過去ログ 2003年7月前半


2003.7.1(Tue) / 壊れて消えたしゃぼん玉
ボクの普段からの品行方正な行いが実を結んだのでしょう。シャボン玉初披露スタジオライブを無事に観賞することができましたよぉぉぉ―――ッホッホ―――ッハッハ―――!!

しかしあれですな。この曲は、昨日書いた「インパクト」という点で考慮すると、バリバリインパクトのある曲で、「泣いて済むなら泣きやがれ 全ての恋はシャボン玉」といったサビの部分なんて、もうすでにそらで口ずさむ事が出来ますよ。

んで、それを実際に聴いてみた感想ですが、んー。って感じでしたもーん。

って書くと、昨日のシャッフルの曲を聴いたときと全く一緒の感想になってしまうわけですが、これは結局、この曲が「インパクトの強い曲が、必ずしも良曲とは限らない」ということを見事に証明してくれたわけでして、そう考えると、とてもありがたい事ではないですか。これだけでも、この曲の存在意義は大いに満たされているって訳ですよ。

この曲から最初に受けるインパクトが割りと強いのは、曲調が今までの娘。のシングルとしてはかなり異色であったことも、少なからず影響を与えていると思います。
先見性に長けたつんく♂は、もうすでに「セルフカバー」の事を念頭に入れて、日々曲作りに勤しんでいますので、今回はこういった曲調になってしまった訳ですが、惜しむらくは曲の間奏に挿入されたセリフ。

あのセリフをつんく♂が語ったら圧倒的にキモイよネ!ネ!ネ!

とまあ、悪ふざけはこれぐらいにするとして、そろそろ真面目な話をしようと思いますが、娘。さん達の歌は、あのようなスタジオライブで聴く印象と、CD音源で聴く印象とが、随分と違うというのが通例となっていますので、まだCD音源で聴いていない現時点では、あの曲の良し悪しについての判断はボクは敢えてしません。
今のところあまり良い印象を持っていないのは確かですが。

さて、曲の良し悪しよりも、あのパート割りはどうなんでしょう。

この曲における重要性というのは、つんく♂の中ではかなり低いものであり、「こんな曲もやってみたい」といったお試し心のみで作られた曲といった感じがしますので、今回のパート割りもお試し感が強い気がします。
しかしだとしたら、もうちょっと藤本美貴ティのパートを増やすべきだった気もしますが、彼女についてはある程度計算できるという事で、今回は未知数である田中、高橋をメインで構成したのでしょうかね。

まあ、正直その辺の位置付けは良くわかりませんが、とにかく、メインとなる人間が変わっただけで、娘。さん達はえらくチープな集団になった気がしました。ボクはなんだかモーニング娘。が歌っている気が全然しませんでしたよ。
どうも「あれ?誰か足りないんじゃない?」というとても変な感覚に陥ったわけですが、恐らくそれは小川さんの影響でも、保田さんの影響でも無いと思われます。

後藤真希が娘。から抜けた後、自分の中でモーニング娘。がモーニング娘。に見えなくなってしまうのではないか?といった不安感が募ったものの、実際には、特にこれと言ってそういった状況にはならなかったにもかかわらず、まさか今回になってこの様な感覚に苛まれるとは思いもよりませんでした。そして、これは確実になっちの影響が強いのだと思います。

なっちのカット割がここまで少なくなるという事態を、ボクは想像すらしていなかったので、実際にそれを目の当たりにして愕然としてしまった訳ですが、しかしまさか自分自身、ここまでなっちに依存しているとは全く自覚していませんでした。

ボクはモーニング娘。を見ているようで、実際には安倍なつみを見ていたのかもなあ。


最後に。

 しゃぼん玉飛んだ
 屋根まで飛んだ
 屋根まで飛んで
 壊れて消えた


モーニング娘。19枚目のニューシングル「シャボン玉」。
この歌のタイトルが、娘。の近い将来を暗喩していないことを心から願うばかりです。

2003.7.2(Wed) / 「爽やか」に仲間が増えました
今日は張り切ってメールレス更新をしちゃうぞ☆
これは、とてもしっかりとした感想を送っていただいたので、やっぱりこっちもしっかりとレスをするのが礼儀だなと思った結果でして、決して手を抜いた更新をしているという訳ではないのですよ当然。

爽やか仲間 さんより

はじめまして。 7月1日の日記を読んでの感想です。
なっちのカット割が少なければ、その曲はモーニング娘。の曲とは感じられないということでしょうか...?(まぁ27HTVについてはあまり遠めに引いた画がなかったので、今後の出演番組などを観てみたいですね。)
オリメンとしてのリスペクトはもちろんしますが、4期、5期メンも経験値、存在感は負けるにせよ、同じグループのメンバーとして唄とダンスは実力が追いついて(一部のメンバーはもう超えていると個人的に感じます)いるのではないでしょうか。
そういった努力を積み重ねているメンバーもいることは、認めてあげたいと思います。そうやって存在しつづけてきた娘。ですから。
それから、つんく♂の曲&パートにおけるお試し心というのは、今までリリースされてきた曲においても同じようにあったのではないですか?今回の楽曲には、田中さんほかのキャラが合って、大抜擢となったわけですが。
決してけんか腰の感想ではありませんので(笑)。もし私の読解力のなさに、誤解や不快な点があったら、申し訳ありません。遅れましたが、いつもアンテナβ経由で楽しませていただいています。 これからも爽やかな日記楽しみにしてますね(笑)。

爽やか仲間さん、はじめまして。感想どうもありがとうございます。

>なっちのカット割が少なければ、その曲はモーニング娘。の曲とは感じられないということでしょうか...?
恐らくそういうことです。って自分で書いた文章に対して「恐らく」というのは、とても変な言い方なのですが。

彼女達が歌っている様子を見て、なんとなく違和感というか、どうも今までの娘。とは違うグループを見ているみたいだなあといった曖昧な感覚がボクの中にはずっとありました。頭の中では「間違いなくモーニング娘。だ」といった認識はしているものの、感覚として抱いているその漠然とした違和感は、結局最後まで払拭されませんでした。

実は、その原因が何なのかは娘。達が歌い終わってからも、暫くわからないままでした。そして、もう一度同じものを見直した後に出てきた答えが、「その原因は、なっちのカット割り(ソロパート)が殆どないから。」というものだったんです。
しかしこれもボクの中では釈然としませんでした。

今までの自分は、果たしてそこまで安倍なつみだけを見続けていたのだろうか?「モーニング娘。=安倍なつみ」と思っていたのだろうか?

最終的に昨日の日記で「ボクはモーニング娘。を見ているようで、実際には安倍なつみを見ていたのかもなあ。」と断定的な言い方を避けているのは、実は、自分自身でもまだよくわかっていないからなんです。


>オリメンとしてのリスペクトはもちろんしますが、4期、5期メンも経験値、存在感は負けるにせよ、同じグループのメンバーとして唄とダンスは実力が追いついて(一部のメンバーはもう超えていると個人的に感じます)いるのではないでしょうか。
4期、5期についてのことは、爽やか仲間さんのおっしゃる通りだと思います。
もちろんボクは、オリメンの実力が何事においても他メンよりも秀でているなんて事は思っていません。安倍なつみさんよりも、小川麻琴さんの方が歌がうまいとすら思っています。

恐らくこれは、昨日の日記でボクが「メインとなる人間が変わっただけで、娘。さん達はえらくチープな集団になった気がしました。」と言及した事に対して言っているのだと見受けられますが、これは中傷でも批判でもなんでもなくて、ボクがそう感じてしまっただけなんで最早しょうがないのです。若干書き方がまずかったですかね。

つまりこれって、ボクが「あゃゃがかわいい」と感じてしまったというのと同じ事で、理由はよくわかんないけどパッと見で「えらく安っぽく感じてしまった」って事です。これに無理矢理理由をつけようとすると、先程述べた事と重複しますが、「なっちがメインじゃなくなったからそう思った。」ということになる訳ですが、もしかしたら、ただ単にメンバーが全員そろいもそろって安っぽい衣装を着ていたことが原因だっただけかもしれません。


>そういった努力を積み重ねているメンバーもいることは、認めてあげたいと思います。そうやって存在しつづけてきた娘。ですから。
もちろんその通りだと思います。彼女達自身が言っている事ですが、誰かが抜けるたびにそれを埋めようと皆で努力し、メンバーが欠けてもより一層パワーアップしようとしている事はこちらにも十分に伝わってきますし、結果的にメンバーの卒業というものが、現存のメンバーの実力アップに繋がっているのも事実だと思います。

ただ残念ながら、今回田中れいなメインだったからといって、ボクが突然田中れいなマンセーになるのかと言えば、これは話は別です。でも、当然これはボクが田中れいなを認めていないという事には直結しません。


>つんく♂の曲&パートにおけるお試し心というのは、今までリリースされてきた曲においても同じようにあったのではないですか?
彼自身、常日頃からチャレンジ精神を持って曲制作に取り組んでいると思います。そうした事が恐らくはモチベーションを高める効果的な方法だと思いますし、惰性で制作活動をしたところで、クリエイティブな発想など生まれてくるはずもありません。
そういった意味では、今までも「お試し心」的なものも当然あったでしょう。

ボクが言った、今回の曲に対するつんく♂のお試し心というのは、売上げやマーケットの事など、制作者が少なからず考えるであろうことを全て取っ払って、まさに自由気ままな心で作ったという意味を示しています。
今までの曲には、ある程度「戦略」というものが、彼自身の「完全なるお試し心」というものを束縛していたはずです。

例をあげれば、後藤真希の娘。最後のシングルを「ひょっこりひょうたん島」にする訳にはいかなかったという事ですかね。例えあの当時NHKからこの話が来ていても、「これを今回のシングル(後藤最後のシングル)にする事は出来ない」となっていたはずです。結局これも一つの束縛である訳で、今回のシャボン玉は、彼自身にこういった類の束縛が全く働いていない状況下で制作されたということを言いたかったのです。

昨日の日記における「お試し心のみ」という記述の「のみ」の部分にこれらの事を全て凝縮したつもりだったのですが、こんなの伝わるはずが無いですよね。
でも、毎回こんな説明を全て記述するのは死ぬほどめんどいので、これからも説明不足の文章を垂れ流すとは思いますが、不思議に思った事があったらメールとかで質問していただければ、随時お答えするつもりではいます。やっぱりせっかく文章を書いている以上は、読んでくれている皆さんに、しっかりと自分の言わんとしている事が伝わって欲しいですからね。


>決してけんか腰の感想ではありませんので(笑)。
この一言はすごく重要だと思いました。これが無かったら、「うへぇ。けんか売られたぁ。おっかねぇ。」となっているところでした。


>誤解や不快な点があったら、申し訳ありません。遅れましたが、いつもアンテナβ経由で楽しませていただいています。 これからも爽やかな日記楽しみにしてますね(笑)。
不快な事などありませんよ。今回質問していただいたおかげで、昨日の日記の補足的な説明も出来ましたし、何よりも今日の日記のネタにもなりましたし、ボクは幸せいっぱいです。

ていうか、むしろボクの方こそ「毎日毎日爽やか過ぎて、本当に嫌味ですよねー。ごめんなさーい。」って感じです。えへへへへ。

あ。あと、最後の(笑)の部分は要らないんじゃない?そこは笑うところじゃないんじゃない?ん?

2003.7.3(Thu) / 新ユニット考察
なんかまたハロプロに新ユニットが出来るみたいですね。
今回のオーディション応募資格は、中学を卒業している事らしいですから、恐らく高校1年生か2年生の子達3人ぐらいのユニットになるような気がしますが、これは何となくそう思っただけであり、特に根拠があるわけではありせん。

でもこの新ユニットは、どう考えてもつんく♂の活動フィールドを広げすぎることになる訳で、娘。本体でもちぐはぐしている現状、新たに新ユニットにまで手をまわすだけの余裕が、現在の彼にあるとは到底思えません。
そう考えると、あるいはつんく♂は監修という立場につき、曲制作は他の人間に任せるという形をとるような気がしなくも無いですし、むしろ色々な点でこうした方がいい結果を生む気もします。

狙った結果なのか、自然な結果なのか、ここ最近リリースされているつんく♂の作品は、シャ乱Q時代から彼が得意としてきた、所謂「つんく節」が随所に組み込まれたスタイルに少しづつシフトしている気がしますが、ボク個人としては、これは褒められるべき状況であるとは思えません。こういったことからも、ボクは1日の日記で「つんく♂は、セルフカバーを考えている」と、これを揶揄した訳ですが。
例え確信犯であれ、結果的にこのスタイルに帰着してしまった時点で、彼には少し曲制作の面で充電期間が必要な気がします。

さて、ボクは以前「「娘。原点回帰」という言葉の本質」のコラム内で、「新ユニットを作るという以外に、最早現状を打開するような秘策は、ハロプロには残されていない」と言った趣旨の事を記述しましたが、基本的にこの考えは今でも変わっていません。その秘策を実行に移すのがあまりにも早かったので、「事務所は相当焦っているのでは」といった解釈も出来る訳ですが、ボクとしてはやっぱりあまりにも時期尚早のような気がします。
現在、6期がやっと活動を始めたばかり。世の中の一般人の恐らく90%以上が6期の存在など知らないという状況下で、つんく♂プロデュースを銘打った新ユニットを作っても、何の効果も期待できない訳ですから。

上述の通り、ボクは今回のこの新ユニットは、ハロプロが再び一花咲かせるためには必要不可欠であり、実質的に最後の手段だと思ってます。ハロプロが一部のヲタと一部の子供だけに完全にターゲットを絞り、これから先もそこだけを視野に入れて活動すると言うのなら話は別ですが、それってあまりにも寂しい事ではないですか。
再び国民的になって欲しいとまでは思いませんが、新たにリリースされた曲ぐらいは、たいていの人が知っている、聴いたことがあるという状況にまでは戻って欲しいと強く思っています。

そのため、このユニットは単なる一ユニットで終わる訳には行かない訳で、言ってみれば「ごまっとう」というあのユニット以上の効果をもたらさなければ、結果的には失敗だと思います。事務所も恐らくはそれぐらいの位置付で捉えているのではないでしょうか。

前回の娘。オーディションに参加していたあの2436番を加入させるなとは言いませんが、少なからず残りのメンバーもそれと同等か、あるいはそれ以上のルックスを持った人材でなければなりません。そして、テレビでチラッと見た瞬間に誰もが「おっ?」と思わず見てしまうような、そんなユニットを結成することが、この新ユニットの目的を満たす事のできる最低条件だと思います。

つんく♂ブランドに再び人々の興味を引かせるには、最早これぐらいの事をしなければ効果が無いのが現実。ボクにとってこれはとても辛く、寂しい事なのですが。

2003.7.4(Fri) / ツッコミ精神によるプロデュース論
テレビ朝日系「銭形金太郎」は、その番組内容もさることながら、ここ最近のテレビ番組で主流となっている、番組クライマックス付近で視聴者側に強い興味を持たせておきながら、お決まりのようにCMに突入するという、所謂「無駄なタメ」のない演出で、実に軽快に番組が進行されることからも、ボク個人としてはかなり高感度の高い番組です。

この番組の見所は、当然司会進行役のネプチューンなどではなく、そのあまりの個性ぶりを毎回発揮する素人ビンボーさん達な訳ですが、いくら個性的な面白人とは言っても所詮は素人。番組に笑いどころを提供するためには、レポーターとしてビンボーさん宅に直接に訪れる芸人の手腕にかかっている訳です。

実はこの笑いの差は番組でも歴然としており、くりーむしちゅーの有田哲平のレポートは全く以って面白くも何とも無く、逆に相方の上田晋也のレポートはどれもこれも面白いと言うのが実状です。
もちろん番組スタッフによる演出も加わっている訳ですが、この二人の差は、正に「素人プロデュース」というプロデュース能力の差。たとえ弄ったら面白い素材であっても、弄る側がその能力を引き出す事が出来なければ、視聴者を満足させるような笑いを提供する事は出来ないと言う訳です。

このコンビ二人の違いとして挙げられるのは、当然「ボケ担当」か「ツッコミ担当」かということである訳ですが、この番組における笑い提供率の差は、この違いが直接的に関係してきているのは言うまでもありません。
上田晋也が、くりーむしちゅーというコンビにおいて「ツッコミ担当」であることから、これはつまり、「他人を弄って面白さを引き出す」という行為には、ツッコミの能力が重要であると言う事。優秀なツッコミほど、こういった番組においては至るところに笑いを提供できると言う訳です。

実は、ハロプロのプロデューサーとして君臨するつんく♂は、彼自身が過去に口にした「こんなことしたらおもろいんちゃうん?」といった趣旨の発言から察するに、「ボケ担当である」ということは、恐らく皆さんも頷けることだと思います。
確かに、その彼のボケ精神が「LOVEマシーン」というボケっぱなしのボケボケ曲を生み出し、世の中に娘。フィーバーを巻き起こしたのは事実ですが、プロデュース業において本当に必要とされる能力は「ボケ」ではなく「ツッコミ」の能力であると言う事は、前述の理論からもすでに立証されています。

いつまでも「ボケ精神」によるプロデュース業を続けたところで、もはやその効果が弱いということは明白。これからはやはり「ツッコミ精神」によるプロデュース業を実行せねば、つんく♂も娘。もそしてハロプロも時代に取り残されてしまう訳です。

そういったことを大いに危惧したボクは、「ツッコミ精神によるプロデュース論」たるものを展開しようと試みた訳ですが、「ツッコミ精神によるプロデュースって何だよ。そんなもんあるか。ボケが。」という結論に至りましたので、残念ながら「ツッコミ精神によるプロデュース論」は断念せざるをえず、苦汁を嘗める結果と相成りました。

「何だよ、ツッコミ精神によるプロデュースって。何だよそれ。そんなもんねーよ。勝手にツッコんでろ。ボケが。」と強気に悪態をついてみましたが、そんな時でももちろん爽やかさは忘れていません。
どうか心配しないでもらいたいです。

2003.7.5(Sat) / 宣誓書
ボクほど鬼☆硬派なヲタクさんになると、「セクシー女塾」とかっていう、あのROMANSというユニットを生み出してしまった元凶でもある番組などは完全にノーマーク。ボクにとってこの番組を観賞する事は、言うなればQUIDAMが来るのと同じぐらいどうでもいい事な訳です。

しかし、聞くところによると、今現在同番組では柴田あゆみさんその人がご出演なさっているそうではないですか。柴田あゆみさんと言えば、なかなかにして最近はかわいらしく、いかにも「女の子」といった感じのキャラクターが、ボクの中では最近、ドツボにはまる一歩手前という状況にある訳です。

好きになったら欠点すらも愛らしいとは確かに言えたことで、柴田あゆみさんを見て、最初は「ちょっと前歯が出ちゃってるのがもったいないなあ」と思っていたものの、今では「ビーバーみたいでかわいい」と高評価に転じてしまっている事からも、どうにもやっぱりボクは柴田あゆみさんが気に入ってしまっているというのは、今や否定は出来ません。

そんな事からも、「♪好き好き好き好き好き好きぃぃぃいい――――!!」と気合を入れて一休さんのオープニングテーマを口ずさみ、数ヶ月ぶりに「セクシー女塾」とかっていう、あのROMANSというユニットを生み出した元凶でもある、最早諸悪の根源ともいえる番組を観賞してみようと意気込んでいた訳ですが、すーっかり忘れてました。とーんと忘れてました。

しかしこんな事じゃあ、ボクが無事にこの番組を観賞する確率は極めて低く、ずっと見逃したまま、いたずらに時間ばかりが経過し、気がつけばすっかり老体となってしまったボクは、そのまま静かに眠りに付く、なんてことにもなりかねません。

そこでボクは、このスペース、つまりワールドワイドウェブ上で「番組観賞に対する意気込み」を備忘録として書き残して置くのと同時に、声高らかに宣誓する事で自身にプレッシャーを与え、見逃すなどという失態を未然に防ぐという、実にハイテクな手段を思いついたのでした。まさにIT時代の革命児!

ということで、

宣誓!柴田あゆみよ!覚悟しておけ!
ボクちゃん、お前さんを中心に嘗めるように番組を見てやるゾ!!
嘗めるように見てやるゾ―――――!!うっへへへへへ!!


宣誓終了。

2003.7.6(Sun) / 忘却希望
シャッフルユニットと言えば、1年に1回だけ企画される、いわばハロプロのオールスターみたいなものですから、本来ならばものすごく豪華であって然り。それなのにさっぱり豪華な感じがしないのはどうしてなんでしょ。

2週にわたって放送されたハロモニのシャッフル企画ですが、これだけ人数がいると、目立つ者と全然目立たない者との差がはっきりと出てしまう訳で、「これがタレント性の差なのかしらね。」とも思ってしまいます。
あゃゃときたら、23人の中にいても一際かわいらしいので、一際目立っており、結果的に20数名はあゃゃの引き立て役にしかなっていない訳ですよ。

「あゃゃの輝かしいタレント性は、他の20数名をも凌駕するのだなあ」と思った訳ですが、よくよく考えたら、あゃゃが目立って見えるのは、ただ単に、ボクがずっとあゃゃばかりを見ているからだけなのかも、という事に気がつきました。うふふふ。

ところで、番組にあった最後のクイズの、「回転している顔パネルの3人は誰でしょう」というVTR問題で、新垣さん柴田さんの顔はすぐに分かったにもかかわらず、何故かあゃゃの顔だけ認識する事が出来なかったのは、ボクにとっては受け入れがたい悪夢なので、これはきれいさっぱり忘れようと思います。

また、「スイカ割り対決」というゲームの際に、保田さんが、目隠しをしている加護ちゃんにスイカと間違えて叩かれそうになる場面があったのですが、ゲーム終了後に保田さんがそれに対して「どうしようかと思ったよ、あんた〜」と、加護ちゃん本人にコメントしている姿が、最早完全なるおばちゃんだったことも、この際もう忘れてしまおうと思っています。

あと、どうでもいいことなのかもしれませんが、「誰か斎藤瞳さんに一言声をかけて、気がつかせてあげるべきなんじゃないのかなあ。」と、番組を見てて心に強く思いました。

2003.7.7(Mon) / お願い事
なんだか、昨今のあゃゃはコンサでとちりまくっているという噂を耳にし、その噂が噂を呼んで、頭の中ではもうぐちゃぐちゃとなり、どうにもこうにも焦燥に駆られてしまっているといった感じの、なんとも哀れなるボクである訳ですが、一体現場ではどのような状況であったのか、ブラウン管を通してしかあゃゃを見たことのないボクにとっては、「とちる」という言葉と「松浦亜弥」という人物像とが全く以って結びつかない故に、ちんぷんかんぷんであると言うのが正直なところです。

ボクはコンサとか、そういった類のものには一切参加したことがありませんし、「あーゃゃ!おい!」といったなんだか気持ちの悪い掛け声の類が、どうやらコンサートでは当たり前らしいよという事ですら、風の便りに聞いたことがあるというレベルの、至ってノーマルな好青年ですから、実際にコンサ会場ではどのような状況だったのかというのは、他サイトさんのレポを読み、可能な限りの妄想ワールドに頼りきるしか術が無い訳で、この歯痒い思いを一体どこにぶつけてくれようかと、もはや地団駄を踏む状況にまで至っていますが、なんとあゃゃは今回は涙まで見せたと言うではないですか!いやんいやん!

特にここ最近のコンサでは、ほぼ毎回歌詞を忘れたり、酷い時には全くリズムに乗れないまま1曲が終わってしまうという失態まで演じているようでして、凡そあゃゃらしくないこの状況には驚きと共に心配してしまっている訳ですが、一体最近のあゃゃに何が起こったと言うのでしょうか。

連日のコンサートツアーに疲労困憊した結果なのか、はたまたコンサに対する慣れが緊張感を失わせ、気が緩んだ結果なのか、更に口に出すのも恐ろしい事ですが、よもやこれは恋煩いが原因だったりするのでは?なんて、まるでキショヲタと呼ばれる人達にとても近い感情を抱いてしまっているかのような表記をしてしまいましたが、そこの部分は完全に冗談として書いているという事は、恐らく賢明な読者の方には丸分かりだと思います。

しかし、どちらにしても、ボクとしてはとても心配であり、「松浦亜弥」たる揺るぎないほどの金字塔が、音を立てて崩れ去るような錯覚を起こすにまで至りました。

とにかくボクが出来ることと言えば、「あゃゃ、がんばれ!」という自身の思いを、テレパシーの如くあゃゃの脳髄めがけて解き放つと言う、なんとも気持ちの悪い行為のみな訳ですが、冷静になってそういった自分を客観的に見てみると、「あゃゃの心配以前に自分のことを心配する必要があるのかしら。」なんて事を思い馳せてしまい、それはそれでなんだか自分と言う存在の現状が無性に気になってきてしまいました。

そんなこんなで今日は七夕だったりするらしいから、短冊代わりにここにお願い事でも書き綴っておきましょうかねなんて、NHK教育の「鶴太郎流 墨彩画塾」を見ている時に思いつきましたので、さっそく書いておく事にします。

どうか、これ以上自分が気持ち悪い存在になりませんように。

2003.7.9(Wed) / 愚民どもよ ひれ伏せ
昨日大天使松浦亜弥嬢が出演した笑っていいともを、無事に観賞する事が出来ました。リアルタイムで。

それはそれは会場大盛況となっている様を見て、あゃゃがここまで市民権を得ているとは、ヲタが故に気がつかなかったなあと思った訳ですが、いいともと言えば誰がゲストの時にでも会場は大盛況となるので、今回の大盛況だけでは、残念ながら大日本帝国総あゃゃ化計画が完遂したとは言い切れません。

そういった壮大な計画を着実に遂行するためには、このいいともにおける視聴者、番組観覧者のハートキャッチは非常に重要である訳ですが、今回のトークでは行き過ぎた自己陶酔性を見せる事もなく、パンピーにとってもなかなかの好印象を残したのではないでしょうかね。

前髪をボンボンつきのゴムで束ねあげて、キュートなおでこを見せる事で、意外な見た目の子供っぽさまで醸し出し、実はあゃゃがロリロリの分野でもイケイケであることがお前ら分かったか!ってな具合に、ボクの方までご満悦となりました。かと言って、ボクがロリって訳じゃないぞぅ。勘違いするなよぅ。

しかし、肩から二の腕にかけての太さが、若干心配になってしまうレベルだった気もするのですが、これはどうもボク個人が最近気になりだしていることであるため、強迫観念的な心理が自然と出てきてしまっている結果かもしれませんし、或いはもしかしたら他の人たちには全く気にならない事なのかもしれません。
どうなんでしょうか。

トーク自体は10数分で終わる訳ですから、内容などは取るに足らないものであり、敢えて触れる事はしませんが、要はこういった番組ではトーク内容ではなく、限られた時間内にいかにオーラを見せ付けるかって事が重要な訳ですよね。

こういった観点で言えば、あゃゃは終始笑顔を絶やすことなく、「にっこり笑うとかわいらしいお目目の目尻が下がるのよ」のアピールも完璧でしたから、今回の任務は成功と言えるでしょう。

今日は藤本美貴ティと高橋愛ちゃんがゲストらしく、こちらは残念ながらリアルタイムでは見れそうもないので、録画予約しておこうと思う訳ですが、さてさて、この二人は一体どういったアピールをする事が出来るでしょうか。徹底的にあゃゃと比較してしまうつもりでーす。

ちなみに、この次のゲストは田中義剛で確定しているらしいのですが、ここまで来たならハロプロ全員出せばいいのにね。って思ってしまうのは、やっぱりヲタとしての性なのでしょうかね。ははーんきもーい。

2003.7.10(Thu) / 哀れ滝川市

タナカヨシタケジャネージャネーカヨッ!!オイ!!

と、いきなりツッコんでしまいましたが、こんな心のツッパリは身体にも良くないなと思い直し、やっぱりいつもの如くにこやかに微笑んでおく事にしました。

そんなちょっとした自慢を添えつつも、藤本美貴ティと高橋愛ちゃんが出演したいいともの感想でもサラッと爽やかに書き綴っておこうと思う訳ですが、昨日の時点ではまさか「テレフォンショッキング featuring 高橋愛」だとは思ってもみなかったので、美貴ティを差し置いてトークのメインとなっている高橋愛ちゃんを見て、いささか驚きました。

トークの方が、相変わらず高橋愛ちゃんの訛りの話で始まったものですから、まさかこの話を最後まで引っ張るつもりではあるまいな、と訝しく思った訳ですが、特に最初のつかみ以外でこの話に直接的に触れる事は無かったので、その点に関しては良かったと思います。
ただ、藤本美貴ティが滝川という単語を口に出すことをあそこまで拒絶する理由が、ボクには全く理解できませんでした。

ものすごく田舎であるという事は口にしていたので、「滝川が田舎だから口に出すのも躊躇われる」という彼女を擁護するための論理はもはや成り立ちません。そうなると違うところにこの事情がある訳ですが、これはもうどう思考を巡らせても、滝川そのものに対する嫌悪感が原因であるとしか思えない訳です。

しかしその嫌悪感を正当化するだけの理由が残念ながら見つかりませんでした。その結果、ボクの藤本美貴ティに対する好感度が若干下がってしまいました。
そのためにも、美貴ティには是非とも「滝川が嫌い」な正当な理由を教えてもらいたいものですね。もしくは「滝川――!」ってTVで大声で叫んでもらいたいものですね。

ちなみに、高橋愛ちゃんがあのまんまるお目目でジーッとタモリさんを見つめている姿は、なかなかの萌えポイントだとボクは思った訳ですが、諸君はこれについては一体どう思われましたか?

ていうかー、そんなことよか

タナカヨシタケジャネージャネーカヨッ!!オイ!!

2003.7.11(Fri) / イメージ優先
ハロー!プロジェクトとかっていうプロジェクトさん達が、それはもう毎週のようにCDだとかDVDだとかのマルチメディアを発売するものですから、そのプロジェクトを支持してしまっているボクとしては、当然購入しようと思っているものが週ごとに膨れ上がっていく訳で、しかしながら実際に購入しようとも肝心のお金の方が無いだけに、結果的に購入しないまま溜まっていく一方でして、この現状は如何ともしがたいです。

お金だけならまだしも、購入しようと思っているものがねずみ算式に増えていくという事は、つまりは最終的にはまとめ買いをしなければならないという事であり、そんな見るからにヲタクチックな行為など、爽やかと一緒に死のうと思っている人のとる行為ではないじゃないですか!これは如何ともしがたい!

ボクがフライングゲットという行為を頑なに否定する理由は、まさにここにあるわけですが、つまりこのフライングゲットという行為は、自分がこのプロジェクト支援者の一人であるということが瞬時にばれてしまう愚行である訳で、まるで「ボクはモヲタでっす!キモイでっす!」というプラカードをクビから下げているのともはや同意とも思えるようなこんな行為など、爽やかが主食だとのたまう人のとる行為ではないじゃないですか!

こいつはぬぅぃ如何ともしがたいぃぃ!!

そもそも、プロジェクト支援者である時点で、世間的にはかなり肩身の狭い思いをしている訳ですし、それを堂々と世間に知らしめるという自殺行為などは、やっぱり今の爽やかなボクには無理っぽいです。
そして、それ以上にそんなヲタチックなボクを見ることを、きっと皆さんは望んでいないんだと思います。そうですそうです。そうに決まってます。

だからボクは、そんな皆さんのボクに対するイメージを微塵も損なわないように、DVD4枚だけを超絶な爽やかさで購入してこようと思います。
来週買いに行こ。

2003.7.12(Sat) / 萌ゑのアイテム
勢いのみであんな宣誓書(過去ログ2003年7月5日参照)を書いた事が仇となり、ここ1週間ほどは0時30分過ぎになるとクソ面白くも無いTV東京にチャンネルを合わせ、セクスゥィー女塾を観賞するための準備を夜な夜なこしらえていると言うのに、何故か毎夜の如く0時40分ぐらいになると無意識のうちにチャンネルを変えてしまい、気がつけばすでに番組終了時間を過ぎているという蟻地獄に陥り、ボクは、全くセクスゥィー女塾を見ることが出来ません。

と思わせておきながら、見たぁ―――!!おだ、ついにセクスゥィー女塾見たぁ――――!!
おとといぐらいに見たぁ――――!!

「えっと、はたけが出演していました。」と言ってしまうのは、本当にもうこれはあまりにもしつこいとも思いますし、それ以上に思ったよりも世間に対する浸透率も芳しくないようですので、いささか心残りもありますが、ここは潔くスルーしておく事にします。

さてさて、お目当ての柴田あゆみさん事「柴ちゃん」の方ですが、どうもあの衣装の制服が良くないんでしょうな。全然萌ゑヌ。正直萌ゑヌ。

がっかりです。もはやボクはテレビ東京のスタッフ陣にがっかりです。ウンコを投げつけたい気持ちです。
番組内で、「セクシー派」「清純派」みたいな事を言ってましたし、察するに柴ちゃんは「清純派」の方に属しているようなのですが、清純をアピールすることがあの衣装を着させる事に結びついてしまっている、その思考がボクには理解できません。

何だか無性に腹が立ってきましたので、とりあえずテレ東の番組スタッフ陣に、「お前らは「萌ゑ」を理解しておるぅのくぁ――!!」と叫んでおきます。そしてやっぱりウンコを投げつけておきます。

まあ、「清純=純白のブラウス」というのはよく分かります。だからそれを着せようと思う気持ちも、単純すぎて同意は出来ないけど、分からなくも無いです。だけど、最も重要なのは「萌ゑアイテム」の中にこの純白のブラウスなんか入っていないじゃあないか。って事なんですよ、結局は。
萌ゑを無視するとは何事だ!って事なんですよ、結局は。

言うなれば番組スタッフ陣は、善悪の判断ができていない。番組演出において、やっちゃいけないことと悪い事は当然あるんです。

そもそも清純かどうかなんて、その人の性格、しぐさなどが大いに関係してくる訳であり、ただ単に作りこまれた清純定番の格好をさせれば、簡単に清純をアピールできると思ったら大間違いです。逆に言うと、柴ちゃんは清純派としてすでに認定されているのだから、さらに環をかけてあんな「萌ゑヌ」衣装を着させる必要なんて全く無い訳ですよ。彼らは、そこに気がついていない。

わかってくれたかい?番組スタッフ陣よ、わかってくれたかい?ボクの言う事がわかってくれたかい?

だから、ブラウスとかそういうのを着せるのは全くの場違い。そんな不要な演出などいらないのですよ。
つまりは、ブラウスなんかじゃなくて、ランドセル。もうランドセルをしょわせろ。柴ちゃんにランドセルをしょわせろー。そして縦笛の練習をさせろー。おーおー。
これが正に、狂おしい程の萌ゑを提供できる、ミラクルな演出なんです。そういうことなんです。

わかるかい?ボクの言う事がわかってくれたかい?納得してもらえたかい?(爽やかな笑顔で)

2003.7.13(Sun) / シャボン玉考察
「シャボン玉」についてコラムを書いてみましたので、とりあえずこちらを読んでみて下さい。
【コラム】 シャボン玉が描くアーチ

今回のコラムの内容通りに、LOVEマシーンという楽曲に対して、シャボン玉という楽曲が近いところに位置付けられているのであれば、田中れいなという人物に対するつんく♂の期待度というのは、非常に高いということを意味します。
それはもちろん、今回の田中れいなのポジションが、LOVEマシーンにおける後藤真希のポジションを想定しているのであろう事は、誰しも容易に想像できることなのですから。

だとしたら田中れいなには、これからも気合を入れて精進していってもらいたいですし、そのプレッシャーをはねのけて、とにかく頑張ってもらいたいものです。

まあ、今回メインとなったのは、単なる声質の問題だった可能性も高いのですけど。

実は、ボク自身が曲に対して抱く印象という面で、割りと単純な部分があり、ちょっとした事がきっかけで、今まで好きでもなかった曲が、突然好きになってしまうということが良くある方なので、このシャボン玉についても同じ事が言えるのかもしれません。
しゃにむになって構えずに、何気なくふと耳に入ってきた事が功を奏しただけかもしれません。

ただ、ボクは好きでもない楽曲を、無理矢理努力して好きになる必要は全く無いと思いますが、せっかくの新曲な訳ですし、「嫌い」と言った感想を持つよりは、「好き」という感想を持てる方が絶対に得だとは思います。
少なからず娘。を応援している人間であれば尚の事。
そういった意味では、このシャボン玉に関して印象が変わった事は、これはこれでラッキーだったかなあとも思っています。

しかしこの曲は、インパクトは強くても、その印象が良いことの方が恐らく稀だと思いますので、しぶとくメディアでアピールし続けて何度も聴かせる事が、ホームランを打つ秘訣のような気もします。

さて、明らかに娘。は新たなる転換期を迎えている訳ですが、この楽曲が次なるスタートをきる良いきっかけになるのでしょうか。

2003.7.14(Mon) / 鼻くその秘密
今日はちょっと告知だけで終わりそうです。
とりあえず、某サイトに敬意を払ってこんなこと始めてみました。
今日に限っては、そっち側を優先して更新するかもしれません。今日に限ってはね。

でもやっぱり、これだけの更新というのは、なんだかいたたまれない気持ちになってきましたので、意を決してここは一発、ギャグでも言っておくことにします。

鼻くその秘密をそっとはなくそう。

ありがとうヤムチャ!こんなところで君の渾身のダジャレが役に立つとは、夢にも思ってなかったよ!ありがとう!

2003.7.15(Tue) / パフォーマンス性の違い
カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)の新曲「浮気なハニーパイ」。
確かいくつかのサイトで絶賛されていた記憶があったために、かなり期待をして聴いたことが、逆に自分の首を締める結果に相成りました。

曲調、歌い方、新生カントリー全体の雰囲気、残念ながらボクにとっては全てが受け付けないものでした。
カントリーファンの人には申し訳ないのですが、正直言って現状では、まだTVに出てはいけないレベルだとすら思いました。

ちょっと今回は辛口になりそう。

もちろんこれらのボクが抱いた印象は、今回の新曲のせいでもあるとは思いますが、決してこの曲だけのせいではないと思います。りんねがいたころよりも、カントリーの質が落ちていると思うのはボクだけなんでしょうか。歌、雰囲気、それらのあまりの質の悪さに愕然としました。

女の子たちのグループという点でいえば、人数の違いこそあれど、娘。とカントリーは同じ。
にもかかわらず、娘。とカントリーとのこのパフォーマンス性の違いって何なんでしょう。どうしてこうも娘。に比べるとパフォーマンス性が低くなるのでしょう。
確かに絶対数が多い事は、パフォーマンス性を上げる為には有効かもしれませんが、もちろんこれにはデメリットも存在します。人数が多ければ良いというものでもないのです。

「そもそも、娘。とカントリーとを比較する事自体が間違えている。」と思う人もいるかもしれません。
しかし、本当にそうでしょうか。本当に、カントリー娘。である時点で、モーニング娘。を超える事は出来ないんでしょうか。

実は、ボクはそうは思いません。
例え、カントリー娘。だろうが、メロン記念日だろうが、ココナッツ娘。だろうが、モーニング娘。を超える可能性は、等しく持っていると思います。超えようという意識が本人たちにしっかりと確立していれば、超える事は出来ないまでも、少なからず近づく事は出来ると思いますし、現状における娘。と他のグループとの、ここまでの差となって表れていないと思います。

もしかしたらこれらの差は、「どうせ私たちは、カントリー娘。っていうマイナーなグループだから」という思いが、無意識的にでも彼女たちにある結果なのかもしれません。

ボクは、娘。と他グループとの差が、「才能の違い」という結論付けはしたくありません。モーニング娘。というグループは、決して才能豊かな子たちが集まった集団ではないのですから。
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