■ 短期連載TEXT ■ - 松浦亜弥 その可能性 -



■ 短期連載TEXT ■ - 松浦亜弥 その可能性 -
【第1章】 不可解なる熱愛スクープ
えらく久しぶりにテレビであゃゃを見た気がするなあ などと思いながら先日のうたばんを見ていたところ、その翌日、思いもよらないゴシップ雑誌にて、あゃゃを見る羽目になった。

それは「フライデー」などという、まあ和訳すると「金曜日」とかいう名の雑誌で、はっきり言ってセンスのかけらも感じられないダサいネーミングだとは思うのだけれど、そのフライデーという雑誌に、熱愛スクープという形でプライベートを盗撮された写真が3枚ほど掲載されたのだ。全くもって腹立たしい。

何に腹が立つって、それはもちろん、盗撮というストーカーまがいの姑息な手段で、18歳の乙女のプライベートを暴露するばかりか、そういったストーカー行為で収めた盗撮写真を、スクープ写真などと嘯き、更には、この実に非生産的な行為で生計を立てているという自身の無能っぷりを棚に上げ、「スクープ捕ったど―――!」などと勝ち誇っているのであろう、顔も知らないカメラマン達に対して。

私は彼らに問いたい。「あなた達は、自分の仕事に誇りを持っていますか?」と。こういった写真を撮ることで幾ら貰ってるのかは知らないけど、別にあなた達自身は何にもやっていませんから。何にも生み出していませんから。写真と一緒に勝ち誇ったように自分達の名前を載せているみたいだけど、あなた達が仕事にしている行為は、世の中の底辺です。盗撮スクープなんてものは、確かに無能な人間にはふさわしい仕事なのかもしれないけれど、自分の身近にこんな低俗な行為を仕事にしている人間がいたら、間違いなく嫌な気分になるのだと思う。

とまあ、軽くカメラマン達にキレて見せたところで、肝心の記事の方なのだけれど、どうもこれ、きな臭いというか、うさんくさいというか、なにやら政治的な匂いがプンプンと漂ってくる内容になっている。そもそもこの記事は、両手に生活用品を抱えた松浦亜弥が、w-inds.の橘慶太宅に宿泊しそのまま朝帰りという内容なのだけど、写真だけを見る限りにおいては、そういった事実は全く確認できないのだ。橘慶太とのツーショットはもちろんのこと、橘慶太自身をはっきりと確認できる写真すら掲載されていないだなんて、そんなのおかしいとは思わないだろうか。

記事を読まずにこれらの写真だけを見た時に、一体誰が松浦亜弥の熱愛を想像するのか。考えても見てほしい。今回掲載されたものと全く同じ写真を使用しても、記事の内容が、「毎日自炊しているあゃゃ」だとか「次の日も早朝から仕事場へ向かう大忙しのあゃゃ」へと変更されただけで、「ご多忙な売れっ子アイドルあゃゃ」を追った密着ドキュメント風な記事としても成立するのだ。熱愛を決定付けるような写真だとか、揺るがしがたい物的証拠があるならばまだしも、記事だけが一方的に決め付けているだけの今回の内容に、信憑性などはまるでない。

今回の3ページ程度の記事を見た上での私の見解とは、これは、世間の噂をいいことにそれに便乗しただけの、根も葉もないウソ。完全にでっち上げの、「熱愛スクープ」ならぬ「捏造スクープ」だ ということ。これだけの写真でスクープなどと言ってのけるのには、あまりにもお粗末過ぎる。

しかし、もしそうなのだとしたら、一番問題となってくるのは、こんなにまでも手持ちの資料が手薄という状況でありながら、なぜこのようにフライデーは、熱愛スクープなどという苦し紛れの記事を掲載したのか と言うことである。それを考えなければ、今回の記事の真相は見えてこないのだと私は思う。

実は私は、これはただの熱愛スクープだとは思っていない。「あゃゃが朝帰りしてました」なんて事などが、ほんの些細なことのように思えるほど深刻な問題がここには潜んでいるのだと思う。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

ちなみに、w-inds.の橘慶太とあゃゃが本当に付き合っているのかどうかってことに関しては、今回の記事だけでは決定的ではない と私は言っているだけであって、色々なところでそういった噂は聞くし、本音を言うと、付き合っている可能性の方が高いとは思う。まあ、あまりいい気分はしないと言うのが正直なところだけど。
2005.3.5記

【第2章】 熱愛スクープの真意
前章でも述べたとおり、この記事において最も疑わしく、最も不可解なのは、松浦亜弥の顔写真ははっきりと掲載されているにも拘らず、なぜかもう一方の当事者である、橘慶太の顔写真は全く掲載されていないというところにある。掲載されている橘慶太の顔写真は、以前に行われたのであろう記者会見における写真であり、今回の記事とは何ら関係の無いものが利用されているだけなのだ。

もし仮に、フライデーがこの記事を熱愛スクープとして報じるのであるならば、当然のことながら「スクープ」という言葉に見合うだけの証拠を提示しなければならず、松浦亜弥と橘慶太のツーショット、あるいはそれ相応の、誰もが一目見てスクープを確信してしまうような写真なりを、エビデンスとして記事とともに掲載する必要がある。しかし今回の記事には、そうした明確なる証拠として掲載されるべき写真は存在しておらず、これでは、いくら記事内容ではやし立てたところで、いつまでも憶測の範疇を超えることは出来ない。

物的な証拠として掲載されるべき写真と、それに対応するはずの記事の内容に、あまりにもかけ離れたギャップが存在し、今回の記事を読んで、このギャップに大きな違和感を感じ、結果的に不可解に思うのである。

フライデーが本当の意味で熱愛スクープを報じるならば、何度も言っているとおり、橘慶太の顔写真は、公の場で撮られた写真なのではなく、掲載されている松浦亜弥の顔写真と同等のものを扱わなければならない。当然、片一方の写真のみを掲載したところで、スクープ写真などにはなりえない。

仮にもし、そういったスクープ写真となるべく物的証拠が、フライデー側が未だ入手出来ていないがために、今回の内容のような、実に中途半端な形になってしまったというのであるならば、最早これらを熱愛スクープとして報じること自体、何ら意味を成さないことになる。今更ながらに熱愛スクープとして大々的に取り上げなくとも、すでに随分と前から、この二人の関係は噂として世間一般にも届いているわけだし、この程度の記事ならば、その噂レベルの話と完全に同等のレベルなのだから。

この程度の内容を掲載することに、フライデーには一体何の狙いがあったのか。記事を一通り読んでみても、どのような狙いがあって、フライデーがこれを掲載したのか、その狙いを理解することは正直言って難しい。はっきり言ってわからない。

しかしながら、私は思ったのだ。そういったフライデーの狙いが理解できないと思うのは恐らく、「フライデーの狙いがあった上で、今回のこの熱愛スクープが報じられた。」ということを前提に考えているからなのだと。

こういった前提の下であれば、確かに分かりようなどは無い。こんなお粗末な内容の記事で、読者に対し「信用してください。」ということ自体、土台無理な話であり、いっぱしのメディアとして、これをスクープとして取り上げるには、多くの矛盾が存在しているのが事実。つまり、フライデーには何ら狙いなどはなかったと考えることが、この場合は最も妥当なのだ。

しかし、そうは言いつつも、こんな内容の記事であれ、何かしらの狙いと目的が必ずあるからこそ、わざわざスクープ記事と銘打って今回掲載されたというのも、また間違いなく事実なのだ。

この相反する事柄に対し、唯一理解でき、唯一納得出来る答えとは一体。

結論を言ってしまえば、今回の熱愛スクープは、フライデーの独占スクープなんて代物ではなく、アップフロントが打診したことで作られた、アップフロント主導の記事であるということ。これまで述べてきた不可解なことが全て理解でき、全て納得できる唯一の答えというのは、今回の記事の全てが、アップフロント主導で作られた記事だった場合に限られる。

アップフロントにとって、そうすることの狙い、今回の記事を掲載することで発生するメリット。

その答えは、乱立するハロプロ所属のユニット勢と、それに伴うハロプロの膨張、ノーコントロール状態になりつつあるハロプロの現状にこそ存在し、これが今回のこの忌まわしき記事の全ての元凶になっているのである。
2005.3.7記

【第3章】 現状の問題から…
現状のハロー!プロジェクトにおける最大の課題とは、一体何なのだろうか。

それは、どうしようもなく膨れ上がってしまったハロー!プロジェクト内ユニットのスマート化にあり、そのスマート化によって、再びつんく♂自身でハロー!プロジェクト全体をコントロール出来るような状況を復活させることにある というのは、以前に私が【コラム】「カラオケコンサートが浮き彫りにしたハロプロの現状」内で述べたことなのだけど、基本的にこの考え方は今でも自分の中では変わってはいない。

ハロプロの現在のシステムから言って、これから先、さらにユニットが乱発するであろうことは自明であり、それに伴い各ユニットにおけるコンセプトも、今以上にあやふやなものとなる。この様なことを続けていけば、ハロプロが今後ますます有象無象の集団に成り下がることは最早避けようが無い。

現在の状況と、今後起こるのであろうこれらの状況を考えた場合、事態はすでに最悪の方向へと向かってしまっている。ハロプロ所属ユニットやソロ活動組みの増加と広範囲化は、一ユニットにおけるエネルギーの減少と、絶対数の変わらない力の分散化をも同時に意味している。ソロ組やユニットの乱発といった状況が、ハロプロに対していい結果を生むとはとても思えないのだ。

悪化する事態を解決するべく行わなければならないこと。冒頭で述べた「ハロー!プロジェクトのスマート化」は、こうした最悪の事態を解決するための切り札であり、ハロプロが実質上ノーコントロールのような状態となってしまった今、この肉を切らせて骨を絶つ捨て身の戦略は、ハロプロ存続という観点からも必要不可欠なのだと私は思う。今後もハロプロが勇往邁進するのであるならば、現在の状況をまずは打開しなければならない。

そのためにはまず、プロデューサーであるつんく♂の力が滞りなく行き渡る状況を作りだすことが重要であり、つんく♂が集中的にプロデュース出来る程にまで、ハロプロをスマート化させなければならない。アイドルグループやアイドルタレントの人気は、各人のタレント性のみならず、その大部分が、裏方の人間が仕掛けるプロデュース力に強く依存している。ましてモーニング娘。をはじめとするハロー!プロジェクトは、そのほとんどが、プロデュース力のおかげでここまでのし上がって来た集団だと言っても言い過ぎではない。現状を打開する第一歩は、プロデューサーであるつんく♂自身の活動内容そのものにかかっている。

そのハロプロのスマート化を達成するためには、当然、新規に発生するユニット・ソロ組以上に、「ハロプロから卒業する」ユニットを発生させなければならなくなる。新規のユニット・ソロ組が次から次へと発生するという状況下で、それとは真逆の状態であるハロプロのスマート化を計り、現状の諸問題を解決するのであるならば、これまではタブーとされてきた、ハロプロからメンバーを卒業させるという行為は最早必要悪である。

これこそが、膨大な人数にまで膨れ上がり、ノーコントロール状態へと陥っているハロプロを、再びつんく♂によってコントロールされる状態へ戻すことの出来る唯一の手段であり、悪化する事態への解決策は、最早これ以外には考えられないのだ。

そして、その「ハロプロのスマート化」のために、「ハロプロから卒業する」、もしくは「ハロプロから卒業させる」ことを、所属事務所なり、プロデューサーであるつんく♂なりの構想上あげられたのが、今回のフライデー事件の当事者、松浦亜弥だったのだ。
2005.3.24記

【第4章】 ハロプロのスマート化
松浦亜弥のハロー!プロジェクトからの卒業。
そういった事態を考えてみると、実はそこには、松浦亜弥にとって何の不利益も存在しないことに気がつかされる。現在の松浦亜弥が、ハロー!プロジェクトという「アイドル集団」の枠組みの中でいつまでも活動すること自体に、何のメリットも存在しないのだ。

アイドルグループであるモーニング娘。は、メンバーの入れ替えが可能であり、名称だけを継承しつつ、その中身を入れ替えることで一定の鮮度を保つことが可能なのに対し、当然アイドル歌手である松浦亜弥本人に入れ替えなどは無く、いつまでも「アイドルあやや」を演ずるのには自ずと限界が出てくる。今年で19歳となる松浦亜弥に、今後もハロー!プロジェクトというアイドル集団の一人として、世間のイメージである「国民的スーパーアイドルあやや」を変わらず演じさせることは、松浦亜弥の今後を考えた上でも得策とは思えない。

そういった世間の「スーパーアイドル」といったイメージからの脱却を考えた場合、最も手っ取り早く、そして最も効果的なのが、写真週刊誌に熱愛スクープという形で、「自ら」スキャンダルを起こすことだった。アイドルにとってスキャンダルがタブーであるならば、そのタブーを敢えて利用することで、アイドルというイメージを払拭するという、一歩間違えればタレント松浦亜弥そのものを終わりにしかねない、実に危険な狙いがそこにはあった。

もしこの狙いが真実であるならば、もう一方の当事者である橘慶太の顔写真が、今回の記事に掲載されていなかったことにも説明がつく。この記事は、橘慶太サイドの「売名行為」という受け取り方も世間にはあるようなのだけれど、売名行為を目的とした者が、その相手側だけを取り上げたような記事に対し何も言わないはずはなく、橘慶太サイドの売名行為という考えは、橘慶太の顔写真が隠蔽されている時点で現実的ではない。これはまさに、橘慶太とは全く無関係な部分で、松浦サイドの一方的な思惑により画策された熱愛スクープに他ならない。だからこそ、橘慶太の顔写真は、今回の記事内容とは全く無関係のものが申し訳程度に掲載されるにとどまっている。

そして、「松浦サイドの一方的な思惑により画策された熱愛スクープ」の証拠として、現在行われている「松浦亜弥コンサートツアー2005春 101回目のKISS 〜HAND IN HAND〜」内で、なぜか松浦本人が、自らの口で、今回の騒動についてお詫びをするという形をとっている。「裏切られた!」「ウソをつかれた!」などと叫んでは、購入した亜弥コンのチケをオークションに売り飛ばす人間が多数存在する中、それでも「松浦の姿が見たい!松浦の歌が聴きたい!」という思いで会場に足を運んだ人間に対し、聞きたくもない今回の騒動に対するお詫びを自ら必ず口にする。そしてもちろん、このお詫びの中には、今回の記事の内容に対する否定は一切存在していない。

先ほども述べたとおり、「アイドル」にとってスキャンダルはタブーである。それは今も昔も違いは無い。もし仮に、事務所が「アイドル松浦亜弥」のことを考え、今後の活動に対する悪影響を懸念するのであるならば、今回の熱愛スクープに対しては完全否定をし、松浦本人に対しても今回の記事に対しては、ノーコメントを貫くようにと徹底した指示をするはずなのだ。アイドルである人間にとって、明らかにマイナスであるはずの今回のスキャンダルについて、自ら進んでコメントをするなどという行為は、甚だ尋常な行為ではない。ましてこれは、コンサート中での出来事だ。

にも拘らず松浦は、自らのコンサートの途中のMCで、ファンの誰も望んでいないはずの「お詫び」を、スタッフの人間に止められることも無く、毎回のように繰り返しているのである。今回の記事が、事務所にとって望ましくない記事であるならば、こういった事実は起こりようも無い。

上述のことからも、明らかに事務所サイドは今回の記事を肯定しているのがわかる。しかも、松浦本人が今回の騒動について触れるにとどまらず、全く関係の無いはずの辻希美にまで、「うらやましい」などとコメントをさせる始末。事務所がこの記事を否定しているのであれば、辻のこの様なコメントを掲載させることを許すはずは無く、むしろこのコメントには、辻に「うらやましい」とコメントするように強制的に仕向けた感すら漂っているのだ。

実際、松浦亜弥に対する事務所の扱いは、明らかに以前のものと異なっている。毎年のように発売していたはずのアルバム発売が無いという不可解な中で、過酷なまでのコンサートスケジュール。ベストアルバムという形で、一つの「区切り」をつけようとしている今の状況。この先、明らかに松浦亜弥に「何か」が控えているとしか、私には思えないのだ。

事務所が自らの手で起こした今回の熱愛スクープ。
その先にあるものは、松浦亜弥の、スーパーアイドルあややといったイメージからの脱却と、「ハロプロのスマート化」をも視野に入れた、ハロー!プロジェクトからの卒業。もとより松浦は、ハロー!プロジェクトという枠組に依存せずにここまで来た人材であるし、ハロプロから卒業したところで、彼女のタレントとしての活動には何の支障も来さない。そう踏んだのであろう彼らのこの決断は、吉と出るのかはたまた凶と出るのか。

個人的には、たとえハロプロの枠から卒業しようとも、今後も変わらず、松浦亜弥のあの歌声を聴けるのであれば何の問題も無いと思っている。ただ、卒業をきっかけに歌手という肩書きは捨て、単なる一タレントに成り下がってしまうということも、完全に否定できないのも確か。楽曲提供者がいなければ、歌いたくても歌えないのが現実である。

最悪の場合、亜弥コンは今年で最後となるのかもしれない。
松浦亜弥のあの素敵な生の歌声を耳に、そしてあの素敵な容姿をこの目にしかと焼き付けるべく、私は可能な限り亜弥コンに参戦しようと、そう心に誓ったのだ。

後悔なんてしたくないから。
2005.3.27記

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