過去ログ 2004年2月前半


2004.2.1(Sun) / 究極の選択
後藤のCMは昨年からの続投が決定したらしい。
このサンスポの記事には、「今回なんと身長55メートルの巨大ゴマキが東京・渋谷に出現するという設定。」などと何とも大げさに書かれてはいるが、取り立てて驚くような設定でもない。意外とよく見る設定なのではなかろうか。

さて、ここにおいて一番の問題は、やはり最後の2文に集約されているのだろう。「たいせーが作詞・作曲したCMソングを後藤が歌う」というのだ。

曲の使われ方自体は現時点では不明であるが、恐らくその巨大化した後藤がCM中に口ずさむといった程度なのだと思う。しかしこの事は、今回はCMタイアップ曲が存在しないことを明示したものでもあり、事実、現状においては後藤がそのような曲をリリースするような予定はない。もし例えリリースがあったとしても、それは当然、このCMで使われる、たいせーが手掛けたものになるのだろう。これは笑い話では済まないのではないだろうか。

それにしても、何故この様なことが起こるのか。
CM契約などそう簡単に出来るものではないはずだ。CM等のタイアップが、必ずしもその曲の売上増加に結びつくわけではないのだろうが、少なくともCMに使われるだけで自然と耳に入ってくるという状況が、売上にマイナスに働くとは到底思えない。こういった状況を大いに利用することが重要であるという中、タイアップ曲を作らないなどと言う行為は正に愚の骨頂である。

今回のCMにおいて、タイアップ曲を作らない、もしくは作れない事情とは一体何なのだろうか。何とも解せない話ではある。その上おまけに、「タイアップ曲を作らないのか、それともたいせーの曲をリリースしてしまうのか。」などと言った、究極の選択を迫られているのだ。選べるはずがない。答えは間違いなく「どちらもノー!!!!」なのだから。

キッズに夢中のつんく♂がタイアップ曲を作ることをボイコット、結果的にたいせーに白羽の矢が立った。といった考え方が最も妥当なところか。
しかし、その矢を立てた先が、よりにもよってたいせーであったということは、およそ妥当と言えたものではない。

▲ [TEXT] 2004.2.2(Mon) / 娘。にとって本当に必要な人
もちろん分かっていたことではあるが、今までのモーニング娘。の歴史を改めて映像で振り返ってみると、とても感慨深いものがある。今回のハロモニにおける「安倍なつみ卒業スペシャル」は、短いながらも安倍なつみの6年間と、そしてそれに伴うモーニング娘。の移り変わりがよく分かる内容であった。
安倍なつみの6年間。痩せたり太ったりと、えらく忙しない6年間だったと言う事も出来るかもしれない。

ソロ歌手志望のオーディション落選から、まさかの逆転デビュー。一度は落選した5人が、歌手になるための強い意志と希望を持ち、最後まで諦めなかったからこその今のモーニング娘。。これを経験した安倍の娘。に対する思い入れが、これを経験していない追加メンバーと比較してより強くなるのは当然なのだろうが、やはり安倍の根底にあるのはソロ歌手としてのこだわりであり、娘。として活動している際も常にソロデビューという願望は持っていたに違いない。その気持ちの表れこそが、実際にソロデビューが決まった際のあの嬉しそうな笑顔であり、娘。卒業が決定した際の決意表明ともいえるあの強い眼差しなのだと思う。そしてこれは、もちろん飯田にも言えることなのだ。

もし仮につんく♂が言うように、ソロでやっていくだけの力が身に付いたという認定の結果が娘。からの卒業であるならば、飯田にとっての卒業とは、待ちに待ったあまりにも嬉しすぎる決定なのではなかろうか。安倍までもが巣立っていってしまった今の娘。であるならば尚更だ。しかしそんな飯田の卒業は、安倍の卒業・辻加護の卒業以上に、つんく♂らにとっては難しい決断なのだと思う。

安倍の卒業には、娘。の顔・娘。の象徴の喪失が伴うが、言ってみればそれはむしろ都合のいいことなのかもしれない。娘。がこれから違う色を出そうとしているのであれば、既存の色からの脱却としては至極当然の行いであり、全ては「狙った」上での措置だと言えよう。失った娘。の象徴は、新たに創りだせばいいだけの話だ。

酷な話であるが、娘。メンバー単体における存在意義などは、今となってはそれを推しにしているヲタ以外には皆無に等しく、結果的にこれからの娘。にも、娘。の象徴であった安倍なつみの「代わり」などは必要ないことになる。それは、安倍なつみが娘。で担っていた「役の代わり=新たなる象徴」を作為的に創ってしまえば自ずと済んでしまうことであるし、裏方の人間の構想では、これはすでに創られていることなのだろう。
しかし、グループ全体の精神的支柱となる人間を、外的な力によって都合よく創りだすことは出来ない。娘。内において飯田圭織が担う役は、今現在では飯田以外には出来ないのだ。

結局のところ、今のモーニング娘。に本当の意味で必要なのは、安倍なつみでもなく、辻加護でもなく、まして残りのメンバーの誰でもなく、唯一飯田圭織その人だけなのだと思う。
恐らく卒業出来るその日を心待ちにしているのであろう飯田なだけに、これは何とも複雑な心境に陥る。飯田にとって娘。にい続けることは、決してプラスにはならないことなのだろうから。

2004.2.3(Tue) / 思い込み
何気なくラブマのオケを、少しうるさく感じるぐらいの音量で割としつこくリピートをしながら聴いていた。

この曲に対する今までのボクのイメージと言うのは、実はあまりいいものではなかった。なんとなくおかしな音楽であったり、なんとなくおかしな振り付けであったり。それを娘。が真顔でやっていたりする様が世間的には受けただけであり、事実娘。人気上昇のきっかけとなった曲ではあっても、そこには所謂イロモノ的な印象の方がボクには強かった。

とかくひねくれ者であるボクとしては、「モームスといえばラブマ」と言ったような形式化された世間の認識に対しての強い反感もあり、この曲を傾聴したことはただの一度もなく、いつもは適当に聴き流していた。ボクにとってラブマは、お手軽にカラオケで盛り上がれる当時定番の一曲以外の何物でもなかったのだ。

ところがどっこい、今回しっかりとオケを聴いてみて初めて気が付いたのだが、これは驚くほどに曲全体がどっしりとした重みで溢れたサウンドだった。随所に挿入されている「Wow Wow」や「イェイイェイ」などのキャッチーな掛け声に惑わされていたが、ボクがこの曲に対して抱いていた軽いサウンドといったイメージなどは、全くの間違いであったことを痛感した。ズシズシと腹の底に響く様なベース音がこの曲にあるなどとは思ってもみなかったのだ。それでもヲタなのか。これは完全にボクの思い込みによる失態である。

時に思い込みというものは、物事の本質を見誤る要因にもなりうる。常日頃から注意していたつもりではあったのだが、今更ながらにそんなことに気が付かされてしまった。
何事においてもやはり思い込みは良くないものだ。そう身にしみて感じたボクは、この様な不要なる思い込みをなくすためにも、久しぶりに「あこがれ My Boy」でも聴いてみようかな などと思った。だけどそいつは無理だな とすぐに思った。

2004.2.4(Wed) / 嫌な予感
奇跡の香りダンス。より漂う香しきかほりの余韻が未だ覚めやらぬ中、3月10日にあゃゃがまたもや新曲をリリースすることが大決定したらしい。そのタイトルは「風信子」であり、なんと今回の作詞・作曲はつんく♂ではなく谷村新司なのだという。

ええぇぇ――――!!

と、とりあえず大げさに驚いたふりでもしてみたわけだが、これは別段驚くほどのことでもないのではなかろうか。この様に、たまには違う人間が作る曲を歌うことも必要なことなのだと思う。いつまでも、つんく♂のオモチャとなっているわけにはいかないのだ。
今まで、このつんく♂のド変態気質が、いい按配にあゃゃワールドを引き出して来たことは、ボクも認めるが、今回は「卒業ソング」ということらしく、そうであればこれは、つんく♂よりも谷村新司の方が適任だとも考えられる。

「卒業ソング」「風信子」「谷村新司」というキーワードから想定すると、これはマイナーキーのえらく暗い曲であるのだろう。個人的にはそういった曲は好みではないのだが、数々の名曲を生み出した谷村新司ならばもしかしたら といった期待は少なからずあったりもする。欲を言えば「昴」のような、とてつもなく壮大な曲を提供していただきたい。そうすれば、ビートルズの「THE LONG AND WINDING ROAD」、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」を凌ぐほどの卒業ソングの定番となるに違いない。皆さんはそうは思わないだろうか。

ボクは思わない。

ところで、なにゆえ今回は谷村新司になったのだろうか。その辺の経緯がよく分からないだけに、ちょっと不安になったりもする。
というのも、確かにこの人はすごい音楽家なのかもしれないが、それ以上にとんでもないエロオヤジなのだ。これはもしかしたら、つんく♂の弱みを握り(例えば近所の小学生の女の子の生写真を肌身離さず持ち歩いているだとか。それを毎日眺めては闇に一人ほくそ笑んでいるだとか。挙句の果てにはストーキング行為も行っているだとか。そんな感じのやつがゴロゴロと。)、そしてそれを盾にして「松浦亜弥にオデの歌を歌わせろ〜」と揺さぶりをかけたのかもしれない。谷村新司、やはりとんでもないエロオヤジだった。あゃゃにエッチなことをするつもりに決まっているのだ。これは許せヌ!皆さんはそうは思わないだろうか。

ボクは思わない。

2004.2.5(Thu) / ノーぷよブレム
「ヤバイ!すごい!シャレになってない!」という三つの用語から想起される事と言えば、当然の如く「ぷよぷよフィーバー」のCMにおける松浦あゃゃと言う名の妖精の可愛らしさに他ならないわけであるが、まずは「この可愛さは本当にヤバイよ!すごいよ!シャレになってないよ――――!」という喜びと興奮を、いつまでも忘れないようにここに書き記しておくことにする。

とりあえずこの画像を見ていただきたい。

妖精出現!!
自分の部屋にこの様ななんとも可愛らしい妖精が、「ぷぷ ぷぷ」などと訳のわからないことを口走りながら突然現れた場合、あなたなら一体どうなるだろうか。まさか正気でいられるとでも言うのであろうか。その様な偽り事はあまり褒められたものではないと思う。
ちなみにボクの場合この様な状況に置かれれば、混乱のあまり恐らくは泣きだすだろう。いつでも困った時は泣いておくという選択。そうしておけばある程度困難な局面も打開できるものだ。これがボクが爽やかと言われてしまう所以でもある。

しかし当然このCMはこの程度では終わらなかった。これを見ていただきたい。

妖精接近!!
近づきすぎである。キュートなお顔を無防備に近づけすぎである。

これはちょっとヤバイぐらいの接近であり、この少年と自分とを置き換え、色々と妄想をしながら楽しみ出すと、何故か何の罪もないはずのこの少年に軽い殺意を抱く程だ。それ程だ。
ところでこの様なシチュエーションであったら、あなたなら一体どうなるだろうか。これでも正気でいられるとでも言うのだろか。いいやいられるわけがない。いわれるわけがないじゃないか一体どの口がそんなウソを言うのだいい加減にしろ!
もちろんボクの場合、隙を見てチュ…と、ここは聡明なる爽やかサイトなのであり、そういったキモチの悪い妄想を披露するサイトではないのであった。

しかしこのCMを見ても、肝心の「ぷよぷよフィーバー」を買う気などは一切起きないのだから不思議なものである。それよりもボクは、この少年の、このCM撮影時における鮮明なる記憶を買いたい。買い占めてやりたい。そう思った。

2004.2.6(Fri) / 萌えりんこバズーカー
20時40分頃に帰宅すると、すでにうたばんは終盤に差し掛かっていた。そこには、雪国の田舎の小学校、10人程度の少ないギャラリー、小雪がちらつく中一人真面目に歌う人物が映し出されている。「誰だろう?」などと疑問に思っていたら、程なくしてソニンであることが判明した。ソニンは1ヶ月もの間どさ回りをしていたのか。

「売上が悪くて契約打ち切りとなった」ということについては、実際にどこまでが真実でありどこまでが戦略なのかは定かではないが、良くも悪くもこういった泥臭いことが出来るのは、日本中今やソニンしかいないのだろう。間違いなくカメラが回っているところでやっていることではある。しかし、長い目で見たときにこれはきっと彼女のためになるのだろうし、辛い思いをしながらも巡業で得られた「聞き手の心」は、いつまでも離れないのだと思う。今回のことは売上にも少なからずプラスにはなるのではないだろうか。

ただ唯一の気がかりは、青森のあの子供達がCDという媒体を知らない可能性があることなのだろう。これでは残念ながら彼女の歌は伝わらない。実に歯痒い思いである。

打って変わって松浦嬢である。出演時間は若干ソニンに食われ気味ではあったが、今回ばかりは許すことにしよう。

デビュー当時のあゃゃを例えて言うならばまさにダイヤモンドの原石だ。「ぼったくられてマース。松浦のコンサートに使われてマース。ゲロゲロー。(若干誇張気味)」などと矢口が以前愚痴をもらしたらしいのだが、思わず見誤ってしまってもこれはしょうがない。この当時のまだ原石であるあゃゃからは、今現在の輝かしいオーラなどは感じられないのであるから。

もちろんこの時点で現在の原型はすでに出来上がってはいる。しかし、まだまだテレビに出ているという意識が低いのであろう。過度にキャラ付けされていないナチュラルな喋りとナチュラルな表情は、あゃゃとしては正に神秘的とも言える「素の部分」なのではなかろうか。そう、これは「あゃゃ」なのではなく、まだまだ「松浦亜弥」なのだ。

あの当時リアルタイムで見ているだけでは決して分かり得ない、今現在だからこそ感じられるこのキモチ、この感情。これが真の萌えである。これが極上の萌えである。我々は今日、究極の萌えの境地に達したのだ。

具体的に説明することにしよう。

「道とか歩いているおじさんがよくふぅ〜とかって溜め息ついているじゃないですかぁ」という何気ないコメントの、最後の「ないですかぁ」の部分。ここ。ここヤバイ。マジ、ここ、ヤバイ。これにはもう、萌えりんこバズーカーが炸裂である。萌えりんこバズーカーぶっ放しである。今とは明らかに違う、こう、なんか、息を抜きながら喋る感じとか、そういうところとかが、なんか、もう、たまらなく萌える。自慢じゃないが死ぬかと思った。

あゃゃは、今も昔も変わらず素敵だ。是非ともこのまま間違わずに成長していってもらいたい。

ちなみに、安倍麻美嬢は色々な意味で圧倒的だった。凄まじく不可解なるオーラを、おもくそ発散していた。タダモノじゃない。こいつはきっとタダモノじゃない。ボクの直感がそう言ってきかなかった。

2004.2.7(Sat) / イメージ
例によって例の如く、つんく♂出演のFUNを危うく見逃してしまうところであったが、何とか直前に思い出すことが出来た。成長の現れと言えるのではなかろうか。ここは是非自分自身を褒めてやりたい。

それにしても、えらく久しぶりに彼の歌声を聞いた気がする。若かりし頃と比べて随分と歌い方が荒くなったような印象か。昔のつんく♂は、顔に似合わず、全くもって顔に似合わず、それはもう顔に似合わず、意外と甘い歌声であったものだ。しつこいようだが顔に似合わず。

12人もいる娘。たちが歌う「ここにいるぜぇ!」と比較すると、つんく♂ひとりでこの歌を歌うのでは、確かにかなり迫力不足な感は否めないものの、そこにはしっかりとした彼なりのアレンジが感じられ、「さすがだなつんく♂オイ。これは思ったよりも意外といい出来だゾ。」 などと、最初の歌い出しを聴いた時点ではかなりの高評価をしたのであるが、30半ばの金髪オッサンが「僕らはまだ夢の途中〜」などといったすこぶる夢見がちな歌詞を、テレビ番組でひょうひょうと口ずさむその様をよくよく冷静になって考えてみると、次第と滑稽に思えて来てしまい、思わず失笑してしまった。

歌詞がその人物のイメージに合っているのかどうかということは、やはり重要なことなのだと思う。

2004.2.8(Sun) / 今更ながらブレーメンについて
「ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」というドラマは、ドラマ嫌いのボクですら夢中になってしまうほど、テンポも良く実に痛快なドラマである。完全に子供向けの内容でもあり、このことが功を奏してか特別構えることもなく軽い気持ちで見れる、いわばミニモニ。版中学生日記の様なものだ。そこに少し不思議な物語を付け加えることで、エンターテイメント性を見事に高めている。何よりもミニモニ。メンバーがヒロインであることが一番のエンターテイメント要素なのは事実だが。

公式ページによると、「テーマは〈チャレンジする勇気〉。キーワードは〈仲間、約束〉。」ということらしい。しかしこういった、本来ドラマが持つテーマをガッチリ前面に押し出す内容なのではなく、あくまでも見ていて「面白い」と思える作品作りをまず第一に考えているのであろう。番組を見ていてそれらは大いに感じられる様になっている。そこから少しでもこのテーマを感じて欲しいと言うこの姿勢。だからこそこのドラマは、間違いなく製作者の狙い通り「愉快な」内容に仕上がっているのだ。

しかし、グリム童話「ブレーメンの音楽隊」をベースにしていると言うのだが、何故「ブレーメンの音楽隊」だったのか、ということには若干の疑問が残るところではある。これは、子供向けの童話をベースにしたいという思いと、ミニモニ。が四人であること、そして音楽的要素を番組に盛り込むということを考えた場合、「ブレーメンの音楽隊」が最も妥当だったといったところか。

今のところ「ブレーメンの音楽隊」としての体裁をかろうじて成立させているのは、前述の如く音楽的要素がふんだんに盛り込まれているという部分と、各回のヒロインであるミニモニ。メンバーの「あだ名」だけであろう。しかし、わざわざドラマタイトルにこの名をつけている以上、高々この程度のことでは「ブレーメンの音楽隊」とは到底言えたものではない。やはりこの音楽隊のメンバーが、一堂に会してこその「ブレーメンの音楽隊」なのではないだろうか。実はここが大きなポイントなのだと思う。

と言うのも、番組が始まった当初時代設定は全て一緒、違う場所での出来事を描いた後に全員が集うという構成だとボク自身思っていたのだが、実はこれは全くの逆であり、どうやら55年もの長き時代をさかのぼるらしいのだ。しかしこれでは単純に考えて各回のヒロイン達は集えないわけであり、「ブレーメンの音楽隊」としては成立しないことになってしまう。
ミニモニ。のリーダーであるはずのミカよりも、ずっとずっと目立っていて出番の多いあのお化け君が、どうやらこの辺りのキーワードになりそうなのだが、果たしてどの様なSF要素をここに持って来るのか。今後の一つの見所ではないだろうか。

一度公式ページを見てみることをお勧めする。さすがはNHKと言うべきか、製作者のコメントはどれもこれもしっかりとしたものだ。ただ、公式掲示板には、小さなお友達に混じって時折大きなお友達が「ののたーーーん!!」などと叫ぶ醜態を晒しているので、あまりお勧めは出来ない。

念のために言っておくが、ボクは書き込んではいないゾ。

▲ [TEXT] 2004.2.9(Mon) / つんく♂の宣言
つんく♂が、楽曲に対するコメントで、ここにきて突然えらく長いコメントを用意してきた。最近の彼としては、これはとても不自然なことではないだろうか。

とりあえずコメントの文章を見るだけでは、とても数々の作詞を手掛けてきた人間のものとは思えない。それはまるで小学生が書いたような「感想文」であり、似非つんく♂信者とは言え、こんなものを見せつけられた日には相当へこむことでもある。時折挿入される「ですます調」が非常に見苦しく、これは本格的に何とかして欲しい。一人称も「僕」と「俺」を併用する始末だ。まったくどうなっているんだこれは。

恐らく彼のことだから、これはわざとであり、きっとツッコミを待っているのだろう。そう考えなければ、これは本当にシャレにならない文章なのだから。以前、「奇跡の香りダンス。」のオフィシャルコメントの際、「奇跡の香りデス。という響きを、奇跡の香りダンス。にかけてみたんですが、誰にも いじってもらえませんでした。」などと寂しそうに言っている彼のことだ。これは当然ツッコミ待ちに違いないわけであり、彼の期待に応えるためにもボクとしては、おもくそ面倒くさいのだがとりあえずはツッコんでおこうと思う。

お前の文章はもう死んでいる。

さて、このダラダラと長いつんく♂オフィシャルコメントの中で、実は注目すべきはただの一箇所であり、それは、段落としては2つ目の『一年以上前からスタッフに 「俺も、これからはいろんな作家さんとも仕事をしながら、また、違った形のスタイルでサウンドをクリエイトできたらロックよな〜」って話していました。』という部分のみである。

これまでの経緯から、「一年以上前」というキーワードを唐突に使用した場合は注意せねばならない。一体今までに何度「一年以上前から〜」というくだりのコメントを聞いてきたのだろうか。最大の問題は、この言葉を使った後に行われた措置のその全てが、どれもこれもボクらにとってはとても納得出来るような措置ではなかったという事である。しかも先日、「これからは積極的に作品は外注していきたいと思いまーす。」などと陽気に語ったばかりの奴だ。今回のコメントとこれとを関連付けて考えない事の方が間違っているのではなかろうか。

ボクが以前から言うように、彼らは自分達が都合のいいように事を進めるために、事前にあらかじめの「言い訳」を必ず用意してくる。そしてそれは一度ではなく、二度三度と小分けにし段階を踏むことで、次第にその後の措置に対しボクらが納得するようにと目論んでいるのだ。ここに来て二度目の、「色々な作家さん達と仕事をする」的なコメントをした以上、これは近い将来外注のシングルリリースがハロー内でオンパレードすることを確実に意味している。

つんく♂はハローを完全に投げ出した。最早キッズ以外には興味がないということを、声高らかにここに宣言したのだ。至福の境地に達した奴のニヤケ面が容易に想像できる。

これを良いことと捉えるのか、悪いことと捉えるのかは、恐らく人それぞれ違うのだと思う。しかし、ボクのこのやるせない気持ちは一体どういうことなのか。自分自身理解できないほどの複雑な心境に立たされているわけだが、もしかしたらこれはボクが、自分が思っていた以上につんく♂信者だったということの証なのだろうか。だとすると、それはそれでとても納得がいかない。

2004.2.10(Tue) / ラリホーマ
今まで頑なに口をつぐんできた、と言うわけでもないのだが、実はボクは、なっちの1stアルバム「一人ぼっち」は、発売したその日に購入済みなのであった。

どうやらフラゲには最早何の抵抗もなくなってしまったらしい。そのフラゲ日に、意気揚揚とCDショップ乗り込んだものの、同日発売であった「あややヒットパレード!」のコンサートDVDとこれとを一緒に購入すると約7000円。その時財布には5000円しかなく、得意の算数でもって引き算をした結果、なんと2000円足りないという結論に至ったのだった。

驚きのあまり狼狽したボクは、とっさに足元を見渡したのだが、残念ながら2000円は発見できず、アルバムタイトルの如く「一人ぼっち」を一人ぼっちに置き去りにし、その日は泣く泣く家路についたのであった。結局は次の日お金をおろし、発売日に無事に購入した。

ところが、アルバム自体は実はまだあまり聴いていない。いや、正確には何度か聴いているのだが、何故か100%の確率で、聴いている途中に眠りに付いてしまうのだ。眠るつもりなどは全くないというのに!ボクはこのアルバムのサブタイトルを「ラリホーマ」と名付けた。

もちろん聴き始めから寝ているわけではないので、最初の3曲ほどはもうすでに何度も聴いていることになる。その後すやすやと睡眠。結果的に間の7曲ほどは夢の中であり、耳には残っていなく、そしてどういうわけか必ずと言っていいほど、「母と娘のデュエットソング」で目を覚ますのだ。さしずめこの曲は「ザメハ」といったところか。しかし、この歌は何度聴いても究極にイマイチな一品ではある。

しっかりと聴いた後に気合を入れて音楽レビューの様なものを書こう と思ったのだが、考えてみたらレビューを書けるような音楽的知識などはボクにはなく、それ以上に、音楽レビューは面倒くさいという事実に気が付いたので、やっぱりやめることにした。音楽レビューをサラッと書いてしまう人は本当にすごいと思う。

ところで、すこぶるどうでもいいことなのだろうが、先ほどの例を未だに引きずるならば、ボクにとって「理解して!>女の子」は「ザラキーマ」である。別に「ザキ」で良いじゃないか というツッコミはなしの方向で。

2004.2.12(Thu) / 怪しげなランキング
ボクは番組自体を見ていなかったので良く分からないのだが、先日放送された「CDTVスペシャル」にて「恋人にしたいアーティスト ランキング」と言うものが発表されたらしい。ソースは割りと色々なところで見るが、とりあえずここを参考にしていただきたい。

我が心の松浦亜弥嬢は堂々の二位と、実力・人気共に今のハロー内ではダントツのトップであるということを、嫌と言うほど見せ付ける結果となってしまった。ここまでやってしまうと、ちょっと実力を出しすぎてしまった感じか。これでは他のメンバーの妬みが怖い。

それにしてもハロー勢がかなりの数を占めている。本当にこんなに人気があるのだろうか。集計にはCDTVホームページでのインターネット投票もあったらしく、どうも組織票による結果としかボクには思えない。これを一般的な認識として受け取って良いならば、ハロプロヲタということで、こんなにも肩身の狭い思いをしなくても済むはずだ!もっと堂々と生きていけるはずだ!

少し話がそれた。

とりあえずその辺の真意はどうであれ、亀井えりりん・田中れいなの両6期メンは、それぞれ32位、35位と随分と健闘しているではないか。わずか一万人の中で、この二人を知っている人間がここまでいて、なおかつその人達が彼女らを「恋人にしたい」と思っているという状況は、どう考えても怪しいわけだが、これはこれで何となく嬉しい気持ちになってしまう自分がいたりするのだから気持ちが悪い。

ところが、同じ6期であるはずの道重さゆみんは51位と大きく遅れをとっている。これはどうしたことか。いささか不自然な状況だ。

具体的に何票差があったのかは分からぬゆえ、何とも言えないのだが、順位として20位近くも差があると言うのには、あまりにも納得がいかない。これまでの活動、テレビ番組における印象から、この三人にここまで差が出てしまうような原因は考えられなく、少なくとも同じ30位内に三人納まるのが妥当な結果であろう。個人的には、田中れいなよりは上の様な気がしているのだから、尚更解せないというものだ。

しかし、ボクのこの感情はあくまでも個人的な「推し度」という観点から考えた結果であって、「恋人にしたいかどうか」の結果ではなかった。もしかしたら「恋人」という観点から考えたら、この結果は案外妥当なのかもしれない。確かに、道重さゆみんがこのまま成長していけば、かなりとんでもないことになるとは思う。

2004.2.13(Fri) / 大は小を兼ねる
ニュースの森で「アイドルにはまる中年男」という特集が組まれたらしい。
アイドルにはまる中年男

10代のアイドルで盛り上がるコンサート会場。そこに中年男性の姿が・・・。実はアイドルの観客にこうした30歳代の男性が増えているのです。

モーニング娘。にこれまで1000万円をかけたという男性、彼女にアイドルファンを隠してきた男性。アイドルに熱中する男たちを追いました。

「ニュースの森」より
この文章だけを見れば、さすがに特集を組まれるだけあって、これは恐らくヲタの中でも相当重症なヲタが張り切って出演しているのだろうことは予想がつく。ボクの様な素敵なボーイにとっては全くもってこれっぽっちも関係の無い話のはずだ

番組自体は実際には見ていないのだが、偶然にもそのキャプ画を見ることに成功した。
しかしそのキャプ画を見て大いに驚いたのであるが、番組側はそのヲタの部屋に赴いた際、「部屋にポスターが貼ってある」「CDを持っている」「出演番組をビデオ録画している」「パソコンの壁紙は娘。」などといった、実にたわいも無いこと(ボクでも当てはまってしまうようなこと!)をクローズアップしていたのだ。

そんなのは普通じゃないか!お前らは何を特集しているのだ!

確かに他にもこの人は、娘。のハワイツアーにも参加したり、先日のなっち卒業コンサには40万近くかけてチケットを手にいれたりなどと、番組の特集に相応しいヲタ度を有した猛者としての一面も持っていたのではあるが、しかしそうなのだとしたら、先程の4項目を同列に扱ってしまうのはやはり納得がいかない。あの4項目は、割と一般的な行為のはずだ。ここは是非そう思いたい。思い込ませたい。

ただ、こういった番組構成をしているということは、もしかしたら一般の人間にとっては、先程の4項目も、チケに40万もかけるという行為も、最早同等の行為と映っているのかもしれない。これは圧倒的に受け入れ難い事実だ。あまりのショックに死にそうである。
まあ、ボクの場合設定上はすでに死んでいるのだが。

しかし考えてみたら、部屋に一枚ポスターを貼るという行為よりも、こんなサイトをやってしまっていることの方がよっぽど異常だし、考えようによっては陰湿であり変態だ。だから部屋にあゃゃのポスターを貼っているだとか、あゃゃのカレンダーを飾っているだとか、それに向かって「かわいいなあ」などと呟いているだとか、そういった小さなことは全く気にするべきことではないのだな とボクは考えを改めたのだった。

かたぎにはもう戻れない。

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