がされない現在の後藤のままでは、再び一花咲かせるというのは、正直言って難しいことなのかもしれない。

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